追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

後先を考えない


「――っ、ぅ……!」

 効いている。
 先程大規模な夢魔法を発動する前は効いていなかった俺の拳が、間違いなくマゼンタさんに効いている。
 先程とは違いこの空間に慣れたことで俺にも王族魔法の魔力が宿り威力が向上したので効くようになったのか、単純に先程は打ち所が悪かっただけなのか。

――あるいは、マゼンタさんが殴り合う事を選択したからか……?

 ふと、そんな思考が過る。
 もしもそうなら一つの過程が成り立ち、解決策も思いつく。その多くは俺独りでは解決策として実行は出来ないが、少ない方法でも解決への道筋を見つける事は出来る。
 そのためにもまずはこのまま殴り合いを続けなければならない。先程の様に遠距離魔法に注力されれば万が一にも勝ち目はないのだから。

――動かれる前に、追撃を……!

 そしてマゼンタさんの次の行動は、俺の警戒する“距離を取られる”という事をする可能性が高い。
 なにせ俺はマゼンタさんの魔法を否定し、解除を目論むマゼンタさんにとっての“悪”だ。そのような相手は生かしているだけ邪魔であろうし、安全に俺の不得手を見越して遠距離から仕留めに掛かるだろう。
 次点で夢を見せるという可能性もあるが、先程効いていない以上はつぎは万全を持って行動するだろうし、俺に夢を見せさせる価値は無いと判断を――

「――だったら!」
「っ!?」

 俺が追撃を入れるよりも早く、マゼンタさんの拳は俺の顔面目掛けて放たれた。
 可愛らしい拳に反して、当たれば俺の即時昏倒するだろう威力を持っているとよく分かる恐怖が備わっている。
 この攻撃にカウンターをしようとすれば間違いなく当たる。

「くっ……!」

 回避に全神経を集中してもなお完全には避けきれず、僅かに頬を霞め、霞めた場所は血が出て来た。

――……本当に凄い。……ああ、凄いな、彼女は。

 だが次はどう来る。逃がさない、逃がしはしないぞ。距離を離しては、ヴァイオレットさんもグレイも、誰も救えはしない……!

「だったら、私がそれを解決してみせる!」
「なっ――!?」

 しかし次に来たのはマゼンタさんのの拳であり、距離を離すなどと言う事はしなかった。
 さらには先程までとは違い、表情も何処か真剣さを帯びている。だが、解決とはなんの事だろうか。

「閉じた夢では今以上の幸福を得られないのなら、刺激を与えれば解決する話でしょ! 刺激を与えて、自分の中で自分を成長させ、自分の世界をより善くする! ああ、簡単な話だよ、私は皆の幸福のためにそれを出来るように叶えてみせる!」

 叫びながら、俺に攻撃を繰り返すマゼンタさん。先程までと同じく、距離を離す事なく肉弾戦に付き合ってくれている。俺もそれに対応し、先程以上に攻撃の手を強めた。
 ……そして彼女は、なんでこんなにも……

「何故ですか、何故そんなにも幸福を願うのです!」
「不幸を憎んで、皆の幸福を願っているだけなのがそんなにもおかしい事!?」
「おかしくは無いですよ、だけど何故そんなにも――」

 俺が言ったように、閉じた夢では生まれない概念があるという事をマゼンタは気付いたはずだ。
 いや、あるいは“コーラル王妃にヴァーミリオン殿下達を追い出させるという経験をさせる”という事をしている事から、無意識の内に想像や経験に及ばない事は見せる事は出来ないかもしれない、と分かっていたのかもしれない。
 だがそれでも問題を解決しようとし、必死に“俺を説得”しようとしている。……ここまで否定してなお、マゼンタさんの中では俺は変わらず幸福にしたい対象であり、敵として見做していない。
 そこまでして皆を思う理由があると言うのか。誰だろうと認めて幸福にしたいと思う、彼女にそこまでさせるなにかが、過去にあったというのか……?

「私の根幹なんてどうでも良い!」
「――っ!?」

 だが、マゼンタさんは俺の迷いから生まれた一瞬の隙をつき、胸倉を掴んで頭突きを繰り出した。

「私の事はどうでも良い、過去も心情も、どうでも良い! 君は私を君にとって、世界にとっての“悪”と判断した。ならそれは君にとって正しいモノだから、私を悪として私を倒そうと頑張れば良い!」

 互いに額から血が流れ、マゼンタさんは手を俺に掴まれる前に離すと、少しだけ距離を取った。

「それで良いの。それとも悲しい過去が望みなの? だったら君の中で私の過去を決めて、君の中でわたしを定義し、があるのだと思い、君の考えた最低悪の私に立ち向かえば良い。それで良いじゃない!」
「……そして、その絶対悪を倒した俺を、俺の世界で誇り、俺の世界で救世主ヒーローになるような夢を見れば良い、と?」
「そう、中途半端な悪を倒した所で、良い幸福は得られないでしょ!」

 マゼンタさんはそう言いつつ、再び俺に接近し攻撃を仕掛けてきた。
 こんな状況でも変わらず、俺の得意な事に付き合い、同等、あるいは格上の相手と戦う事で良い記憶を作り、幸福を与えようとしている。

「…………」

 ああ、つまりなんだ。マゼンタさんは悪には悪であって欲しいという考えがある訳か。
 物語の悪役。主人公を正とするための誤。
 自身を排斥した相手が堕ちて行く様。
 なんでも、負を零にして正にするのが良い物語だと聞く。
 本当は○○だった、実は善い奴だった、主張が違うだけの別の正義だった、みたいな悪は要らない訳か。
 悪は悪らしく、見ているだけで吐き気が込み上げてくるような、存在すら認められないような悪のカリスマ的存在で居て欲しいと。そういう事か。
 まさに極論。先程俺が言ったように、極論から極論に走ってやがる。

「……悪は醜悪な存在として、倒される事で喝采を受けるような存在が良い、ですか」
「そういう事だ、ねっ!」

 マゼンタは言いながら、攻撃の手を止めずに俺に放ってくる。
 …………。

「良くないですよ」

 俺は攻撃をしつつ、避けつつ否定をする。

「……それがクロ君の考えなら、それで良いの。うん、私はその意見はとても好きな考えね」
「良くないんですよ。悪……悪役だから追放されようが、惨たらしく論破して殺そうが、封印モンスターの犠牲になろうが、遠い知らない場所で死んでいようが構わないというのですか。その方がスッキリするからと、救いのない悪役に仕立て上げたいと」
「……? なにを……」

 殴り合いをしつつ、俺は言葉を告げる。
 先程までとは違い、自分でも分かるくらい冷静に言葉を紡げる。

「――巫山戯る、な」

 物語の悪役。主人公を正とするための誤。
 自身を排斥した相手が堕ちて行く様。
 負を零にして正にするのが良い物語。
 外道相手に正義が心を痛める必要など無いのだから、悪は生まれながらの悪で有り続けろ。
 そして【悪/誤/負マイナス】は、いくらでも貶めても心が痛まない。――気に喰わない相手を責める理由があるから、心が痛まずストレスを発散できる。
 社会としては正しいのだろう。悪は裁かれる。因果応報、自業自得。
 被害者には糾弾する権利はあるし、被害者に加害者を許せと強要するつもりもない。

「――巫山戯るな。そんなモノになんの価値がある」

 ……けれど、そんなモノに価値を見出してたまるか。
 醜悪な悪にも、絶対悪にも――理由無き悪にも、価値なんて有ってたまるか。少なくとも俺は認めない。

「悪であった俺の最愛の人は、己が行動を反省し、否定せずに幸福を得ようと現実で頑張った」

 けれど、過去に罪がある俺が愛した女性は、悪であったとしても罪を背負い幸福であろうとした。
 それは悪としての腐敗ではなく、心の強さを持っての善への変化だ。俺はそれを好ましく思う。
 だからこそ俺はヴァイオレットさんを“放っておけない相手”から“好きな人”になったのだし、“今”を大切にしている。

「悪に高尚な理由を持って貫けと言っているんじゃない。悪なんて滅べば良いと思っているし、平和に越した事は無いし、罪は消えないだろうし――そして少なくとも、人々に幸福な夢を見せた貴女は、悪と言うよりは善なのでしょう」

 正義かどうかは分からないし、善であり悪なのかもしれないし、正義の反対は別の正義なんて言葉もあるし、愛の反対は無関心とも言うから、自分とは関わりのない相手全員にすら不幸を嘆き、関心を持って幸福にしようとするマゼンタさんは、俺よりも遥かに愛に溢れているのかもしれない。

「だけど、幸福にしたいという願いを、夢に閉ざさないと駄目だなんて巫山戯た事を抜かす貴女は――」

 しかしなによりも方法が問題で。
 方法は俺にとっては良くない事であり。

「誰よりも、現実から目を逸らしているだけの弱い人です」

 説教出来る立場の俺では無いが、少なくとも目の前の女性には、言える事がある。
 全ての意見を認め、肯定し、受け入れ、それでいて夢に閉ざそうとするその様は、相手を見ていないに過ぎないという事を。

「だから、貴女は一度!」
「っ!?」

 俺は叫び、襲い来る会心の拳を受けつつも、攻撃を手を緩めずに。

「世界の一端を担う、自分の家族から!」

 今持てる最大の力を持って、拳を固めつつ。

「現実で向き合って、幸福にしてみろ!!」

 夢から覚める一撃を、叩きこんだ。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品