追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

ぬくぬく(:菫)


View.ヴァイオレット


 甘えるにしても、一方的に甘えるのは良くない。
 お互いに得となる触れ合いをしてこその良き関係というものだろう。つまりクロ殿にも良い見返り……喜楽の感情や嬉しいと思われるような事をするのが甘える上で大切なのだと思う。
 クロ殿に喜んで貰える方法……例えば着替えるのはどうだろうか。
 クリームヒルト曰く、男性は着替えや入浴など無防備な状態の女性に興奮するものだと言う。なんでも普段見せない素の状態を見ている気がして、背徳状態を煽るらしい。窃視症とかなんとか。
 つまり、私は……こうすれば良いのだろうか。

『っ! 着替え中でしたか、失礼しました!』
『クロ殿、慌てる必要はない。私達は夫婦だ、見たければ見ていればいい』
『え、それは……?』
『私が着替えている様を見ているが良い。ほら、一枚一枚脱いでいくから、そこで見ているのだ……』
『ヴァイオレットさん……!』

 変態じゃないか。
 落ち着け、私。そもそも執務室で着替えているとはどういう状況だ。挙句迫ったらなにをしようとしているという話になる。それに私はクロ殿に素の状態でいつも接しているじゃないか。ならばこれは違うだろう。……見たいと言うならば、見せるのだが。
 他に思い出せ。私はこういった行為に関しては疎いから、身近な者や数少ない同性の友の言葉……恋愛関係を円滑に出来る方法を。
 シアン曰く男性は「喜怒哀楽の表情に惹かれるもの」と、中でも特に笑顔が大切だと言う。
 アプリコット曰く男性は「ミステリアスに惹かれるものだ!」と、焦らす事が大切だと言う。
 ロボ曰く男性は「信ジテクレル事ニ惹カレルモノデス」と、相手を想う事が大切だと言う。
 つまり……笑顔で相手を想い、焦らす事が良いのだろうか。

『うぅ、グスッ』
『急に泣き出してどうしたんです!?』
『大丈夫だ。気にしないでくれ少し過去を思い出して……な。だが大丈夫だ。クロ殿がこうして傍に居てくれればそれだけで悲しみも払拭できてる。ほらっ、クロ殿が声をかけてくれたから私は笑顔だろう?』
『はい、笑顔ですが……俺に出来る事があれば、言ってくださいね』
『そうか。では私の頭を撫でてくれ。そうすればより笑顔になれる』
『それで良いんですか? では撫でてあげますね』
『ああ、頼む――というとでも思ったか!』
『なっ、何故!?』
『私の頭を簡単に撫でられると思わない事だクロ殿!』
『くっここで焦らすなんて……なんて蠱惑的なんだ……!』

 ただの情緒不安定だな。
 クロ殿が心底心配そうな表情で気を使いそうだ。いつぞやの学園の者が調査に来た時のように、「仕事はしないで良いので寝ていてください」と看病すらされそうだ。……看病されるのも良いかもしれないな。
 いや、落ち着け。それでは甘えられなくなってしまうではないか。
 他に……教えて貰った相手を魅了させる行動と言えば……

『露出して良い香りフェロモンを出せば男なんて狼ですよ』
『お嬢様の良いお声で囁けば男は皆惚れます!』
『己が肉体を誇れば良い。私の美しさには劣るだろうがね!』

 バーントとアンバー。そして己が肉体を誇る変態シュバルツの言葉。それらを総合すると……

『何故服を着ていないのですか!?』
『ふふ、知っているぞ。一糸纏わぬ身体、というのが男性は好きなのだとな』
『確かに好きですけど……! ああ、耳元で囁かないでください、ゾクゾクします……! それにこの香りは……』
『ああ、そうだ。クロ殿の好きな香水だ』
『そこまで俺の好きな行動をしてくれるなんて……! 流石はヴァイオレットさん!』

 ……なる訳ないな
 実際に行動したとしても羞恥で動けないと思うし、仮に台詞を言えたとしてもクロ殿は上着を着せて「貴女らしくないです」と言いそうだ。出会った当日のように、場合によっては「そんな貴女は嫌いです」とも言われる可能性もある。

――あ、駄目だ。妄想とはいえ泣けてくる

 今クロ殿に言われたら心が折られそうだ。もうバキバキに砕け散りそうだ。決闘の時の比ではない。
 よく考えれば、私の周囲には恋愛強者と言えるのはメアリーくらいだったな。他は……上手く伝えられないことが多い者達ばかりである。
 そもそも甘えたいというだけなのに、目的がズレていないだろうか。
 ……よし、決めた。私がしたいと思う事をしよう。







「……あの。ヴァイオレットさん。これはどういう状況なのでしょうか」

 クロ殿が野菜をしまって執務室に戻って来たので、早速私がしたかったことを行動すると、クロ殿が私の後ろで困惑した声で疑問を投げかけて来た。
 表情は見えないが、慌てている声のクロ殿は相変わらず可愛らしい。その可愛らしさに免じて今の状況を簡潔に説明しよう。

「私が執務室で座っているだけだが」
「……座っている俺の太腿の上で?」
「座っているクロ殿の上で、だ。……重いのか? ならば足を少し開いてくれ。足の間に座るから」
「え、あ、はい。……はい?」

 私が少し身体を浮かせると、クロ殿が足を開いたので私はその足の間に座り込む。
 ふむ、こちらの方が良いかもしれない。クロ殿の太腿の感覚を尻の座る所に感じるのも良いが、こちらの方が包まれている感覚がある。

「あの、それで俺はどうすれば良いのでしょうか?」
「気にするな。私が代わりに書類を書くから、後ろから見守っていてくれ」
「気にしますし、どういう状況なんですか」

 クロ殿が尋ねて来たので、私は持っているペンを顎に当て考える仕草を取る。
 正直状況が状況だけに考える余裕はないのだが、懸命に思考をしこの状況の説明をする。

「私はクロ殿が大好きだ」
「っ!? え、はい。ありがとうございます……!?」
「出来ればもっと触れ合いたい。しかし領主の仕事もしなければならない」
「は、はい」
「だがそれはそれとして、甘えたい。触れあいたい。こうすれば一番クロ殿に包まれるように触れ合えるかと思ったから、行動した」
「……えっと、ようするに甘えたかった、で良いでしょうか」
「そうなるな」
「……そうですか」

 うむ、自分で言っておいてなんだが、この行動をしようとした原点は甘えたかった、なのだから素直にそれを言えば良かったのだな。
 ああ、しかしクロ殿があたたかい。背中から感じる体温と香りは不思議と安らぎと充足感を感じることが出来る。出来る事ならずっとこうしていたい。

「ヴァイオレットさん」

 すると背中から感じていた体温がより近くなり、肩の上から腕を回される。吐息がより近くなり、首筋に温かい息を感じる。

「……クロ殿、仕事が出来ないのだが」
「それが俺も同じです」
「クロ殿が後ろに居るだけで私の仕事効率はあがる。見守ってくれるだけで良い」
「そんな情けないことは出来ません。というか、こんなに煽っておいてなにを言うんですか」
「……煽っていない」
「煽っています」
「いない」
「います」

 私は煽ってなどいない。ただ甘えたかっただけである。
 スカーレット殿下の合コン? の時は拗ねていないと言っていたのにクロ殿は疑っていた。
 クロ殿は疑う癖があるのかもしれないな。……クロ殿にそのように疑われるのは不思議と悪くないのだが。

「では認めるまでこのままで居ましょうか」
「何故だ。煽っていないのだから、認めるもなにも無いじゃないか。そうなるとずっとこのままになる」
「ええ、ですからしばらくこうしていましょうか。俺だって甘えられますし」
「……クロ殿もこの体勢だと甘えられるのか?」
「ええ、甘えられます」
「そうか。……なら認めるまでこうしているか」
「はい」

 クロ殿も甘えられるというならば仕様がない。存分に私に甘えると良い。
 この屋敷には私達しか居ないのだ。邪魔が入らないのだから、しばらくこうしていても誰も文句は言わないだろう――と思っていると、屋敷のチャイムが再び鳴り響いた。

「……来客か」

 ええい、また邪魔をするのか、チャイムめ。
 せっかく良い時間であったのに、また離れなければならないじゃないか。
 今離れたら、再びこうやって密着する勇気が私にあるとは限らないんだぞ。なにぜいまでも緊張でどうにかなりそうだからな!

「クロ殿、来客のようだが。……クロ殿?」

 しかしチャイムが鳴ってもクロ殿は動く事なく、後ろから私を抱きしめたままである。このままではどちらも立つことが出来ないのだが……と思っていると、耳元でクロ殿が言葉を囁いた。

「偶には無視しても罰は当たらないでしょう」
「……良いのか?」
「今の俺にとってはこうしている方が大切です」
「そうか。……なら仕方ないな」
「ええ、仕方ありません」

 それならば仕方あるまい。
 許せ、誰か知らないチャイムを鳴らす者よ。今日は留守だと思って諦めてくれ。

「あたたかいですね」
「ああ、とてもあたたかい」

 私はクロ殿の言葉に同意し、心地良いそのぬくもりに甘えるのであった。

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