追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
勝ち切れない
「温泉ですか! しかも源泉! 早速入りましょう!」
「お止め下さい、なにが起きるか分かりません!」
「ですが、温泉や水浴びなどの現地の産物は冒険者としての醍醐味と聞きます。私もやってみたいのですが……」
「温泉に入ればなにも身に着けていない上に、毒などの混入も考えられるのです!」
もしかしたら冒険者としての仕事の後、温泉で汗を流しているかもしれないという事で温泉の場所に来たが殿下達は居なかった。そして温泉を見たバーガンティー殿下はテンションが上がって早速入ろうとして、スカイさんがそれを止めようとしていた。
天然系の殿下に、真面目系騎士。スカイさんの気苦労が窺い知れる。俺も止めるべきかと悩むのだが、まだ信用を勝ち得ていないだろうし、ルーシュ殿下やスカーレット殿下も入る時があるしそれを言われたら俺も止めにくい。
本当に入る時になったら理由をでっちあげるが……
「分かりました。入ると言うならば私も入ります」
「え」
なにを言いだすんだろうこの方。
「私以外の誰も近付かないよう、殿下に密着します。武器だけを身に着け、お身体も流しましょう。当然殿下に触れる際には武器は危険ですので、タオルなどは使わず私の身体で洗います。それはもう
隅々まで。さぁ殿下、入りましょうか。脱がせて差し上げましょう、全部。まずは危険性を無くすため私から脱ぎます」
「わ、分かりました! 入りませんから脱ぎ出そうとしないでください!」
スカイさんは入ると認めた後、手甲を外し武具を脱ごうとするとバーガンティー殿下は慌てて止めた。
……強いな、彼女。冗談で止めようとしているのか、本気で脱いで守ろうとしているのかは分からないけれど。
「スカイ。貴女は今は私の護衛ですが、私は男で貴女は女性なのです。身を大切にしてですね」
「ティー殿下の御身にのためなら、私の身など磨り潰すつもりでお願いします」
「それをすれば私が私ではなくなります。貴女が私を護衛すると言うならば、私の精神も守ってください。貴女を犠牲になどしたくはないのです」
「……はい。ありがとうございます」
「ですから、私は精神に従って温泉に……」
「……ほう。では私を犠牲にしたくないと慮るのなら、護衛として傍に居ましょう。一方的に見ます」
「うっ……」
ああ、これは後者だな。あの乙女ゲームだと現騎士団では失われかけている騎士としての誇りというやつだ。今頃王国で働いているだろう男友達のやつを思い出す。あっちは偶にルール違反をしたりするが。
そしてバーガンティー殿下はバーガンティー殿下で強さもあるな。優しさや純粋さを維持できる強さは持っている。
「しかしルーシュ殿下達は見つかりませんね。他に心当たりは有りますか、ヴァイオレットさん。……ヴァイオレットさん?」
バーガンティー殿下達が色々と言い合っている中、俺は隣にいるヴァイオレットさんに問いかけるが、何故か反応が無かった。疑問に思いつつ、ヴァイオレットさんの方を見ると、下唇に人差し指の中節を当て考える仕草を取っていた。……妙に下唇が色っぽいな。
「タオルを使わずに身体で洗う……? そういえばグレイが昔教わったと言っていたな。手で洗えば良いのだろうか……ふむ」
その、ふむはなんですか? と、問いかけたいが、質問すると素直に答えられた上に、上手く反応出来無さそうになりそうだから止めておこう。聞かなければ聞かないで複雑になりそうだけど。……あと、グレイが教わったという身体で洗う方法というやつは、少し違いますよ。これも言えないけれど。
「……お二方共。ここは公共の場です。騒ぐのは良くありません。それにこの温泉は男女別。男女が入るのは良くないですよ。護衛と言えど、スカイと殿下が入る事は許されません」
「ほら、ロー……ラン、も言っているじゃないですか。騒ぐのは止めましょう。そうだ、スカイは女湯の方に入って、ヴァイオレットさんと話を……」
「バーガンティー殿下。貴方もいい加減諦めなさい。今は兄君達を探すのが先決でしょう」
「う……はい」
「……入りたいのなら、入れる方法を模索しなさい。スカイを納得させるか、貴方が納得する入れる方法を」
「入れる方法、とは?」
「自分で考えなさい。聞けば全ての答えが帰って来る訳では無いのです。……質問をすれば、ヒントくらいは答えますから」
「……はい」
入る入らないに関して殿下達が言い合っていると、先程までは静観していたローランさんが小さく溜息を吐いて会話に混ざり、両者を諫めた。
子爵家のスカイさんだけでなく、王族である殿下に対してもあそこまで言えて素直に言う事を聞かせるとは……彼女は何者なのだろうか。
「ヴァイオレットさん。彼女の事……知っていますか?」
「いや、記憶に無いな。あの感じだとそれなりの身分かと思うのだが……あのローブのせいでよく分からないな」
ヴァイオレットさんも知らないとなると……公爵家や侯爵家などにはローランという女性は居ないという事だろうか。それにスカイさんも今のバーガンティー殿下も名前を言い淀んでいたし、偽名なのだろうか。
……と、いけない。警戒はすれども、詮索はしないのであった。
「しかし、ごめんなさい。本来でしたら屋敷で俺達だけでしたのに、こんな周囲に不特定の誰かに監視されるような状況になってしまって。気が休まらないでしょう?」
俺は色々と言い合っている殿下達を見ながら、時間潰しと話を変えるために周囲の視線にうんざりしながらヴァイオレットさんに話題をふる。
明日はグレイとアプリコットが帰って来るのとアレがあるし、仕事自体も忙しいものでないので昨日のような抱き――はともかく、ゆっくりと出来ると思ったのだが。思いの外忙しいというよりは気の休まらない日になってしまった。
「クロ殿が謝る必要ではないだろう。こればかりはどうしようもない事だ」
「そう言って頂けるとありがたいです。ですけど……」
「?」
正直言うのならばヴァイオレットさんにはこの視線の中居て欲しくはない。
払拭はされてきてはいるだろうが、不特定の警戒の視線というものは、決闘を思い浮かべさせるものがあるかもしれない。
「クロ殿?」
それに見る限りではやはりヴァイオレットさんとスカイさんは相性が良くない。牽制し合っている……とまではいかないが、スカイさんが敵対しているのは確かである。
バーガンティー殿下とは……今の所は特に問題はない。ただ殿下を守っているだろう周囲の視線の持ち主は、俺と同等レベルにはヴァイオレットさんも警戒している。
「クロ殿ー?」
……でも、離れられたら離れられたで、今現状の殿下を守る為に来ている不特定の誰かがなにか仕出かすかもしれない、という不安もある。なにせ周囲の不特定にはこちらは全く情報がない。あの乙女ゲームであったように、殿下の与り知らぬ所で思いもよらぬ思惑が働いているかもしれない。
それを考えると、近くに居て貰った方が安心ではあるのだが……
「クロ殿」
「はい? ――んむ?」
俺が不安になっていると、ヴァイオレットさんが俺の唇に右の人差し指を当てて来た。
突然の出来事に、俺は頭に疑問符を浮かべながら話せずにいた。
するとヴァイオレットさんは殿下達がこちらに意識が言っていないことを確認してから話しを始めた。
「クロ殿が不安に思う事も分かるが、安心して欲しい。私はこの位の視線ならばもう平気だ」
……俺が考えている事がバレていたようだ。流石にこの場でヴァイオレットさんと周囲を気にしながら考えたら、なにに対して考えているかは大体予想は付くか。
「あの決闘に直接的な関わり合いが無かったとはいえ、本来であれば私はシニストラ……スカイの視線すら怖がっていただろう。彼女は決闘前から私に明確に敵対していたからな」
未だになにやら話しあっているスカイさんをチラリと見てそう告げる。……つまり以前であればスカイさんの視線で学園の事を思い出していた、という事か。
だが、ヴァイオレットさんは綺麗な蒼い目で俺を見て、視線で彼女のいつもの強さを示す。
「完全に平気、という訳でも無い。不安はあるが、私とて弱いままでは無いから安心してくれ」
唇に当てている人差し指のせいで俺が上手く話せずにいる中、言葉を続ける。
「だから今この場でも私はクロ殿の知っている、いつもの私という事を証明したいのと、クロ殿に安心をさせたいのだが……」
ヴァイオレットさんは俺に当てていない左の人差し指を自身の唇に当て、
「本当はキスでもして安心させたいが、今はこれで我慢してくれ。私を支えてくれる、大好きな私の旦那様?」
そう言うと、悪戯っ子のように口だけ微笑んだ。
そして殿下達に気付かれない内に離れ、いつもの表情に戻ると先程よりも軽やかな足取りで殿下達の方へと向かっていき、俺はそれをただ見送る。
「……勝ち切れそうにないな」
俺は僅かな指の柔らかな感触が残る唇に自身の手を当て、ヴァイオレットさんの後姿を見ながら呟いた。
生きた年齢で言えば俺は四十年以上。対してヴァイオレットさんは十数年。
そんな年数差を考えても、俺はヴァイオレットさんに勝ち切る事は難しいと思った。
「…………今更か」
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