追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

無垢な問い(:灰)


View.グレイ


 知らない感情であり。未知な感情でもある。
 この感情を知る事は私にとっては怖い事であり、今までのような関係性が壊れてしまうような、許されない事であると心の何処かで思う。

「私めは、アプリコット様を――」

 けれどこの感情を言語化しなくてはいけない。このまま目を逸らしてはいけない、いずれ向き合わなければならない事実なのだから。
 そう、私は――

「私めは師匠であるアプリコット様を超越したいという野望を持っているのですね!」
「んん?」

 なんという事だろうか。私は浅ましくも師匠であるアプリコット様を超えたいという願望を抱いてしまったのだ。
 弟子は師匠を超えるモノだと言うが、アプリコット様は気高く常に私の先を行く存在であるので超える事は無いと思っていた……いや、そう思う事すら烏滸がましいと思っていた。
 その上昇志向の無い事を何度かアプリコット様に諫められてはいたが、私は超える事よりも支えて常にお傍に居たいと考えていた。上を目指したとしてもアプリコット様はさらなる上を行く存在であるので、このお方の傍に居る事こそが私の幸福なのだと。

「ですが今回同じ学園に行く事と、アプリコット様の強さを見て、私めは同じように強くなるか、あるいは越えてみたいという挑戦心を得たという事なのですね! この胸の高鳴りは全てを超えたいという、恐怖と尊敬を含む強者に挑む高鳴りというものなんですね!」
「あー……そっちに行ったか……」

 これが強者に挑もうとする冒険者の高鳴りというやつか。そういえば以前アプリコット様とルーシュ様に助けられた時も同じ高鳴りがあった。
 あの時は強者であるモンスターと相対していた。それと同じ感情なので、やはり強者に挑む緊張というやつなのですね……!

「私めは師匠としてではなく、切磋琢磨できるライバル……あるいは相棒を目指したいという事ですね」
「相棒という言う意味では間違っていないだろうな」

 む、何故だろう。私が意気込んでいるのに対し、神父様は少々複雑そうな表情をしている。私の考えになにか違いがあったのだろうか?
 先程言われたように、別の視点から考えれば――あ、そうだ。先程の事と言えば少し気になることがあったのだった。

「ところで今更なのですが、たわわ。と豊かな胸にはなんの関係性があるのでしょうか?」
「あ、もしかして意味が分かっていなかったのか」
「はい。女性のたわわな胸とは、どんな特殊なモノなのかと……」
「特殊というほどではないが……うん、神父として複雑な気分だが、教えてあげないと駄目か……クロには後で言っておくか……」

 先程私は“たわわ”について聞いていたはずだが、いつの間にか豊かな胸とやらに変わっていた。豊か、というのも良くは分からないが、男性は豊かな胸も好きらしく……神父様の話を考えるとシアン様のお胸の事を言うのだろう。
 豊かとは良い言葉であるから、後でシアン様に神父様がそのように褒めていたと伝えなくては。

「グレイお兄ちゃん、僕も聞きたい事があるのだけど」
「あ、ブラウンさん。おはようございます。なんでしょう?」
「おはよー……ふぁ……」

 私がたわわについて聞こうとすると、先程まで近くで大太刀を抱きながら眠っていたブラウンさんがいつの間にか起きていた。
 身体を解すためか、背筋を伸ばすと高い身長がより強調されているので少し憧れる。……ブラウンさんの様によく眠れば身長が伸びて、大人な男性になりアプリコット様に少しでも近づけるだろうか?

「グレイお兄ちゃんは、アプリコットお姉ちゃんの事を好きなんじゃないの?」
「はい、大好きですよ。尊敬もしています」
「んー……だよね?」

 何故疑問風なのだろう。
 ブラウンさんは一度欠伸をすると、反覚醒の眠気眼の状態で言葉を続ける。

「だったら、将来的にクロお兄ちゃんとヴァイオレットお姉ちゃんみたいに、結婚するんだよね?」
「……はい?」

 ブラウンさんは相変わらず眠たそうな表情と声で、当たり前の事を当たり前に確認するかのように、私に聞いて来た。
 ……結婚? 誰と、誰がだろう。

「嬉しいな。僕は二人共好きだから、好きなグレイお兄ちゃん達がクロお兄ちゃん達みたいに結婚するなら、楽しそう」
「あの、ブラウンさん。それはどういう……?」
「え? だってグレイお兄ちゃん、アプリコットお姉ちゃんの事好きなんでしょう?」
「はい。ですが何故結婚という話に……? ブラウンさんも好きなのですよね?」
「うん。でも僕のアプリコットお姉ちゃんに対する好きと、グレイお兄ちゃんの好きって、違うでしょ?」
「……?」

 ブラウンさんはなにを言っているのだろうか?
 アプリコット様に対する私の好きとブラウンさんの好きが違う? どう、違うというのだろう……?

「なのに……少し今の話が聞こえたんだけど、グレイお兄ちゃんが不安になるような事言うから」
「神父様、ブラウンさんの仰っている意味はお分かりでしょうか?」
「……うん、まぁね」

 神父様に聞いてみると神父様は分かっていると仰るので、私は答えを待つ……が、それ以上はなにも言わずに、下げていた目線をブラウンさんの方に向けたままだ。
 ……これ以上はブラウンさんの口から聞いた方が良いと言う事だろうか?

「でも好きなら良かった。きぞく、の結婚って、好き同士がしないこともあるから不安だったけど、グレイお兄ちゃん達は出来そうなんだね」
「ブラウンさん。私めとアプリコット様は夫婦関係ではなく、師弟関係です。結婚は致しません」
「え、でもグレイお兄ちゃんはアプリコットお姉ちゃんと結婚したくないの?」

 私とアプリコット様が結婚? する訳がない。
 何故ならアプリコット様は素晴らしき御方であり、クロ様やヴァイオレット様と並び立つ尊敬すべき御方である。
 そんな御方と私が結婚するなど、烏滸がましい――

「じゃあ、アプリコットお姉ちゃんが違う男の人と結婚しても、良いの?」
「――――」

 「それは勿論祝福いたします」という言葉が咄嗟に出て来なかった。
 慧眼を持つアプリコット様が好きな相手と結婚なさるのならば、クロ様達のように素晴らしき夫婦となるだろう。
 私はそれを見て祝いたい……はずなのに。何故かその言葉が出て来なかったのだ。

「…………」

 ……また不整脈だ。だが先程までの何処か高揚して心地良いとは違うもので、辛いと思うような心臓の高鳴り。
 ……何故今起きているのだろう。私はその理由が分からず、先程まで目線を私の高さまで合わせてくださっていた神父様を無視して、ただ思考を巡らせていた。

――なにを考えているかは、自分自身でも分かりません。



「……少し見守るか」
「どうしたんだろ、グレイお兄ちゃん。……僕のせい?」
「大丈夫だよ、ブラウン。俺もやろうとしていた事だし、グレイには必要な事だ」
「そうなの? ……ところで、しんぷさまと、シアンお姉ちゃんはいつ結婚するの?」
「はは、ブラウン。俺達はしないよ。シアンは妹で、夫婦というよりは兄妹に近いからな」
「んー……?」
「クロとグレイの様に血は繋がっていなくとも家族にはなれるし、書類上で正式な家族という訳では無いけど……」
「え……でも、しんぷさまって、シアンお姉ちゃんの事、好きなんでしょ?」
「ああ、好きだよ。でもクロがグレイに対しての好きな感じで――」
「ううん。しんぷさまは、クロお兄ちゃんがグレイお兄ちゃんを見るような感じじゃなくって」
「じゃなくって?」
「ヴァイオレットお姉ちゃんを見る時みたいに、異性として好きなんだと思うよ?」
「…………俺が?」
「うん。だって、しんぷさまも、シアンお姉ちゃんが別の男の人と結婚したら、嫌じゃないの?」
「いや、寂しくは有るが、それはシアンに大切な伴侶が出来る事だから心から祝福をするよ」
「じゃあなんで……」
「え?」
「なんでそんな悲しそうな……嫌そうな顔をしているの?」
「…………え?」

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