追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
デート、黒と菫の場合_1(:菫)
View.ヴァイオレット
デート、というのは単語上の意味は知ってはいる。
クリームヒルトやメアリーなどからもどういうモノかの説明(大部分が妄想)は受けている。
公爵家に居た頃は興味なく浅はかなモノであると見下し、避け。
最近だといつかはするのだろうかと夢想はしていたが、夫婦となっている上に仕事も忙しいので来る事はないかもしれないと半ば諦めていた事柄。
そのデートを今、私達は行っている。
嬉しさと期待が入り混じったクロ殿との初デート。
不安と緊張が襲い掛かって来る愛しの夫との初デート。
手を繋げるのは嬉しいが、手汗は酷く無いかとか。
急であったため、身支度はあまり出来なかったのでもっと準備しておきたかったとか。
だけどこうしてデートを出来ている事はなによりも嬉しいとか。
私はクロ殿を楽しませる事を出来るのだろうかとか。
様々な感情が渦巻いている。
「ヴァイオレットさん、どうされました?」
感情が渦巻いている中、不安で視線が少し下がっているとクロ殿が立ち止まり、私を心配そうにのぞき込んで来た。
「いや、なんでもない」
「そうですか? 人混みが辛かったら休憩しますから言って下さいね。あまり慣れていないでしょうから」
「大丈夫だ。気遣い感謝する」
心配そうにこちらを見るクロ殿も良いのだが、心配させていてはデートとしては良くない事くらい私にも分かる。
心の準備無しにまさかのデートであったので上手く落ち着けないでいるようだ。まずは精神を落ち着かせねば。
「しかし、蚤の市か。この街は活気溢れているな」
「そうですね。蚤の市とはいえ、首都の露店のような食べ物の店も出ているようですが……あ、人が多いので逸れないでくださいね?」
「大丈夫だ。私がクロ殿の手を放す事は無い」
「俺もヴァイオレットさんの手を放さないですから」
「では逸れる事は無さそうだな」
「ですね」
そんな会話をしながら私達は小さく笑い、不思議とリラックス出来たので再び蚤の市を見て回る事を再開する。
私はこういった所に来た事があまり無いので、どうすれば良いかはよく分からない。
シキで蚤の市を開く場合の参考に市場調査を行う……という事はしないだろう。そういった意味ではなにをするかも、どう楽しむべきかも分からない。
「見て下さい、アレがこの街の特産のガラスで作った入れ物らしいですよ。以前来た時は色々あって良く見れはしなかったんですが、綺麗ですね」
「綺麗だな。ステンドグラス……とは少し違うようだな。この色遣いは私の好みかもしれん」
「良いですよね。気に入ったものがあればなにか買いますか。家族で使うような親子マグカップ、とか」
「それだとグレイが“このマグカップの時に美味しく淹れる温度を見極めねば……!”などと言いそうだな」
「はは、確かに言いそうですね」
だがクロ殿が隣に居て、なにかを見て回って互いに感想を言い合う。
私の歩幅に合わせ、手を繋いだまま隣を歩いてくれるクロ殿。
偶にさり気無く少し前に出て人混みを避けるように壁になってくれたり、横を歩いているとクロ殿の肩が私の肩に触れて不意にドキッとしたり。
そんな風にクロ殿と過ごすだけでも、楽しいという事は分かる。
「あ、ヴァイオレットさん。アレを食べましょう」
そして楽しみながら歩き回っていると、クロ殿が進行方向とは違う方向を見て私に告げてくる。
私もその方向に目を向けると、そこにあったのは……クレープという名の食べ物やであった。クレープというのは共和国にあるあのパンケーキのようなモノだろうか……と思ったが、少し違うようだ。
薄い生地の中にケーキのようなクリームや果物が入っている。そして手で持てるようなモノのようだ。それ自体は構わないのだが。
「今はまだお昼には微妙な時間であると思うのだが」
「良いじゃないですか。お店を予約している訳じゃないですし、食べ歩いてみましょうよっ」
私が疑問を言うと、クロ殿は普段よりも声色が弾んで答えを返した。
ふむ、これは……
「それに甘いモノですよ。ヴァイオレットさんだって甘いモノお好きでしょう?」
「好きではあるが……クロ殿が食べたいだけでは無いのか?」
「あ、バレましたか」
やはりクロ殿は甘いモノを見て食べたくなっているようだ。
食後のデザートなどと言ってグレイと一緒に甘いものをよく食べる、甘いモノに意外と目が無いクロ殿だ。あのクレープを食べてみたいのだろう。
普段は栄養が偏らないように食べ過ぎは注意しているのだが、甘いモノを楽しみにするクロ殿やグレイの表情は可愛らしいのでつい食べるのを許してしまう。今もそうなので可愛くて今すぐ食べさせてあげたいと思ってしまう。
それに、今のうちに甘いモノを食べられてしまうと、帰ったら渡そうと思っているチョコレートケーキが喜んで貰えるか不安に……
「是非食べてみたいです。色んな味を楽しみたいので、一緒に食べてくれると嬉しいです。分けっこしましょうよ」
「そうだなっ!」
くそう、そんな楽しみな表情をされてしまっては断れないじゃないか。それに分けっこという表現が可愛らしい。それに一緒に食べ合うとかなんだそれやってみたい。とにかく断れる要素が無い。我が夫が可愛い。
「ヴァイオレットさんはなにが良いですか?」
「では……イチゴで」
「じゃあイチゴとバナナ下さい。こちらが丁度です。……はい、ありがとうございます」
クロ殿はクレープを買うと、手際よく店員が作り右手で二つ受け取り、一つを私に渡してくる。
……甘い香りで、美味しそうだ。美味しそうなのだが……ひとつ気になる事がある。
「これを……食べながら歩くのだろうか」
周囲を見る限り、このクレープは……というか、他の食べ物を売っている場所の食べ物を持っている周囲の者達は食べながら歩いている。
行儀が悪い……とは思うのだが、皆がやっている事なのでここではそれが普通なのだろう。
郷に入っては郷に従えだ。それにならって私も食べながら歩こうとするが。
「んむっ……あっ……」
しかし食べようとすると上手く食べれず零れそうになるので、補おうと食べる事に集中すると歩みが鈍くなってしまう。というか止まる。
外でこういったモノを食べるのは、カナリアが作っている手で摘まめるキノコ料理で経験が無い訳では無いのだが、このように食べ歩くのは経験が無い。せめて両手を使えたらいいのだが、片手は塞がっているのでどうしようもない。
「ヴァイオレットさん、そこで座って食べましょうか」
「む……すまない、クロ殿」
「いえ、急いでいる訳じゃないんですから、ゆっくり食べましょう」
私の様子を見て、クロ殿が気を使って近くの座る場所、妙なモニュメントがある所に近寄っていく。
そしてクロ殿がクレープを持ちながら片手で器用にハンカチを取り出し、私が座る場所に置いてくれたので、私は礼をしてその上に座った。
そしてクロ殿も横に座って、一緒に互いのクレープを食べる。
「うむ、美味しいな」
「はい。美味しいですね」
「生地は……以前作ったシュトゥルーデルと似たようなモノだろうか? 焼きたてで薄くて美味しいな」
「あれ、ヴァイオレットさんはクレープを食べた事ないんですか?」
「このように果物や生クリームを挟むのは食べた事ないな。パンケーキに近い形なら共和国で食べた事は有るのだが。クロ殿はあるのか?」
「前世ではありますね。外国発祥で、日本でも人気だったので。俺にとってはその時と同じ外見だったのでついはしゃいじゃいました」
うむ、知ってる。可愛らしくはしゃいだものな、クロ殿。
しかし面白い発想だ。これなら手軽に食べる事はでき、中身を変えるだけで色んな味を楽しめる。
この街は諸外国と貿易が盛んなようなので、こういった発想が生まれるのかもしれない。地域の特色、というやつか。……そういえばここはエクルのフォーサイス家の手が伸びていたな。クロ殿がこのクレープを前世から知っていたという事は……もしかしなくてもメアリーの発想だったりするのかもしれない。
「薄くて……生地やクリームの甘さは……それに焼き加減……ふむ」
「ヴァイオレットさん、もしかして作るつもりですか?」
「そうだな、作ってみたいとは思う。そうすればこの美味しさをシキでも味わえる上に、クロ殿の今のような喜ぶ顔が見られるからな」
「そ、そうですか……」
ならば覚えないという選択肢はない。
勿論味わっては食べるし、あまり意識し過ぎも良くないのだが、どういう感じであったかくらいは思い出せるようにしておきたい――む、クロ殿が何故か私を見て戸惑っているな。何故だろうか……あ、そうか。
「すまない、分け合うのであったな。そう見つめなくても分けるから安心してくれ」
「え、えっと……それもあるのですが、今見ていたのはそういう意味じゃなくって……」
「? ともかく、クロ殿。私のも食べてくれ。はい、あーん」
「!?」
私は先程の言葉を思い出し、クロ殿に私のクレープを食べて貰おうと差し出す。クロ殿に渡して食べて貰うのも良いかもしれないが、互いに片手が塞がっているのでこちらの方が効率が良い。
私が食べたモノを誰かに食べさせる、というのは行儀悪いかもしれないが、クロ殿とした約束だ。約束は果たさなくてはならない。何故か約束をしたクロ殿がしどろもどろしているのは疑問だが。
「あ、あーん…………もぐ…………」
「美味しいか?」
「……はい、とても甘くて美味しいです」
「それは良かった。では私もクロ殿のバナナを食べて良いだろうか?」
「っ!? ……落ち着け、今のは俺の心が汚れているからだ……落ち着くんだ……」
「?」
何故クロ殿は落ち着こうとしているのだろうか。
よく分からないが、私もクロ殿が食べているバナナが入っているクレープを食べてみたい。イチゴとどう違うのか食べ比べを――
「で、ではどうぞ。あーん……」
「あー……?」
……あれ、これって私がクロ殿の食べかけのクレープを食べるという事なのだろうか。
クロ殿が口をつけた、食べた跡があるクレープを、クロ殿が差し出して私が食べる。……よく考えればこれはクリームヒルトから聞いた間接キスに似たモノであり、互いに持った食べ物を食べさせ合うという行為で……結構恥ずかしい行為なのではなかろうか。
だ、だが今更食べるのを拒否する訳にも行かない。なにせ先程私がクロ殿にした事である。ここで拒否してはまるでクロ殿に食べさせて貰う事を拒否している事になる訳であり……
「……ーん。……もぐ……う、うむ、バナナも美味しいな。流石は東共和国の主食だけあるな」
「は、はい。イチゴも良いですが、どちらも良さがありますね」
「う、うむ。では残りは互いのを食べるとするか!」
「そ、そうですね!」
私は変に覚られない内にクロ殿から差し出されているクレープを食べる。
正直味は甘いという以外によく分からなかったが、この状況は乗り切った。後は自身のクレープを食べるとしよう。それならば間接キスという形にはなるまい。
クロ殿も提案に賛成してくれたようであるし……待て。今私が食べようとしているのは、クロ殿が先程食べたモノではないか。単純にクロ殿に食べさせてもらっていないだけで、自らの意志でクロ殿が食べた跡があるクレープを食べる訳で……
「…………」
「…………」
何故かは分からない。だがクロ殿も私と同じ事に気付いて食べるのを恥ずかしがっているような気がした。
恐らくは何故か食べずにクレープの私が食べた部分を見ている事や、クレープを持たない左手から感じる妙な力がそう思わせているのだろう。
だが食べない訳にも行かない。私達は意を決して持ったクレープを口にする。
「……甘いな」
「……ええ、不思議と先程より甘い気がします」
「……奇遇だな、私もだ」
そして口にしたクレープは、味が妙な感覚のせいか分かりにくくなっているのだが、不思議と先程よりも甘い気がした。
クレープ一つで胸焼けがしそうである。
備考
今回の一連の会話は全て手を繋いだ状態で行われています。
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