追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

互いに攻撃は強く、防御は弱い


 屋敷が広く感じる。

 元々大きな屋敷ではあるが、最近増改築をした訳でも無いので、実際に屋敷が大きくなった訳でも広くなった訳でもない。
 けれど、シキに来た頃から屋敷に居たグレイが居なくなってしまったという事実がそう認識させるのか、広く……というよりは、今までなにかがあった部分が無くなって、なにもない部分が増えた。それが広く感じさせる要因なんだろう。

――なんだかんだ、グレイの事が俺の中では大きかったんだな。

 分かってはいたのだが、こうしてしばらく戻って来ないという事を雰囲気で感じ取るとより思ってしまう。
 物が無くなるとか声が聞こえないとか、トトトと歩く、グレイ特有の足音が聞こえないとか。
 グレイに対する多くの情報が無くなり、「ああ、居ないんだな」と実感出来てしまう……ふと気づいてしまう事で、なんとも言えない物悲しさを覚えてしまう。
 可愛い子には旅をさせよとは言うが、それでも寂しさはあるのだと今改めて実感した。

――ともかく俺は、グレイが誇れる父として頑張らないとな。

 グレイが俺を誇りに思ってくれた上、実務方面を目標にする、なんて事を言ってくれたのだ。次に帰って来た時に目標とかけ離れた父親を見せる訳にも行かない。
 気持ちを切り替えて領主としての仕事を頑張らないとな!

「…………」
「…………」

 頑張らないと……

「あの、ヴァイオレットさん」
「なんだろうか、クロ殿」
「遠くないですか?」
「気のせいだろう。同じ執務室内だから、遠いという事は有るまい」
「いや、部屋の端で仕事し辛くないですか?」
「気のせいだろう」
「その回答はなにか違うと思います」

 そう、頑張らないと駄目なのだが。
 今日は俺もヴァイオレットさんも書類作業であり、同じ執務室にて作業を行っているのだが、なんだかヴァイオレットさんの様子がおかしい。
 相変わらず姿勢や所作は綺麗で見惚れはするのだが、仕事の進み具合がいつもより遅い。集中しきれていないと言うか、こちらをこっそりとチラチラ見ていると言うか、見ているのに俺が気づくのでこっそりしていないと言うか……心ここにあらず、という感じだ。

「…………」
「…………。なにか質問でもありますか?」
「っ! い、いや、なんでもないぞ」
「は、はぁ、そうですか」

 そして偶に俺をジッと見て来る事がある。流石にそこまでされると俺も気になって質問するのだが、この通りなんでもないと言って自分の作業に戻る。
 ……ヴァイオレットさんに見られるのは悪くはないのだが、見られると俺も緊張してしまう。先程ヴァイオレットさんの仕事の進み具合が遅いと言ったが、気になってしまうので俺も予定より進んでいなかったりする。

――……先程のグレイとアプリコットの発言のせいだろうな。

 そして集中出来ていない理由は分かっている。先程のグレイ達の発言……「弟か妹報告を待っている」という発言が原因だろう。
 グレイは純粋に、アプリコットは揶揄いも含めて発言したのだろうが、どうもそれ以降俺達には妙な間がある。
 仕事をしないといけないのに、別の事に気を取られてしまう……意識せざるを得ない、別の事が。

「ヴァイオレットさん、あの――」
「お茶を!」
「っ!?」

 なにを言うか決めた訳ではないが、なにか言って気持ちを紛らわせようとすると、ヴァイオレットさんが唐突に立ち上がる。

「カップが空になってしまったな。私はお茶を淹れて来るが、クロ殿は珈琲で良いだろうか!」
「え、ええ。お願いできますか?」
「うむ、角砂糖二個とクリームスプーンで二杯分だな、淹れて来る!」
「え、はい、お願いします」

 ヴァイオレットさんは俺の発言を聞くと、軽やかにかつ流麗にカップを回収して部屋を出て行った。
 …………間違いなく話題を逸らして来たな。珍しいくらい強引だけど。

「……ふぅ」

 俺はヴァイオレットさんが出て行った部屋で一人になると、誕生日プレゼントで貰った万年筆を眺めながら小さく溜息を吐く。

「意外だな」

 正直言うならば、ヴァイオレットさんの反応は予想外だ。
 多少意識はしても内心で留めていつものように仕事をするか、意識している俺を揶揄うかすると思っていた。
 あんなにも意識して、気になっています、といった反応をされるとは思わなかった。アレはアレで可愛らしく、愛おしいがやはり意外という言葉が出て来る。

「……俺だって気になるさ」

 前世の友人には「女に興味があるのか疑問だ」と言われ。
 ビャクには「母さんアレを気にせず異性に興味を持ったら?」と忠告され。
 今世の親兄弟には「関心なくとも相手は見つけろ」と釘を刺され。
 学園生時代の友人には「見ている性対象モノがなんか違う」と茶化され。
 シキの友人には「そういう所だぞ」と呆れられた。
 要するに俺は色んな奴らから、異性に対しての欲求が健全な若い男のソレとは違うと言われている。

「無いなんて事はない。それに……」

 別に性欲が無い訳ではない。というかヴァイオレットさんとも……。
 人並みに興味はあるし、知識もあるし、Rがかかったゲームだってやっていた。そういうシーンになったら流れだけ把握してスキップしたけど。
 授業やデッサンとしてではあるが、女性の裸体を見ては来たモノの、全てを芸術とか資料で片付けずにそういう目で見た事だってある。失礼だと思ったので出来る限り思わないようにはしたが。
 ただ、純粋に女性とそういった事をする、そういった関係になるというのは、前世の母などから意図的に避けていただけだ。ようは面倒くさい潔癖男になっていただけである。

「弟か妹……子供、か」

 俺にとっての三人目の子供。
 当然子供というからにはどうすれば良いかも分かっている。夫婦である以上憚られるものでは無い。しかし改めて意識すると恥ずかしいのもある。
 けれど……

「ヴァイオレットさんも健康的になって来たし……」

 ヴァイオレットさんのシキに来た当初は、あの身長165と胸で体重が四十キロ前半という生命の危機を覚えるものであったが、今は増えて健康的になってきている。それでも平均と比べると大分軽いが。

「……数少ない、二人きり、か」

 もう少し経てばお手伝いさんとして雇う人達がやって来る。
 彼ら二人は優秀だからその辺りの気遣いも出来るだろう。けれど、この屋敷の今は俺とヴァイオレットさんの二人きりだ。

「………………」

 …………。さて。
 誰に言うのでもない、自分に言い聞かせる言い訳はこの位にしておこう。
 意外な反応とか、避けているとか、俺が周囲からどう見られているかとか、夫婦として憚られないとか、健康的かとか、数少ない二人きりとか。
 当然それらも重要ではあるが、なによりも――

「…………。愛を、伝えたい」

 そんな単純な欲求が俺にもある。
 世界一の嫁に、俺が一番愛しているのだと伝えたい願望。
 そんな、彼女と会う前であれば思いつきすらしなかった、原始的な欲望。
 愛なんて綺麗な言葉ではあるが、ようするに……

「……さて。仕事を終わらせるか」

 俺は万年筆を手に改めて持ち、仕事を再開する。
 逃げている訳ではない、目を逸らした訳でも、代替としてしごとに打ち込んでいる訳でもない。
 単純にする事を決めたので、行うために邪魔なモノをさっさと終わらせようとしているだけだ。

――……今日は、早く仕事を終わらせてしまおう。

 俺はいつもよりも集中した状態で、仕事をこなしていくのであった。

「ク、クロ殿。調子はどうだろうか。グレイほどではないが、クロ殿に合うように珈琲淹れてきたぞ」
「ありがとうございます、ヴァイオレットさん。そちらに置いておいてもらえますか?」
「わ、分かった……。…………。では、ここにおいて――」
「ああ、その前に」
「え? ――んむっ!?」
「――ふぅ」
「ぷはっ!? え、クロ殿、い、今……!?」
「ヴァイオレットさん」
「は、はい」
「続きは仕事が終わったら、しましょうか」
「……………………。え」

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