追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

菫の春、とある日 -早朝-(:菫)


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 目蓋を閉じていても感じる朝日を感じ、目が覚める。
 自身の脳の回復具合からいつも通りの時間の睡眠をとったのだと、ぼんやりとした意識の覚醒途中の思考で感じ取った。

「う……ん……」

 私は上半身起こし、掛けられ布団を身体の上から剥がした後に、ベッドのサイドに移動して座った状態でボーっとする。

「ん……。…………」

 私は朝に強くない。正確には寝起きは上手く思考が働かない。
 しかし弱いと言うほどでも無く、覚醒に時間がかかる程度だ。ベッドに寝転がったままだと寝てしまう可能性があるのでベッドに座った状態になり、なにかをするのでも考えるのでもなく、ただボーっとする。

「…………よし」

 五分程度を覚醒に使い、私は立ち上がる。
 まだ目が完全に覚めきった訳ではないため足元が若干覚束ないが、慣れ切った足取りで洗面台へと向かった。

「……ふぅ」

 顔を洗い、意識が大分覚醒する。
 タオルでお顔を拭き、鏡を見る。昔と比べると健康的になった、髪の整えられていない私の顔が映る。

「よし」

 そんな自分の顔を見て、先程よりも意識をした自分を奮い立たせる言葉を吐く。そしてまずは髪を軽めに整え、部屋にあるクローゼットの前へと移動した。
 クローゼットを開けて今日着る服を決めた後、服を手に取って私は着替えを始める。
 私はバレンタイン家に居た頃から独りで着替えるのに慣れている。
 戦う事のない貴族であれば近侍などに着替えを手伝わせるのが常ではあるのだが、バレンタイン家では“身近な者であろうと隙を見せるな”という教えがあったので、着替えや入浴はある程度の年齢になれば独りでするようになる。
 これが夜会のドレスなど独りで着るのが困難な服であれば話は別ではあるのだが、着替え及び入浴という無防備な姿は他者に晒すものでは無い……つまりは他者を信じるなという話なのである。
 なので私は身の回りの事は一通り出来る。そのお陰で学園やこのハートフィールド家に来た時も特に問題無く過ごせていた。

――さて、朝食の準備をせねば。

 昔の事や身の回りの事はともかく、今は私の仕事をせねばならない。
 鏡の前で改めて髪を整え、服装を正すと私は朝食の準備をするために部屋を出る。
 今日の食事当番は私だ。本当は二日前であったのだが、季節の変わり目などが影響して少し体調を崩したので今日になっている。
 変わって貰って迷惑をかけた分、今日はより頑張ろうと意気込んでキッチンへと向かう。
 今朝に丁度よく発酵するように昨夜仕込んだパンの元があるので、それをクロ殿とグレイが起きて来る丁度良い時間に焼き上がる様にして出来立てを食べて貰うとしよう。

「~♪」

 と思ったのだが、屋敷の外から鼻歌が聞こえて来た。
 この鼻歌声は……

――クロ殿?

 廊下から窓の外を見ると、そこにはクロ殿が居た。
 どうやら鼻歌まじりに庭の花に水をやっているようである。

「~♪ ――あれ、ヴァイオレットさん? おはようございます」
「ああ、おはよう、クロ殿」

 私がゆっくりと窓を開けクロ殿を眺めていると、こちらに気付いたクロ殿が鼻歌を止めて挨拶をした。

「ええと……いつからそこに?」
「つい先ほどだよ。声をかけようとしたのだが、上機嫌なようであったから眺めていたが」
「う……聞かれていましたか」

 私の言葉にクロ殿は少し頬を染める。可愛い。
 クロ殿は鼻歌を含めて歌を聞かれるのが好きではない。
 なんでも「自分で音が外れているのは分かるのだけど、どう直せば良いか分からない」との事だ。だからこういった独りで上機嫌の時だけ鼻歌を歌う。それを考えると今日はレアな姿を見られて私も上機嫌である。

「今日は早く目覚めたのだろうか?」
「ええ、そうですね。先程軽くシャワーを浴びて、天気が良かったのでこうして外で水やりを。天気が良く、それに心地良い暖かさですし」
「確かにそうだな」

 クロ殿は水やりを一旦やめて、窓に近付きながら私と朝の会話をする。
 クロ殿の言う通り、今日は肌寒くもなく風の気持ちの良い天気だ。まさに春の陽気といった様子で、こんな日は外で火輪たいようの光を浴びたくなるという気にもなる。
 特に起きたての曙である今であれば外に出たくなる気持ちも分かる。
 分かるのだが……

「……クロ殿。早く目覚めたのではなく、寝てないのだな」
「うっ」

 私がクロ殿の顔を見ながら言うと、クロ殿は痛い所を突かれたかのような表情になった。

「やはりか。大方軽く寝たのは良いのだが、ふと深夜に目が覚めて、そのまま服を縫っていて気が付いたら朝日が昇っていた、と言う所か」
「…………」
「クロ殿ー?」
「……はい、仰る通りです」

 私が問い詰めるとクロ殿は大人しく白状した。
 最近のクロ殿はグレイやアプリコットが学園に通うようになるので色々と心配をしていた。そして「少しでも快適に過ごすためにも、衣服をちゃんとしたものにせねば……!」と思い立って最近届いた制服を調整したり、肌着を縫っていたのだろう。
 縫っていたら朝日が昇っていたため、中途半端に寝るくらいだったら起きていた方が良いと判断し、シャワーを浴びたという所か。……まったく。

「髪も乾ききっていないではないか。グレイが見たらまた怒るぞ。そして学園に行くにも躊躇いが出るぞ。“睡眠もきちんとせず、髪も整えない父上を置いて大丈夫なのでしょうか”とな」
「う……ごめんなさい」
「謝って欲しいわけではないのだが……」

 私が呆れた様に言うと、クロ殿は申し訳なさそうに謝罪をする。恐らく私の言った事をグレイがそのまま思うのだと思ったのだろう。そして反省しているようだ。

「今から少しだけでも寝た方が良いのではないか? そのままでは今日の仕事に影響が出るだろう」
「いえ、今更眠ると言うのも。中途半端になりそうですし、寝間着に着替える手間も有りますし」
「確かにそうだが……」

 このままだとクロ殿は私の朝食の準備の手伝いをしたり、朝食までの時間に裁縫や仕事をしていそうだ。
 クロ殿の言葉も分かるのだが、個人的には少しでも休んで欲しい。
 だが軽く言った所で聞いてくれなさそうなのも経験上分かっている。
 ならば……

「とうっ」
「!?  え、ヴァイオレットさん、何故外に……?」

 私は窓の縁に手を置き、はしたないがそのまま窓から外に出た。

「クロ殿、こちらへ」
「は、はぁ。なんでしょう?」

 突然の行動にクロ殿は驚きつつ、私が手招きして近付くように言うと疑問を持ちつつも私に近付く。

「少し屈んてくれ」
「は、はい」

 私の言葉に戸惑いつつも、言う通りにしてくれるクロ殿。
 ……よし、頭の高さも距離も丁度良いな。

「えいっ、――やぁ!」
「っ!?」

 そして掛け声と共にクロ殿の不意を突き、腕で頭を引き寄せ、抱きしめる形をとる。
 普段であれば身長差から私がクロ殿に抱きしめられる形になるのだが、今は屈んだ所をホールドしたので私が抱きしめる形となる。

「な、なにを……!?」

 なにが起きたか分からず困惑し(若干の照れも混じっている)、抱きしめられつつ私を見てなにをしているのかと尋ねて来た。

「なに、クリームヒルトやメアリーがこういった形をとると男性は安らぎを得ると聞いたのでな。こうしていればクロ殿も眠ってくれるかと思ったんだ」
「アイツら……」

 私が説明をすると、この地には居ない二人の女性に対し「次に会ったら覚えておけよ」というような複雑な表情になっていた。
 ……恨むのではなく複雑な辺りは、少しは効果はあったという事なのだろうか。

「という訳で、クロ殿が安らぎを得て眠るまでこうしていようかと思う」
「いえ、あの……この状態じゃ安らぐに安らげないのですが……というか」
「恥ずかしくないのか、という問いは受け付けない。察してくれ」
「えー」

 この行動は恥ずかしいかと言われれば恥ずかしい。だが必要だからやっているのだ。……やりたくなかったかどうかと聞かれれば、やりたいからやったのではあるが。

「…………」
「どうした、クロ殿」
「……いえ、思ったよりも心地良いんですね。人に抱きしめられるのって。俺は抱きしめられる事はあまりないんで」

 それはよく分かる事ではある。私自身もクロ殿に抱きしめられるのは心地良い。
 ただそれはクロ殿といった相手に好意があるからこそ成り立つ感情だ。それをこの行為で感じてくれるのならば、私も少し嬉しい。

「心音が結構心地良くて、安堵できる温もりで、それに……やわ……」
「クロ殿?」
「……思ったよりも……これは……。…………」

 最初は戸惑っていたクロ殿はしばらく抱きしめていると、だんだんと力が抜けていき言葉が途切れ途切れになっていく。
 ……春の心地良さがあるとは言え、こうして眠くなるという事はどうやら思ったよりも寝ていないようだ。

「はい……朝食には……起こしてください……おやすみ、なさい……」
「そのまま眠ってくれて良いぞ。私の事は気にするな」

 私がそう言うと、クロ殿は小さな寝息をたてて眠りを始めた。
 相変わらず可愛らしい寝顔は、こうして間近で見られただけでも役得というモノだ。

「おやすみ、クロ殿。少しの間でも良い夢を」

 私はそう言って眠るクロ殿の額にキスをする。

 今日は良い日になりそうだ。

「うぅ……中年男性が、高校生に……うぅ……」

 ……なんの夢を見ているのだろう。

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