追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

黒幕は(:茶青)


View.アッシュ


 赤く染めている血は先程のクリームヒルトのような返り血ではなく、服の上にまで滲み出た血であった。傷部分はまだはっきりと見えていないが、服の裂け具合と血の色の濃さから見て腹部からのモノだろう。

「治療を!」

 何故此処に、という疑問は既に霧散していた。ただ事実としてローズ殿下はここにおり、大怪我を負っている。ならば出来る事は今すぐ応急手当を行い、専門の医者に見せる事だ。
 呼吸や脈拍、意識があるかを確認し、そして傷の状態を見てすぐに消毒をして簡易的に塞ぎ、安静にさせる。
 この御方は王族の中でも私が最も尊敬する素晴らしき御方だ。なにがあってもここで死する事だけはあってはならない――

「下手に動かさないで。今治療したばかりなんだから」
『っ!?』

 そしてローズ殿下に気を取られ、もう一人誰かが居る事に気が付かなかった。
 ローズ殿下を守る形で体勢を咄嗟に整えながら、その声の持ち主の姿を確認し、

「ヴェールさん!?」

 シャルの母親であるヴェールさんが、怪我をした状態で立っていた。







「すまないね、この家に緊急避難した後に、ローズ殿下を治療したまでは良かったんだが、治療道具がきれていてね。探していたんだが……」
「そこに私達が来た、と」
「そういう事。良かったよ、自分で治療するには難しい所だったからね」

 私達はヴェールさんの治療を行っていた。
 普段のような大魔導士アークウィザードの服ではあるが、鍔の広い三角帽子エナンはかぶっておらず、煤などで汚れて打ち身や傷と言った怪我を負っている。

――この方がここまで傷を負うとは……

 ヴェールさんは魔法部門では最高峰の大魔導士アークウィザードを冠する、王国内でトップクラスの実力者だ。
 研究方面でも優秀だが、実働部隊も率いるだけあって戦闘方面は素晴らしく、今の私ではカーバンクルの力を借りて良くて2:8程度。
 そんな彼女が傷を負い、自己で出来る範囲を超え私に治療を求めてくるほどに傷を負うとは……

「はは、しかしアッシュ君に治療される日が来ようとは。あんなに小さかったのに、大きくなったねぇ」
「大きくなってからも何度も会っているじゃないですか」
「そうだけど、こういう時に成長を意識するものなんだよ。いやー、若いって良いねぇ。まさに老化じゃなくて成長、だからねぇ」

 傷を負ってはいるが、こうして明るい雰囲気を出せるほどには大丈夫のようで……いや、これは心配かけさせまいと無理に明るく振舞っているのか。
 今もこちらに変に気を使われない様に、治療による痛みを我慢しているように見える。そして我慢できずに小さく唇の端を歪ませるほどには痛むようだ。

「それに対して私は不覚を取りこうして治療を受ける身だ。やれやれ、年は取りたくないモノだ。身体も鈍ってきているのかね」
「ヴェールさんはまだまだお若いじゃないですか」
「ありがとう。では治療で脱いでいるし、ついでに下着ブラも取って私の上半身裸を見るかい?」
「何故そうなるのです!?」
「よく言うじゃないか、愛と性欲は別物であると。ついでに男は人妻にはある種の興奮を覚えるとも聞く」
「そういった男性も一定以上居るのは否定致しませんが……」
「若いと思うのならば興奮は覚えるだろうさ。君も若いから、そういうのには興味があるだろう。大丈夫、維持もしているしそれなりに綺麗だと言う自負もあるし、見るだけなら良いよ。そしてこれはいわゆるセクハラさ」
「セクハラと自分で仰るのですか」
「なに、昔はお風呂に入って、二十代だった私の身体を触りまくった挙句、抱き着いて“胸に顔が包まれる!”とかやったじゃないか。今更なにを恥ずかしがる」
「昔の話です! というかそこまでやっていません!」

 ……いや、どっちだ。
 ケラケラと笑いながら、治療が終わって服を着始めているので冗談なのだろうが……こういう事を言う方であっただろうか。

「あの、昔性的に無知が故に美味しい思いをしていたけれど、成長して興奮を覚える事になり、友人の若く綺麗な母親に性的興奮と背徳感を覚えている所悪いんだが」
「誰がそんな事していますか」

 一体なんの話だというのだ。

「ああ、エクル君、そっちはどうだい?」
「大丈夫です。ヴェールさんの治療のお陰で、特に問題はないかと」
「そうか、良かった」

 ローズ殿下の容態を確認していたエクル先輩は、ローズ殿下をこの家のベッドに寝かした状態で問題無いと告げてきた。
 どうやら私達が来る前にしていた治療のお陰で、エクル先輩自身はこれと言った治療を行わずに済んだようだ。

「では、専門の医者の所に――」
「いや、後は私がどうにかするから、君達は気付かれない様に裏から出ていきなさい」
「え?」

 しかしなんの後遺症が残っているか分からないので、専門の医者を呼ぶか連れて行こうとすると、ヴェールさんに止められた。
 何故そうするか分からず、私達はヴェールさんのその発言の真意の言葉を待つ。

「下手にローズ殿下を動かす事は出来ない。容態の話ではなく、知られては困るんだよ」
「知られる……誰にです?」
「今シキを襲っている黒幕にさ」

 黒幕。その言葉に私とエクル先輩は反応する。
 ヴェールさんはこの状況について私達の知らないなにかを知っているのだろうか。

「……“彼”は元々準備していた計画を、ローズ殿下に知られそうになったから強行し、邪魔になるからと黙らせた。……君達はこのシキに居る不審な相手を見なかったかい?」
「つい先ほど。この家の裏手で」
「裏手? ……ああ、だから君達が来たのか。ともかくその者達はある種の洗脳を受けている」

 洗脳という不穏な言葉に、私達が思い浮かぶのはやはり言霊魔法だ。
 そして先程の倒れていた者達の魔力について考えると……

「ですが先程倒れている彼らを見ましたが、洗脳を受けるというには少し違和感があったのですが」
「違和感があって当然だよエクル君。なにせその者達は洗脳を受けているという自覚は無く、自分の意志で行動しているんだから」

 洗脳なのだから自覚がないのは有り得ない話ではないが、ヴェールさんの言う言葉にはどこか含みを感じられる。それには自分も信じられない事があったが、事実としてあるのだから自身に言い聞かせているように思えた。

「……可能ならば君達は薬屋の【エリクサー】に行ってくれ。先程その場所から特殊な魔法を感じた。そしてそこにこの黒幕が目的としている人物がいるかもしれない」
「それは一体誰でしょうか」
「クロ君だよ」

 ヴェールさんは溜める事無く、あっさりと目的の相手の名前を言う。
 それは簡潔であると同時に、この王族すら巻き込んだ出来事はたった一人の男……クロさんだけのために行われたモノであると言っているように聞こえた。

「そこに黒幕の彼も居るかもしれない。――カーマイン第二王子が、ね」

 そしてヴェールさんは黒幕の名前も躊躇う事無く口にしたのであった。

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