追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

失った恋(:-)


とある少女の視点


『愛する妻に申し訳ないので遠慮いたします』

 愛すると言ったその言葉に、私は少し――いえ、かなりショックを受けていた。

 “私の好きな男性は、結婚していて妻を愛している”

 それは分かっていた事にも関わらず、改めて言われた何気ない一言に私はまだ未練があったのだと自覚してしまった。
 二回ほど、昔一緒に遊んで貰った程度の相手なだけであったのに。
 騎士団の理想を現実によって打ち砕かれた時に、優しくしてくれた程度なのに。
 ただの憧れの感情が多い、ちょっとした恋心だと思っていたのに。
 簡単に前に向けていると思ったのに、意外と心に来るようだ。

――ああ、これが……

 一度は断られていた私ではあるが、以前会った時にまだ性交渉を行ってないのを知った事、私と好きな男性とがお互いに呼び捨てで呼び合うようになった事、経緯はともかく昨日私の身体に触ってもらった件などから、私にも少しはチャンスがあると何処かで思っていたのだろう。未練がましい事この上ない。
 本当はチャンスが何処かにあると思っていたのと同時に、彼ら夫婦が私が以前会った時と明確に違っている事があるのも心の奥では分かっていた。しかし分かろうとはしなかった。

――彼と彼女は……

 私はよく分からない感情のまま、今すぐ恋をしている男性を視界から外したかった。
 彼を見ていると心が痛む。彼を見ていると心にもない事を言ってしまいそうになる。だから私は、手に持っていたよく分からない技術の箱で顔以外にも身体全体を見えないように
箱で覆った。

――シニストラ家……はは、もっと早く没落でもしたら、彼と彼女が出会う前に出会えていたのかもしれません。

 ありもしない妄想を、そうはならなかった過去を思って私は目の奥に嫌な感覚が沸き上がって来たのを感じていた。……成人もしているというのに情けない。この程度で涙が出そうになるなんて。
 私は口でシニストラ家でダンボールを流通させる事で、没落気味であったシニストラ家を復興させるなど思ってもいない事を口走る。
 私がそうであったように、彼は箱の中であまり声が聞こえていないだろうに、私はなにを言っているのだか。

――あまり、聞こえていないのならば……

 そうだ。あまり聞こえてないのならば。
 言ってはならない、言うべきではない言葉。だがどうしても言いたかった言葉を言ってしまおう。

「……クロお兄ちゃん。私は貴方の事が異性として好きでしたよ」

 今も好きだというのは変わりはしない。
 だけどこれは叶わないし、叶えてはならない感情だ。
 今これが叶ってしまえば、彼は不幸になったという事なのだから。

――私に、奪ってでもこの感情を叶える、という強さがあれば良かったんですが。

 かつての憎き相手と結ばれているというのは、腹が立たないかと問われれば、全く立たない訳では無い。初めは奪おうとすらした。
 だがこの幸福な家族を壊せば私も好きな人も変わってしまう。

――私はそこまで強くもない。
――私は、真面目で遊びの少ないつまらない女だ。
――嫉妬を維持できるほど、熱意を持つ事は出来ない。
――そもそも、会うまで忘れかけていたような感情だ。
――だがこれは間違いなく。

「ですから、幸せになってくださいね。そうしないと許さないんですから」

 だから私は、聞こえないように想いを告げた。
 届かなくても良い。ただ言いたかったのだ。
 憧れの存在で、優しくて、貴族らしからぬ行動が多いが、慣れるのならばこんな貴族になりたいと思った兄のような存在に。

「つまりは――」
「落ち着いてくれ――」

 言ったが聞こえなかっただろう言葉の後、私が嫌いであった彼の妻がやって来て、何故か彼は慌てて言い訳をしていた。
 ……まったく、見せつけてくれるものだ。彼は何故か浮気がバレた夫のように慌てているが、正直傍から見たらただイチャついているんじゃないかと思う。実質今彼女は慌てる彼を見て微笑んで――

――くっ、明確にフラれた直後にイチャついてんじゃない。

 なんだか腹が立って来た。
 ある程度決別をつけたつもりだが、それはそれとして目の前でイチャつかれると腹が立つ。
 温泉に突き落としてやろうか。いえ、そこまで深くないので危険だ。そうだ。それなら……ダンボールに温泉を汲んで、と。どりゃあ!

「え、わぷっ!?」
「え、何故!?」

 私の行動に対して、この夫婦は私の行動に対して目を白黒とさせていた。
 ふふ、これが女の嫉妬というやつか。ちょっと憂さ晴らしに成功すると結構気持ちの良いモノだと知った。これで一歩汚い大人に近付いた。
 まぁそれはそれとして、やってしまった感もあるので少しフォローはしよう。

「すみません、手が滑りました。お詫びに私は貴方達の着替えをゆっくり持ってきます。いいですか、ゆっくりですよ。それまでここの鍵でもかけて夫婦で好きにしていてください」

 私の言葉に夫婦はなんだか色々言ってはいたが、私は聞き流して温泉を出ていった。
 ついでにまだ使っていなかったタオルも投げておいた。後は好きにすると良い。どうせ見ても見なくてもイチャつくんだろう、貴方達は。

「ふぅ。……あ、ダンボールも持ってきてしまいました」

 私が温泉の建物から出て一息つくと、手にダンボールを持ったままである事に気付いた。
 結構大きいのでどうしようか。ここに置くにも風で飛びそうであるし、無くなるとダンボールを気にしている彼がなにか言いそうではある。
 ……それに、私がこのダンボールに興味を持っている事自体は事実なので、とりあえず持って行って彼の屋敷にでも置いておこう。

「それにしても……はぁ……」

 私は少し歩き、温泉の建物から少し離れた所で空を見て溜息を吐く。
 一度は断られた。
 だけどチャンスはあると思った。
 しかし目は無いのだと悟った。
 そう、これは――

「……スカイ?」
「? ……ああ、シャル、どうしたの?」
「朝の鍛錬だ。そういうお前は……」
「私も朝の鍛錬中、というか鍛錬後」

 私が空を見ていると、声がかけられたのでそちらを向くと走っていたのだろうシャルが居た。
 顎から垂れそうな汗を腕で拭いている。……この仕草が女生徒の間では評判になっているらしいが、私にはよく分からない感想だ。昔から見ているだけなのかもしれないが。

「そうか。お前が良ければこの後軽く手合わせするか?」
「んー……やめとく。この後ちょっと野暮用があるし」

 彼らの屋敷に行く用事もあるし、今は誰かと話していたくない。
 今誰かに見られていると表情が崩れそうだ。

「……なにかあったのか?」
「……なんで?」
「いつもと様子が違うからな」

 私がいつものように振舞っていると、この幼馴染の腐れ縁は私の様子がおかしい事に気付いたようだ。普段は鈍いくせに、なんでこういう時に鋭いのか。この鋭さをメアリーにでも発揮すれば良いというのに。

「なにかあったかといえば、あったよ」

 かといって、今更隠せるとも思っていない。
 シャルがそういう男である事はよく知っている。なにせ普段は冷静になるように振舞おうとしているが基本は馬鹿であり、困っているのならば騎士らしく助けるお人好しだ。否定してもしつこく喰らい下がるだろう。

「そうか。俺が助けになるのならばなるが」
「えー、シャルには無理」
「む、何故だ。話す前から無理と言われるのは腹が立つぞ」

 とはいえ、無理なモノは無理である。なにせこの男は私と似た経験をしても、まだ芽がある状態なのだから。
 なにせ私は、縁遠いものだと思っていた恋をしていて、そして――

「今の私、好きな人にフラれて傷心中だから。シャルは慰められる?」

 そう、失恋してしまったのだから。
 この未知であって、二度と体験したくない感情を嫌でも味わっている所なんだから。

「それ、は……」
「ほら、無理でしょう?」

 私の言葉にシャルはたじろぎ、どう声をかけるべきかと言葉を詰まらせた。
 ……まったく、フラれたからってシャルを困らせてどうするというのだろう。

「その、だな。……そういえば成人してからお前とお酒を飲む機会が無かったな」
「はい?」
「昔言っていたではないか。成人して早くお酒を飲んで大人を味わいたいと」
「それ言ってたの殿下とかアッシュとかのシャル達の方でしょ。それで飲もうとしてヴェールさんに怒られて、クレールさんに説教を数時間受けてたでしょ」
「う、そうだったか……?」

 しかも私を無理矢理巻き添えしようとして、私も怒られた。酒蔵に忍び込んだのはある意味良い思い出ではあるけれど。

「と、ともかくだな! 俺達は酒は飲める年齢で、お前とはまだ一対一で飲んでいない!」
「うん、だから?」
「だから、その……酒を飲めば溜めていたものも吐き出せる。……幼馴染として、偶にはしても良いのではないかと思ってな」
「メアリーに誤解されるよ?」
「アイツはそれくらいで誤解はせん。それに、今はお前と飲む方が重要だ」
「ははっ、なにそれ。失恋の相手に酒飲みを提案するなんて。しかも早朝に」
「うっ……」

 話を聞いてやると素直に言えば良いモノを、まだ一緒に飲んでいないとか、幼馴染としてとか言うとは。……でもシャルらしいと言えばシャルらしい。

「それで、どうなんだ!」
「なんでそんなに勢いよく提案してんの。……まぁいずれね。今日とかは殿下達も居るし、飲んでも邪魔が入りそうだし。首都に帰ってからの方が良いかな」
「それでは今のお前は……」
「大丈夫。今話したら少し楽になったから。それに、独りで考えたい時もあるという事。その方が楽な時もあるんだから」
「……分かった」
「でも、まぁ……ありがとね」
「気にするな」
「そこは素直にお礼を受け取れば良いのに」
「うるさい」

 私が気の楽になった感情のままシャルに笑いかけると、シャルは溜息を吐きながら顔を逸らした。
 メアリー相手とは違う照れの感情を持っているようだ。シャルは大抵こういう時は目を逸らす悪癖がある。

「……ところで先程から気になっていたのだが」
「なに?」
「その箱はなんだ?」
「ダンボールっていう材質の箱らしいよ」

 シャルは話をそらすためなのか、純粋に気になっていたのか私が持っているダンボールを興味深そうに見ていた。
 彼の前世の代物……ではなく、ヴァイオレットも知っていたからもしかしたら新技術かもしれない代物のダンボール。ついでにシャルにもあの中に入る感覚を共有させようか。とても心地が良いし。
 私はそう思うと、ダンボールを両手で持ってシャルに被せようと――

『私は! お前のような平民の女とは違って――!』
『危ない、ヴァイオレットちゃん――!』

 被せようとして、バチッ、と。妙な景色が見え、知っているが知らない声が聞こえた。
 場所は学園で、ヴァイオレットとクリームヒルトが向かい合っている場面。
 私はクリームヒルト側に居て、敵対はしつつも説得をしようとしたが上手く行かず、結局は、封印されたモンスターが復活して、ヴァイオレットが……犠牲になっていた。

――なんだろう、今の。

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