追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

問題のみがある


 三十六計逃げるに如かずという言葉があるように。時にはどうしようもなく、逃げる方が良いという事がある。
 俺は直感的に今がその時だと思った。

「何処へ行くのかねクロ君! 何故逃げるのだ!」
「すいません用事を思い出したのです、不躾な対応をお許し下さい!」
「お詫びは先程の素晴らしい瞬発力を見せた足でどうだね!」
「どうだね、じゃないです! あとその反応は何故逃げるのか分かっていますよね!」

 くそ、必死に逃げているのにヴェールさんを中々振り切れない。
 如何にも事務職デスク仕事ワーク専門で運動系はあまり得意そうじゃないのに、何故振り切れないのか。恐らくは補助魔法かなにかで身体強化か、移動系魔法で俺を追いかけているのだろうが。

「肉体的には私は魔法のケアで二十歳前後を維持し、運動で綺麗に保っているつもりだ! なんなら私が触る代わりにこの身体を好きに弄ってもいいぞ!」
「やめてください、誤解を生みます!」
「安心したまえ、私とキミには先程の【認識阻害】の魔法をかけているから周囲にはどんなに叫んでも聞こえない! だから今すぐ触り触られても問題ない!」
「問題しかない!」

 どおりで叫びながら走って逃げ回っているのに周囲がこちらを見ていないなと思ったが、そういう事か。というかなにを叫んでやがるんだこの方。痴女か? ……痴女だな。

「だが、私から一定以上離れれば魔法が解けるぞ。しかしその場合でも私は魔法の効果は持続している。つまり再び私が掛け直すまでキミはただ孤独に逃げる怪しい男になるぞ!」
「その場合はもう一度かけて欲しくば身体を触らせろとか言いそうですね!」
「当然だとも!」

 くそ、脅しまで完璧だ。逃げなくてはならないが、どこまで距離を離せば良いか分からない。
 何故だ。大魔導士アークウィザードという立派な役職に就き、あのシャトルーズの母親で尊敬している(らしい)から、不器用ながらも真っ直ぐに魔法に対して向上心があると思っていたのに、何故俺の肉体に興味を持つ変態性フェチを発揮しているんだ。
 別に肉体が好きなのは良いけど、今日初めて会った相手に触らせろとか舐めさせろとか言って寄ってくるのは変態が過ぎる。くっ……やはり公式設定資料とこの世界のヴェールさんは違うという事か。いや、乙女ゲームの女キャラ、その上あまり出て来ない攻略対象ヒーローの母親キャラの公式設定資料とかに『シャトルーズの母親。肉体フェチの変態』とか書かれていても困るけれど!

「大体夫もご子息も居るのでしょう! それなのに他の男に身体を許すとかなにを考えているのですか!」
「相手の肉体を要求しているのに自身の肉体を差し出さないなど不作法だろう!」
「なるほ――どでもなんでもない!」

 一瞬納得しかけたが、それが身体を許して良い理由にも身体を弄る理由にもならない。
 ようはあれか。身体だけが目当てというヤツか。まさか俺が目当てになる立場になるとは思わなかった。

「失礼な。私は身体も目当てだが、キミに興味を抱いているのも確かだぞ」
「どうっ!?」

 いきなり心を読んできたヴェールさんは路地裏に入る曲がり角を曲がった瞬間、一瞬で俺の前に回り込んだ。え、まさか【瞬間移動テレポーテーション】? かなり高位な魔法をこんなあっさりと? さすがは大魔導士アークウィザードといった所か。もっと別の所で感心したかったが。
 というかどちらにしろ身体を要求する変態という事には変わり有るまい。俺はどう動くか狼狽している所を、

「さて、どうすれば触らせてくれるんだ?」

 ヴェールさんは落ち着いた表情で聞いて来た。
 てっきり【拘束魔法バインド】とか使い動きを封じると思ったので、少し以外ではある。だがいつ使われてもおかしくはあるまい。

「……申し訳ありませんが、俺には妻も子も居るものでして。他者にあまり身体を許すわけにはいかないのです」
「ふむ、随分と妻想いな事だ」
「と言いつつ俺の腕を触ろうとにじり寄らないでください」
「腕も駄目?」
「駄目です」

 この方は本当にあの馬鹿真面目なシャトルーズの母親で、王国でも数少ない称号である大魔導士アークウィザードを名を持つヴェールさんなのだろか。
 認識を阻害したり瞬間移動したりと確かに魔法の腕前は高そうなのだが、俺には俺の身体を触って舐めたりしようとする変態にしか思えない。

「ふむ、では交換条件ではどうだ?」
「ヴェールさんの身体と引き換えにとかは無しですよ」
「女としてはそれなりに自信があったつもりであったが、本物の十代には叶うまい。やはり私も、もう年か……現実を直視するのは悲しいモノだな……」
「えっ、あ、いやその。ヴェールさんが魅力的なことは確かですが、そういう事ではなく」

 ヴェールさん自身は魅力的な女性なことは確かである。大人な魅力に溢れているし、成人15になった子の母親とは思えない……って、なにを俺はフォローしているんだ。

「冗談だ。私の年齢には年齢なりの違う武器があるからな。どうしようも無い物にみっとも無く縋るつもりはないさ」

 なんだろう、生きた年齢で言えば俺の方が多い筈なのだが、ヴェールさんにはなにを言っても口では負けそうだ。そんな余裕がヴェールさんには感じられる。

「まぁ、求められれば答えるのは確かだが、私が提示するのは別の交換条件さ。……あ、言っておくが誰彼と身体を許す訳では無いからな」
「……そうですか」

 初対面の俺にあんな行動をしている時点で信じられないが、納得だけはしておこう。

「私は幻術も得意でね。好きなシチュエーションで夢を見ている間に……」
「却下です」
「ヴァイオレット嬢に技術テクを伝授……」
「却下です」
「王国での良い役職に取次ぎを……」
「言ってはなんですが、俺は王族に嫌われてますし嫌ってます」
「金銭?」
「間に合ってます」
「…………」
「…………」
「なんなら良いんだ!?」
「自分で考えてくださいよ!?」

 あれ、この方本当に大魔導士アークウィザードなのだろうか。
 …………もしかしてシャトルーズの妙に融通が利かないのは、ヴェールさんの遺伝なのだろうか。

「やはり拘束するしかないのだろうか……だが犯罪だし、無理矢理は好かんからなぁ……ああ、だが肉体を堪能したい……!」

 ……この後、逃げるのをやめどうにか説得する方向に話を進めた。

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