追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

以前も今もよく見ようとした


 小さな怒りの表情。叱るという意味での怒りの発露。
 俺と出会った日の夜には俺の言葉に怒ろうともしていたが、シキに来てからのヴァイオレットさんの表情として、“怒”の感情として思い起こすのはそのくらいだ。
 クリームヒルト曰く、学園では静かでありながら常になにかにイラつき怒り、すぐに激昂するような性格であったのだが、シキに来てからは怒るという感情はあまり見せなかった。
 偶に俺関連でよく分からない感情の昂らせ方はするが、それはお互い様であるし、学園に居た頃に見せたという怒りの感情とは別物だろう。

「そういう役回り。私はあの光景の貴女と違って、か。――よくも言ってくれたな、スカイ」

 だが今のヴァイオレットさんは感情を昂らせていないだけで、明確に怒っていた。
 怒っている姿もなんだかんだ魅力的だとは思ったりもするが、それはそれとして俺も気後れしてしまうほどには感情を秘しきれていなかった。
 ただ怒りの感情は怒りの感情でも、悪意を伴わない、種類の違う悪意と言うべきか。

「ええと、ヴァイオレットさん。大丈夫でしょうか……?」
「はは、クロ殿。大丈夫かとは不思議な事を聞くな。私はこの通り落ち着いている」
「は、はい」

 俺が恐る恐ると聞くと、ヴァイオレットさんはあくまで冷静に答えを返した。
 しかし最初の“はは”が怖い。とても怖い。それだけでこれ以上触れない方が良いのではないかと思うには充分すぎる程であった。

「う……うぅ……」

 そして縛るという役割上、スカイさんの背後に居るフューシャ殿下もヴァイオレットさんの感情のとばっちりを受けていた。だけど役割を放棄していないあたりは真面目と言うかなんと言うか。
 ……後でなにか声をかけた方が良いのだろうか、あるいはクリームヒルトかグレイに頼んだ方が良いのか。

「私は」

 全員が黙る中、ヴァイオレットさんが口を開き全員がビクッと身を震わせる。

「私は、お前がクロ殿に愛の告白をし、同じ結果が待っていたとしても、今日と同じ事はしない」
「……本当ですか」
「勿論だ。好きな相手に拒否をされる絶望は私はよく知っているつもりだ」

 それはかつてヴァーミリオン殿下を本気で好きでありながら、好きでいた事は無いと言われ、他の女性メアリーさんへの好きという感情を見せつけられた事。
 ……俺はスカイさんを年下の異性の友人と思ってはいるが、やった事自体はそう変わらないのだろう。

「だから、どう足掻こうとも、私が出来る事と言えば触れずにそっとしておくくらいだろう」
「……なら何故、このような事をしたんです。」
「決まっている。今のスカイに腹が立っているからだ。どうしようもなく、今までにもないほどな」
「だから、何故――みぎゅっ!?」

 腹を立てていると言葉にするヴァイオレットさんに、スカイさんは拘束されたまま、ただ何故と疑問を投げかける。
 それに対してヴァイオレットさんは、スカイさんの両頬を右手で挟み込んだ。

「決まっているだろう。――よくも半端な気持ちで、私の夫に傷を残そうとしてくれたな」
「で、ですからそれは謝って――」
「お前が本気でクロ殿に告白をするのならば……良くは無いが、同じ男を愛する者同士で気持ちを汲んで、触れずにいるつもりであった。良くは無いが」

 何故二回言ったのだろう。
 だがヴァイオレットさんは何故ここまで怒っているのか。そこが分からないまま、ただ緊張した空気が周囲を包んでいる。

「……私はな。スカイといると楽しく思う。……学園に居た頃には相容れず、今も言い合いが多いが、友人と言っても良いと思っている」
「え……?」

 しかし次に出てきた言葉は、少し予想外のモノであった。

「スカイと再会し、何気なくクロ殿への牽制を受けてはきた。油断ならぬ相手だと思っていた。……だが、お前と一緒にクーデターのリーダー格らしき男の所に行く前に、お前が私のお腹に耳を当てて来たのを覚えているか?」
「……ええ」

 後から聞いた事なのだが、お腹に耳を当てるとは、スカイさんはヴァイオレットさんのお腹にグレイ……赤ん坊が居ると思い、その鼓動を感じたかったらしい。
 だが当時に当然いるはずがなく、ちょっと言い争いをして、スカイさんはその時に「レスなら先に奪えば行けるのでは……?」とか思ったとの事だ。

「意外な一面を見た気がした。他にも温泉の仕切りが壊れている事に気付かずに湯につかり、誰かが来た事に気付いて全裸で箱に隠れたり……」
「い、言わないでください」
「……学園に居た頃に私に無い美しさを持ち、妬んだ女性が持つ可愛らしい一面に、私は楽しかったのを覚えているよ」
「え……貴女が、私を妬んだ……ですか?」
「そうだ。私にはない方法で強くあろうとするお前に、私はある種の尊敬を抱いていたんだ」

 揶揄いの言葉を続けていたヴァイオレットさんから出てくる言葉に、スカイさんは何故そう思ったのか――学園に居た頃に、そのように見ていたのかと思う感想に戸惑いを見せた。

「逆境の中でも騎士然としてあろうと己を鍛え、既に護衛の仕事も任され、それでいて子供にもあたりが良い。私には無いモノばかりで、良く妬んだよ。……とはいえ、そうだとしても学園に居た頃の私はお前に対して酷いモノだったんだがな」
「…………」
「……だが、シキで再会してからは、言い争う事は多くとも、悪くない関係を築けると思っていた。なにせ楽しくはあったからな。……スカイは、違うのか?」
「それは……否定はしません。だから私は一度身を引こうと思ったんですから」
「……そうか」

 頬を掴みながら言うヴァイオレットさんは、なにかを懐かしむかのように、フ……と微笑む。
 だが次の瞬間には、再び睨みつけるような視線をスカイさんに向けた。

「しかし今のお前はなんだ。有りもしない事に気を取られ、過去の自分を否定し、自暴自棄で告白をしている。――ああ、本当に腹が立つ」

 そこまで言った所で、ヴァイオレットさんがなににここまで怒っているのかハッキリと分かった。
 ヴァイオレットさんはあの乙女ゲームカサスはあくまでもあの世界のよく似た世界で、今ここにある自分こそが大事だと思っている。

「……スカイ。お前は、誇るべきだったんだ。過去の努力を否定せず、今の気持ちは本物なんだと」
「…………」

 だが同じ光景を見たであろうスカイさんはそうはならなかった。
 それは俺達がこの世界をどう認識していた事に対し、“自分が物語の登場人物に過ぎない”と認識してしまえば、自分の行為が筋書き通りに過ぎなかったと思う、なんとも言えない状態に陥ってしまうという事。
 ヴァイオレットさんは……俺やクリームヒルトが心配していた事に陥ったスカイさんに怒っているんだ。
 なによりも友人だと思うようになった、スカイさんだからこそ……俺と会った初日のかつての自分の様に、今までの事を否定しているスカイさんに腹を立てているんだ。

「だが同時に安心したよ」

 そしてヴァイオレットさんは腹を立てている事を伝えた後、何故か満面の笑みを浮かべた。

「スカイ・シニストラという女は、自分を信じる事が出来ず、クロ殿……クロお兄ちゃんへの愛は、ここにはないスカイ・シニストラのために放り投げる程度のものだったんだ」
「は?」
「――その程度では、元々勝ち目のない事だったんだ。良かったな、変な景色を見たせいだと言い訳が出来て」

 わぁ、我が妻は満面の笑みで煽って来た。

「……――れて」
「なんだ、聞こえないぞスカイ・シニストラ」
「よくも、好き勝手言ってくれましたね! この性格が悪い高慢ちきな元公爵家令嬢の癖に!」

 そしてスカイさんはその煽りに対し、喧嘩を買う事で対応した。
 念のために俺はフューシャ殿下の所に移動し、触れない様に気を使いつつ離れるように仕草で誘導した。

「うむ、私は性格が悪く、酷い事をする女だ。だが残念だったな! 私は今を生きる女だから、クロ殿との新婚生活を味わう事が出来て幸せだ! 気持ちが曖昧なお前にはない愛をクロ殿に向けているからな!」
「うるさいんですよ、結婚して半年近く乙女を保っているような変な新婚生活を送っていたくせに!」
「ぐっ!」

 やめてスカイさん。その言葉は俺にも効く。
 そしてフューシャ殿下は複雑そうな表情を俺に向けないで。

「中々に言うな、スカイ……!」
「私の気持ちは本物です、それを否定されて黙っていられますか!」
「ふん、あの程度の景色を見た程度で、クロ殿への愛情が揺らぐような気持ちが本物だと言えるのか!」
「うぐ。確かに貴女があの景色を見た上で、先程の指示の時のような接し方をしていたとしたら、貴女は本物だとは思いますが……私だって本物なんですよ!」
「ほう、証明できるのか? 言葉だけでは意味が無いぞ?」
「さ、さっきみたいに私の身体を触らせても……」
「それはお前の性欲を満たす行為だろう」
「うぐ」

 ……というか、目の前で俺の事を愛しているだの証明しろだの言われているのだが、なんだろうこれ。嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分である。
 それを察しているのか、フューシャ殿下はヴァイオレットさん達からつい目をそらした俺と目が合った時、同情するような慈愛の笑顔を向けて来た。

「――いいえ、その満たされる行為こそが本物と言えるのです」
「ほう?」
「先程も言いましたが、知らぬ相手、好きでもない相手に触れられたところで不快なだけです。ですが触れられて私は得も言えぬ幸福を得た――好きな相手に、大切な部分を触れられて幸福と言う、愛情を感じたのです」
「うむ。くすぐりと同じで、好意を抱かぬ相手の接触はただの異物で、感触が良いモノではないと言うからな」
「あまり好きな答えでは無いですが、性欲だって欲求。満たされるのならば、それは好きの一つとして否定してはならないんじゃないですか?」
「そうだな。だが食欲が飢えに苦しめば対象が質素でも、少しは満たされれば良いと判断するようなものかもしれないぞ。いや、クロ殿を質素と言うのならば許さんが」
「自分でなにツッコんでんですか。でもクロお兄ちゃんは最上ですから、誰が相手でも満たされる可能性はありますね……」
「成程、最上級の料理は、誰もが美味いと感じる様なモノか……」

 この方達はなにを真面目に話しているのだろう。
 そしてフューシャ殿下。今このタイミングで左手をニギニギとさせて、まるで先程の感触を思い出すかのような仕草はやめてください。

「あ、そうです。いっその事もう一度触らせて、反応を――」
「駄目だ。先程はお前への嫌がらせのためにやったが、もうさせん」
「嫌がらせと認めましたねこの性悪女」
「生憎と私は何処かの誰曰く、その誰かと違って見れば幻滅されるような性格の女らしいからな。性悪なんだろう」
「くっ、嫌味ったらしく返してきましたね……! ……あ、そうですか。そういう事ですか」
「なんだその反応は」
「いえ別に良いんですよ。そうですよね。もう一度私に触らせれば、クロお兄ちゃんが私の身体に夢中になってしまうことを危惧しているんですね」
「……なに?」
「ふ、だらしなく大きい生乳を顔面に押し付けた事故よりも、キチンと触らせた私の均整なモノの方がクロお兄ちゃんは好きで――」
「黙れ色気が無い事を普段から悩んでいるスカイ」
「う、うさいですんや! どうせ貴女あんたと比べると私は胸も小さいですし、固くて色気が無いですよ、ばーか、ばーか!」

 なんだかスカイさんが子供の様になっている。
 ヴァイオレットさんも気にしている事を言い過ぎたと一瞬思ったようだが、その前の台詞が聞き流せなかったのもあって謝らずにいるようである。

「大体貴女は――」
「そういうそちらこそ――」

 そしてヒートアップしていくお二人。
 ……止めた方が良いのかもしれないが、すぐには止められないな、コレ。情けない夫で申し訳ございません。

「……クロさん」
「なんでしょう、フューシャ殿下」
「もういっそのこと……揉み比べて……どっちが良いか……選べば……解決するんじゃないかな……?」
「それ遺恨しか残らない気がするんです」
「……だよね。……ごめん」

 というか俺に判断できる訳ないと言うか、俺の気力が持たないと言うか。

『いや、それです!』
「なにが“それだ!”ですか。絶対にやりませんよ」

 そしてそれを聞いていたヴァイオレットさんとスカイさんが、何故か妙案かと言うように声を揃えてフューシャ殿下の意見を採用しようとした。
 ……なんだかんだ言いつつ、仲良いのかもしれないな。

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