追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

過去の恋のお話_1(:杏)


「ア、アプリコット様。先程の言葉の意味は……そして何故急にキスを……?」
「さて。それを含め、好きというのは、付き合うとはどういう事かを考えると良いぞ。それが分からぬ内は我とグレイはこれ以上の進展はない」
「う。そうですか……これは深く考えなければなりませんね。アプリコット様とより仲を深めるためにも……!」
「……しかし、昔と変わったな、グレイは」
「はい? 昔ですか」
「そう、我とグレイが出会った頃と比べてな。……あの時のクロさんも含め、まさか今このようになるとはなにが起こるか分からぬものだな」
「……そういえば出会ったばかりの頃、アプリコット様に関して思っていた事があります」
「ほう、それはどのようなものだ?」
「はい。アプリコット様は父上に……恋をしているのだと思っていました」
「……ふ。クロさんに、か。それはある意味――」







View.アプリコット


 クロ・ハートフィールドというのは変わった貴族だ。
 それがここ半月ほど彼の屋敷に身を置かせてもらっての感想である。

 ぼくを捨てやがったクソ父が媚びへつらっていた横柄な貴族のようでも無く。
 ぼくを売りやがったクソ母が関係を持った責務を忘れた貴族のようでも無い。
 奴隷の印を自ら解き、帝国からこちらに逃げて来て、服も体も泥で汚れ、手足の皮膚は擦り切れているような、ぼくのような身元がハッキリしないような子供に清潔な衣服と寝床を提供するような男である。
 お人好し……といえばお人好しなのだろう。優しくもあるが、そちらの表現の方が彼には似合う。ぼくと似たような立場であるグレイという名の少女――ではなく、少年に対し奴隷契約を解除して、領主の仕事をしながら精神のケアを行い会話を試みたり、ぼくを含め一緒に食事をとって会話をして打ち解けようとしているくらいだ。忙しいだろうによくやるものである。

――ぼくの四、五歳くらい上だろうか……?

 そんなお人好しの彼とぼくの年齢が離れているようでも無く、若い年齢で領主をやっているようだが、優秀ゆえに若き領主という訳ではないようだ。
 事情はあまり分からないが、なにかしらの問題を起こしてこの地――シキに居るようである。

――複雑な立場のあぶれ者達が集まる場所、か。

 そして彼のような立場の者達がシキには集まるようだ。
 数十年前……先代国王のさらに前の国王の時代は、当時の国王と権力者が知己の仲でそれなりに発展した土地であったそうだ。しかし先代が当時の政権の不祥事を暴き、叔父である国王を失脚させた、という代替劇の際に当時の国王の味方であったシキの領主は反発。そして反発して色々あった内に、今のような複雑な環境になったようだ。むしろそれで済んでいるだけマシなのかもしれない。

――このような地に長居すればぼくは駄目になる。

 この地の特性は理解したが、ここはぼくの居るべき場所ではない。
 ぼくは偉大なる魔法使いになる女。
 ぼくを見捨てたクソ両親や、冷遇されるぼくを明確に下に見ていた弟達のように燻る事無く歴史に名を残す女だ。
 それを叶えるためには、このような未来の無い地に居続ける理由はない。
 少なくとも先代領主の影響で領主に不信感を抱いて、ろくに領地として機能していなかったり、好き勝手やる輩が多い場所は駄目だ。
 自分は悪くないと思い、相手を悪いと決めつけて、好きにやる。まさにイジメの構図。こんな土地には未来もないし、ここに居てはぼくの将来も駄目になる。
 ぼくに衣食住をくれたクロさんには悪いが、手足も回復した事であるし、気を見計らって出て行くとしよう。いくつか不要そうな金目の物を持っていくのも良いかもしれない。

「アプリコット。すまないがグレイと留守番頼む。資料を届けるついでに用事もいくつか片付けて来るから、お昼は一緒にとれない。二人の昼食は一応キッチンに用意しておいたからそれを食べていてくれ」

「いや、ですから。そのように言われても困るのです。そのような形では領民達がまともに過ごす事が出来ないんです」

「ええい、なんだこの過去の記録は。どうなったらこんな金銭出納帳が出来るんだ……!」

「……ん、アプリコットか。眠れないのか? ああ、俺はもう少し仕事をしてから寝るよ。まだやる事が残っていてな。とはいえ、すぐ終わらせて寝るから気にせず寝ていてくれ。おやすみ」

「おはよう、アプリコット。グレイを起こしてきてくれるか? 朝食の準備はしておいたから、すぐに食べられるぞ」

 ……すぐに出て行った方が良いのだが、クロさんの事が気になってしまい出て行く事が躊躇われる。
 ぼく達には掃除など軽めの仕事だけを任せて無理はさせず、屋敷の管理や領主の仕事をクロさんは独りでこなしている。
 役人らしき方の横柄な交渉や命令にも食らいついて領民のために良い条件を結ぼうとする。
 しかし領民達は心を開かず、相手にされない事すらある。だが腐らず何度でも接して会話を試みている。
 ぼくよりも遅くまで起きているのだが、ぼくよりも早く起きている。本当に寝ているのかというレベルだ。
 そしてぼく達の前では愚痴を零す事は無く、明るく接している。疲れなど見せずに、元奴隷の立場であったぼく達の気すら使うのだ。

――見捨てていないんだ。

 ぼくであれば見捨てている。
 自分達は被害者であるとして他者りょうしゅに文句を言い、領主クロさんの小さな弱音しっぱいは領民の虐げであると糾弾する。
 糾弾はしない連中も、好きな事を追求しており我関せずで、それは好きな事を極める事に憚れる事は無いのだと好き勝手やる。
 そのくせに、誰も環境を整えるという事をしない。
 そんな領民と領地など、領主よりも領民の味方と評判のお優しき神父様とやらに任せば良いんだ。その方が領民様も納得してくれるだろう。

――そういう話じゃない。

 ……いや、そんなものはどうでも良い。
 この地がどうなろうと知った事では無い。クロさんはお人好しだから頑張っているだけで、あのようなお人好しは損をする。……頑張っても、何処かの偉大なる魔法使い候補のように、悪意を持った凡夫に利用され捨てられるのがオチだ。
 だからぼくには関係ない。関係ないんだ。強く生きるために、偉大になるためには非情ならないと駄目なんだ。

「……こんな分かりやすくお金を置かれても、困る」

 ……けど、それを踏まえてもこれは困る。
 クロさんは分かりやすい所にお金を置いている。隠している体を装っているが、ぼくがこのお金を持って行っても良いようにとお金を置いているのだ。
 クロさんに問い詰めても知らぬ存ぜぬで通すだろうお金。“いくつか不要そうな金目の物”も含めて、“とても分かりやすく隠して、盗みやすい場所”に置いてある。

――……裕福ではなく、誰かに施すほどの状況でないくせに。

 ……本当に、お人好しが過ぎる。
 ……馬鹿と言うか、なんというか。
 ……利用されるだけの男だな、彼は。
 ……そして彼を利用すれば、ぼくはあの家族とそう変わらないな。
 ……彼――クロさんやグレイくんと話しながら食べる食事は楽しいし。
 ……足と手なんてもう治っているのにこうやって過ごしていたのは、やっぱり楽しかったからなのだろうか。
 ……クロさんとグレイくんを説得して、旅に出るのも良いかもしれない。彼らとなら楽しい旅になりそうだ。

「はは、アプリコット達と旅とは良いアイデアだが、もう少し領主の仕事を頑張ってみてからにするよ」

 そしてある夜の事。怯える事が無くなって来たグレイくんを寝かしつけてから、部屋で仕事をしていたクロさんに提案をすると、クロさんは笑ってそう答えた。
 ……何故なのだろうか。領主だって押し付けられたのに、何故こんな土地で頑張ろうとするのだろう。

「諦める事なんていつでも出来るからな」
「いつでも?」
「ああ。そんな簡単な事はいつでも出来る。それに俺は領主になったからには領民の皆が今のような誰かを恨んで排斥する生活では無くて、生き生きと楽しく、幸福に生きて貰いたいと思っているよ」
「だから諦めずにこの地で頑張ると? 見返りがある訳でも無いのに?」
「はは、見返りならあるさ。グレイが少しずつ仕事を手伝ってくれるのもそうだし……アプリコットという領民が、俺をこうして心配して来てくれているんだからな」

 クロさんはそう言うと、安心させるようにニッコリと微笑んだ。
 微笑むクロさんは窓から差している月の光に照らされて、何処か幻想的であった。

「……それに、グレイが前の領主のトラウマを払拭しようと頑張って立ち上がろうとしているんだ。あの子を見捨てる事は出来ないよ」

 ……ああ、もう。そんな事言われたら、見捨てるなんて事は出来ない。
 実の弟を思い出すので少し避けていたが、懐いて来ている感じがするグレイくんのためにも。
 色々と言ってはいるが、結局は身近なヒトのために頑張ろうとしている、ぼくを既に領民として見ているこのお人好しで不器用なクロさんのためにも。

 ぼくはもう少し、彼らのためにこの地で頑張ろうと思ったのであった。


「時にクロさん。そちらの紙はなんだ?」
「ん? ああ、魔法名と魔法陣だ。俺は魔法はそこまで得意じゃないからな」
「? 勉強をしている、という事だろうか」
「いや、ほら。魔法の魔法名って“その魔法を使うという意志”が重要だろう?」
「ああ、炎という意味を持つ魔法名や、そのジャンルを使うという思い込みが威力をあげる、というやつだな」
「そうそうそれ。だったら自分だけの“これは特別だ!”と思う魔法名とか考えたら威力とか上がったりするのかな、って思って、日――昔居た国での知識を利用した魔法名を考えていたんだ(※深夜テンション)。息抜きも必要だからな」
「ほほう、どれどれ。……!? これは……不思議と素晴らしいと思える……!」
「お、そうか!」
「ああ、素晴しい。他にもあるだろうか。あるなら見たい!」
「よし、良いぞ。そして一緒に魔法名を考えようじゃないか!」
「うむ!」





備考 クロの数年の変化

数年前のクロ「今のような誰かを恨んで排斥する生活では無くて、生き生きと楽しく、幸福に生きて貰いたいと思っているよ」

現在のクロ「生き生きし過ぎだよチクショウ、楽しそうで良かったな!」

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