追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
過去の恋のお話_4(:杏)
View.アプリコット
ぼくは恐怖した。
自身の苛立ちの感情を口にしたクロさんは、言葉にした通り怒っていた。
静かに、だが明確に。
だからこそ恐ろしく、怖いと思う感情が沸き上がるのは生まれて初めての事だった。
「そして次に起こった事は、我が目を疑ったよ」
「ほう、それは何故かな?」
恐怖し、身動きが取れなくなった後。ぼくが見た光景は生まれて初めて見た光景だった。
ベージュ夫妻は傍迷惑であると同時に、周囲が逃げるしかない行動をとるのは純粋に強いからだ。
将来のぼくならともかく、今のぼくでは手も足も出ないと言える魔法に、それを補う身体能力による殴り合い。創造した武器に刺し合い(なお、刺されてもすぐに回復もする)。
それは恐らくシキに来る前は堅気の仕事ではなかったであろう、戦闘強者であるシキ唯一の宿屋の主人夫婦ですら、“逃げるしかない”という、止める事は出来ないから、怪我をしたくないのならその選択肢しかとれない戦闘を巻き起こす。それはあの救う事に囚われているだろう神父ですら被害を抑えるために周囲の避難しか出来ない、というレベルである。
クロさんは出会った頃にぼくを無理にお風呂場に担いで連れて行くほどであるので、多少身体能力は高いだろうが、魔法が得意でないというクロさんではあの夫婦に手も足も出ないだろう。
そう思っていたのだが……
「クロさんはベージュ夫妻をほぼ無傷で制圧したのだ」
「ほほう、制圧か」
クロさんはベージュ夫婦の魔法も武器も、身体能力による純粋な力も。全てを抑え込んで二人の愛の紡ぎを止めたのだ。
途中からベージュ夫妻は愛の紡ぎを邪魔されただけではなく、全ての愛が妻か夫に通じなくなった事に腹を立ててクロさんに攻撃も仕掛けたのだが、それを全て避け・流し切り、文字通り制圧した。
その時の動きはまるで相手の未来が見えているのかと思う程であった。実際は目が良くて動きを見極めているのだろうが、それでも凄いという他ない。
「だが、“ほぼ”無傷という事は当たらなかった訳では無いんだろう?」
「単純に殴った時に、妻の方の身体の固さに反動を受けたというだけであるよ。しかも殴られた方は殺し合いに耐えられる身体を持ちながらも、その一発でほぼ動けなくなったからな」
「なるほど。反動による自壊のみを受けた感じなのか。それで、制圧した後はどうなったのかな?」
その後のクロさんは、圧倒的な力で制圧されたことにより、制圧をした相手が“怒りの感情を自分達に向けている”という事にただ震えていたベージュ夫妻にこう告げた。
『愛を紡ぐのは結構。それ自体は否定出来る事では無いし、祝福されるべき事だ。だが二度とさっきと同じ事を口にするな』
と、今まで聞いた事の無い、冷たくて抑揚のない言葉でベージュ夫妻に告げた。
今まで笑うか困るかして、なにかしらの感情が読みとれた感情豊かな顔は無表情になっており、さらには戦闘による血などの汚れが付いている事もあり、今までには無い“異質感”をクロさんに纏わせていた。
そして……
「告げた後のクロさんは、なにかに気付いたかのようにぼくの方を見て……」
「見て?」
「……とても、寂しそうな表情になった」
「……ほう?」
まるで「またやってしまった」と言わんばかりの悲しさを覚える表情であり、そしてクロさんがシキに来たという理由が事実であると感じ取ってしまった瞬間でもあった。
「とはいえ、寂しそうになったのは一瞬で、すぐにぼくのために持ち直したよ」
「君のために?」
「そうだ。恐らくぼくに気を使わせないためであろう」
「……良ければそう思った理由を聞かせて貰っても良いかな?」
クロさんはすぐに持ち直し、ぼくと神父様にいつもの調子で、不器用に困った様な笑みを浮かべつつ。
『すみません、彼らと話し合いがあるので俺はこれで失礼します。……神父様、すみませんがアプリコットをよろしくお願いします』
と言って、去ろうとした。
……クロさんは怒りの心情に任せて相手の顔、腹部、多くの急所を殴り、挙句には倒れ込んだ相手の背中を足で踏みつけて荒い口調で「二度とするな」と脅しをかけた。
モンスターが相手ではないが身を守るための行動。力による解決が必要な場面でもあった。だが……
「去ろうとした理由は単純。子供であるぼくに、暴力行為を見られたからであろうな」
子供であるぼくの前で、感情に任せた暴力行為。
例え理由が正当なモノであったとしても、子供の前でやってしまった事を後悔していた。
一度目の前で起きた事ならば、二度目、三度目とあると思われる。そしてそれを一緒に住んでいるぼくの前でやったのだから、これからは今までのように過ごす事は出来ないと思い、悲しくなった。
「……ほう」
しかしその事をぼくに気取られれば、なにかを思うかもしれない。
それは同情を求めているようであり、正しくない事をしたと思っているクロさんはそれは自身に不要なモノだと思い、気を持ち直したのだ。気にしていないと言うように。これからは自分から今までのようには過ごさないと言っているかのようであった。
「だからぼくは助走をつけてクロさんの背後にタックルを食らわせた」
「うん?」
そしてそれがぼくは腹が立ち、神父の制止を振り切って思い切りクロさんにぶつかった。
出来ればドロップキックをやりたかったのだが、ぼくの身体能力では無理であるし、なによりも背後からのドロップキックは危険であるのでやめておいた。
「……ええと、聞いても良いかな。何故タックルを?」
「決まっている。腹が立ったからだ」
「うん、答えのようで答えではないかな。詳しく聞いて良いかな」
ぼくはクロさんの事を放っておけないヒトだと思っている。
あのような良い環境を作ろうとしているクロさんが悲しそうな顔をして、全てを分かったような気がしたのが腹が立ったのだ。
「ぼくはあの程度で離れる様な女ではないというのに……」
「君は……クロ・ハートフィールドに恐怖した、と言っていたが、それでも離れようとはしなかったのかな?」
「そうだな、確かにぼくはクロさんに恐怖したよ」
クロさんは優しさを持ち合わせていると同時に、生きる強さと強かさを持っているとは思ってはいた。
逆風の中でも話し合いをする事を諦めず。暴力に訴えず、戦う事を嫌って話し合う事を優先して領地を良くしようとする、尊敬すべき変わった貴族だと思っていた。
だがそれは彼の一面しかなかった。
思っていた優しき面も彼の一面で。実際の彼は怒るとあのような怖さを持ち合わせる様な二面性を持っているのだ。
「それを恐怖したのなら、クロ・ハートフィールドが危惧したように離れようとは思わなかったのかな。それともそういった二面性に惹かれる女心、というやつなのかな。優しいだけの男はつまらないと言うからね」
「違う。“未知”の部分の強さを見たから恐怖しただけであって、クロさん自身を嫌ってはいないのだ」
ぼくがずっと思っていた面だけを持ち合わせていると思っていたが、実際は知らない未知の一面も持っていた。
未知というのは恐怖である。
未開の土地を探索して先が分からない事に恐怖し、暗闇を歩くと恐怖するように、未知は怖いのである。
「今のぼくは、彼の知らない一面を知れて良かったと思っているよ」
しかし先が分からないからこそ、新たな発見をした時は嬉しいものだ。
それは未開の土地の先で見つけたものが望んだものであった時に、得も言われぬ喜びがある様に。
未知の先が自分の望んだものであった時の喜びは何物にも代えがたい嬉しさがあるのだ。
「……つまり、知った一面が、自分が彼らしいと思った一面でもあったから、恐怖はしても嫌いにはならなかった、と?」
「その通りであるよ」
クロさんがベージュ夫妻の発言に怒らず、止める事が出来ずにいるよりも、周囲にこれ以上の被害が及ばない様に力をもって相手を封じた行動をぼくは好ましく思っている。
暴力行為を是としている訳では無いが、その方がクロさんらしいと。優しさと共に強さも有るのだと、ぼくはむしろより良いと思った。
ただそれだけであり、ぼくはその事をクロさんにも伝えた。クロさんはポカンとした後、嬉しそうに微笑んだので嬉しかったモノだ。
――それに、クロさんという目標も出来たからな……!
そして同時にぼくは目標が出来たのが嬉しかった。
身体能力と戦い方に関しては天賦の才能が多いので真似は出来ないだろうが、ぼくには魔法がある。
魔法でクロさんと戦い、クロさんを超えるようになるという目標が出来たのだ。こんなに嬉しい事は無いだろう。
ふふ、絶対にいつか勝ってみせるぞ。持っているのだクロさん!
「と、すまぬな。このような事を名も知らぬ貴方に話してしまって」
ぼくはふと自分だけがテンションが上がってしまった事に気付き、話していた相手……名も知らぬ冒険者であろう男性に謝罪をする。
いつもならばグレイくんを寝かしつけた後に寝ている時間なのだが、今日は夜風に当たりたかった。
だから屋敷の外で、メイド服に身を纏いながら今日の事について思い出しながら溜息を吐いて歩いていたのだ。
溜息を吐いていたのは、一瞬でも恐怖したからそれをクロさんに感じ取られてクロさんに要らぬ心配をされた事についてである。
そして偶然それを見知らぬ冒険者の男性、つまりは彼に聞かれ、気が付けば彼と会話をしていたのである。こんな事を話すつもりではなかったのだが……彼の不思議な聞き上手な雰囲気によるものなのかもしれない。
「……君は」
「む?」
「君は、クロ・ハートフィールドに恋をしているという事なのかな?」
そして冒険者の男性は、ぼくの謝罪に対してそのような事を聞いて来る。
――クロさんに恋……
質問の内容はぼくがクロさんに恋……男性として好きなのかという問いだ。
その質問に対し、ぼくの答えは――
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