追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

無表情(:菫)


View.ヴァイオレット


「……オーカー。あの、オーカー?」
「そうだ。オーカーOcherシモンズSimmons大司教だ」
「あの……」

 シアンは信じられないかのように、私に名前を確認する。
 いや、信じられないというよりは信じたくないという様子である。
 だがそう思うのも無理は無いだろう。シアンにとっては思い出したくもないし、聞きたくもない名前であろうから。
 オーカー・シモンズ。
 シアンやスノーホワイト神父が信仰し、私達王国の国教でもあるクリア教の大司教。
 かつてシアンを襲おうとし、シアンに殴られて逃げられて、逆恨みしてシアンを背教者に仕立て上げた男。
 さらには多くの修道女を喰い者にし、権力を盾に好き勝手やっていた腐った男。

「あの男が、クロに容疑をかけて捕まえて……」

 そんな男が今回クロ殿に容疑をかけ、騎士団の指揮を行った。その事実をゆっくりと受け入れようと言葉を口に出して言う。

「あの男、なにが目的で!! いや、どうせ碌な事じゃない、今すぐ指揮を受けている騎士団の奴らを締め上げる!」

 そしてシアンはやはりと言うべきか、今までにないほどに激昂した表情になり、すぐに教会に向かおうとする。
 今行った所で当の大司教は居ないのだが、敵の区別が曖昧になっており、居ないと理解した上で関与している相手を全て憎しと考え乗り込む気だろう。

「落ち着け、シアン」
「落ち着いていられない!」

 それを私は肩を掴む事で、動きを抑えた。
 身体能力を考えると私で抑えられるはずはないのだが、抑えられているのは着付け中というのと私相手には本気を出せないと自制心が利いているお陰だろうか。

「アイツの事だから私への嫌がらせとしてクロを捕まえようとしているかもしれない! “私が居るだけで周囲に被害が被る”とか、私を追い詰めるためだけにそういうねちっこい事をする男だよ、思い通りにさせて――」
「落ち着いてくれ。……シアンが暴れると、相手の思い通りで、クロ殿が責任を負わされるかもしれないからな」
「ッ……! ……ごめん、イオちゃんだってクロが捕まって冷静でいるのが難しいのに、頭に血が上って私の事しか考えられていなかったよ……」
「いいや、落ち着いてくれたのならば良いんだ」

 ならばその自制心が働いている内にシアンに落ち着いて貰うように冷静に言葉をかけると、シアンは私の言葉で落ち着いてくれた。
 落ち着かないようであったのならヴェールさんに頼む所であったが、それは無用の心配であったようだ。

「……クロの件、聞いておいて良かったかもしれない。神父様と一緒に帰ったら、多分あの男の名前を聞いた途端掴みかかったと思う。聞かせてくれてありがとう」
「私は説明しただけだ」
「ところでスノーホワイト君が身近に居れば、むしろ抑えられるんじゃないのかい? ほら、好きな相手の前では、ってやつ」
「ううん、恥ずかしい話だけど、あの男の事を聞けば今見た通りになるから……それに、神父様は誰かを止めるの結構苦手だったりするから……」

 シアンは落ち着いてから一つ深呼吸をし心を落ち着かせると、私に感謝の言葉を言う。そして自己分析にヴェールさんが疑問を抱き、シアンは少し沈んだ面持ちであのまま教会に帰った時を想像していた。
 確かに神父様は気持ちが入れば強気で止めるのだが、通常であれば誰かの気持ちを否定するのは苦手であるな。

「それで、これからどうするの? 私に手伝える事があるなら手伝うよ。それに私が原因だろうし……」
「そこは気にしなくて大丈夫だ。もしクロ殿がここに居るとしたら、“それを気にされる方が居心地悪くなる”と言いそうだ」
「う、確かに言いそう。……うん、今は気にしないでおこう」
「ああ、もしも必要が有ったら、無事終わったらクロ殿と一緒にお酒でも飲んでやってくれ」
「……うん。――よし、切り替えた! ともかく神父様もそうだろうし、コットちゃんやリアちゃん、普段は色々言うエメちゃんやアイ君だって協力はしてくれると思う」
「私は立場が色々邪魔するけど、個人としては協力するよ。まぁ限られるだろうが、私としては彼を好ましく思っているからね」
「……ありがとう」

 シアンは自身の頬を叩き、ヴェールさんはその様子を見て微笑み改めて私を見ると、協力を申し出てくれた。
 これは彼女達本来の性格や、私に対しても少しはあるかもしれないが、今までのクロ殿の行動から得られたであろう協力の申し出であろう。恵まれた環境に居るのだと思うと私は感動を覚えたが、この感動は終わった後にとっておこう。
 他にも協力を仰げるならば協力を願う……あまり迷惑をかけられないが、そうも言っていられない可能性もある。見極めが大切――

――む、先程から静かだな。

 私が感動し、空気がこれからについて前向きに考えようという明るい雰囲気になろうとしている中、とある事に気付いた。
 グレイ達は今頃部屋の案内で、そろそろ戻って来るかどうかという頃だが、この場に居るのは女が四名。だが先程から言葉を発していないのが一名居た。
 彼女はシアンへの変わった着付けをしようをした状態で止まっていた。

「クリームヒルト――」

 私はいつもは明るいクリームヒルトが不思議なほどに静かである事に気付き、どうしたのかと思い名前を呼んだ瞬間、彼女の様子いじょうに気付いた。
 私の呼びかけに対し、同じように彼女の方を見たシアンやヴェールさんも気付き、言葉を詰まらせた。

「そっか――」

 叫びもしない。
 感情の発露もない。
 先程のシアンの様に力でどうにかしようとしている訳では無い。
 先程のシアンの様に激昂し怒った表情になっている訳でも無い。
 静か。無表情。
 だが私が彼女を見て感じたのは――

「――黒兄がまた連れていかれるんだ」

 言霊魔法に操られていた時の、狂気にも似た明確な怒りの感情であった。

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