追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
改めて最初に思い浮かぶ事は
ヴェール・カルヴィン。
“火輪が差す頃に、朱に染まる”の攻略対象であるシャトルーズの母親で、王国における大魔導士の称号を冠する女性。三十六歳。
ゲーム本編にはあまり出て来ない……というか、出て来たとしてもシャトルーズルートにおいて殉職する死後とか、多少の台詞がある程度だ。……あくまでもゲーム本編ではあまり出て来ない。語られるだけの存在、というヤツだ。
人体実験をするとか研究室を壊したとか色々と妙な噂はあるが、大魔導士としては優秀であり、王国の魔法発展に貢献し、シャトルーズも目標とする母親である。なお、仕事で忙しかったためシャトルーズの監視が甘く、幼少期によく抜け出しては殿下達と遊ぶことが出来たとか。
「――といった感じですね。あくまでもあの世界では、という話ですが」
以上、公式設定資料集やおまけの小説などの知識を覚えていたメアリーさんからの情報だ。ちなみに美女という話だがゲームなどにおけるビジュアルは無いので外見は知らないとの事。
グリーネリー先生にもう大丈夫だというお墨付きを頂き、闘技場の他者の通りの少ない場所でメアリーさんにヴェール・Cさんについての話を聞いた。
本当はヴァイオレットさんや殿下達とかの事を考えるとあまり一緒に居るべきでないとは分かっているのだが、どうしてもヴェールさんに関して知りたいので、あの乙女ゲームでの情報を教えて貰った。
「それで、シャル君のお母さんがどうしたんです?」
「ヴェールさんから恋文を貰いまして」
「はい?」
何故ヴェールさんの事を知ろうとしていたのか疑問に思っていたメアリーさんは、俺の言葉にぽかんという効果音が付きそうな間の抜けた表情になる。しかしすぐに持ち直したので、俺が先程クリームヒルトさんに貰った手紙を渡すと、サラッと読み、冷や汗のようなモノを流す。
「ダブル不倫ですか……!?」
「少なくとも俺がする気は無いですよ」
「では貴方を殺して私も死ぬ! 不倫にならないために死後で一緒になりましょう! ……みたいな感じですか?」
「いきなりぶっ飛びますね」
第一、向こうも俺に惚れたかどうかも怪しい。
妙な噂も流れる相手だ。実は息子が心配でなにかと話していた俺が気になったから呼び出したとか、魔法実験の為の生贄として頭から離れない、という方がしっくり来る。あるいは……
「ま、どちらかと言うと俺達の医務室での会話を聞いて転生とか日本とはなんぞや、とか聞かれる可能性の方が高いですが」
息子が好きだと公言している相手を調べていたら、医務室での会話をなんらかの方法で知り、内容について問いただす可能性だってある。大魔導士という称号を持っているし、周囲に気付かれないよう盗聴魔法みたいなのを展開させている可能性だってある。
「それならば大丈夫です。魔法による盗聴防止と周囲探索魔法を発動して、私達の話が聞かれないように注意をはらいましたから」
「……え、いつの間に? 呪文詠唱や魔法名詠唱は?」
「しなくてもそのくらいなら全行程破棄発動ができます」
なにこの子怖い。
サラッと言っているけどこの国じゃ専門職すら難しい芸当だぞ、それ。あの前世の自己紹介をする前の周囲確認はそのためだったのか……
「ともかく、情報ありがとうございます。試合前に呼び止めてすいませんでした」
「いえ、構わないのですが……呼び出しには応じるのですか?」
「ええ、一応は。妙な相手とは言え、大魔導士なんて称号を得ている相手から名前付きで呼び出しを喰らったんです。無視はできませんよ」
「罠かもしれませんよ?」
「念のためシアン辺りには報告しておきます。それに名前が本物とは限りませんし」
渡したのは当事者ではなく、名前を騙っただけの偽物という可能性もある。カーマインが嫌がらせの為にやっているという可能性だって十分にある。
だが、単に無視すると言うのも寝覚めが悪い。
悪戯なら悪戯で、悪戯を実行しようとしたヤツあるいは命令をしたヤツはぶっ飛ばしたい。
「クロさん、お気を付けくださいね」
「ありがとうございます、ですが変な相手をするのは慣れていますから大丈夫ですよ。人体実験からの逃亡のコツは掴んでます」
「慣れているんですね。いえ、そちらではなく。美しい相手だと聞きますし、有名な方ですから、なにもなくても噂が立つかもしれません。そうしたらヴァイオレットも……」
仮に差し出したのが本物だとして、ヴェールさんが現れたとしても内密に会っていたらマズいという事か。……そりゃそうか。お互い既婚子持ちだし。
その場合はヴァイオレットさんにも不要な心配をかけてしまうだろう。浮気とか、略奪愛とか。そして相手が夫も存命で元同級生の母とか色々と情報が処理しきれなくなるだろう。
「ご安心ください、ヴァイオレットさんを悲しませるような事はしませんから。今の関係を壊したくないです」
「でも大事にし過ぎて発展が見られないとグレイ君が叫んでいましたし」
「言わないでください」
うん、アレのお陰で殿下達に妙な印象を与えたのは確かだろう。グレイには後で注意をしておかなくてはならないな。
「……あの、クロさん。失礼だとは分かっているのですが、質問よろしいでしょうか」
「? はい、構いませんよ」
グレイにどう注意すべきかやヴェールさんについてどうしようかと悩んでいると、メアリーさんが周囲を確認してから少し聞き辛そうに質問をしてくる。……今の一瞬でまた盗聴防止魔法とか使ったのだろうか。
「クロさんって、ヴァイオレットのどういう所がお好きなんですか?」
「…………」
これがエクル辺りが質問者であったらまた試合前のような嫌味を含む質問だろうが……メアリーさんの場合は別の意味を持っているだろう。
答えなくても構わないが、質問した理由さえ分かれば俺も返答を決められて――
「その、きっかけと言いますか……不幸自慢みたいになりますが、私は最初の思春期に入る頃にはずっと病弱で引きこもっていまして、他者と触れ合う機会があまりなくって。前世も含めて生きた相手に恋をした事も、愛したことも無いので、好意を抱く、というのが分からなくて。……二次元なら多分あるんですけど……」
くそ、理由が思ったよりも重かった。そういえばさっき味があるとか身体に痛みが無いとか言っていたな。引きこもりとは言っていたが、精神的ではなく肉体的に引きこもらざるを得なかったという事なのだろうか。薬の副作用あるいは病気の痛みが続いていたのだろうか……?
ともかく、メアリーさんが本気で聞いているのならば、こちらも本気で答えよう。メアリーさんなりに異性を好きになる、という感情を知ろうとしているという事だろうし。
ヴァイオレットさんを好きな所なんて基本全部だが、ようは何故好きになり始めたかという事なのだろう。きっかけといえばアレが無ければもしかしたら俺もメアリーさんのように登場人物という色眼鏡で見ていた見方を変えたシュバルツさんの時の洞窟での一件だ。
だけどそれよりも……そうだな。ヴァイオレットさんを大切に思うようになった理由なら――
「ヴァイオレットさんは仕草が綺麗なんですよ」
「仕草、ですか?」
「ええ、歩く姿勢とか、文字を書く時とか、食事とか。書く字も綺麗ですし。俺には無い芯があります」
「そういう……ものなんですか?」
「気付いたきっかけは別ですが、そういうものなんじゃないでしょうか。好きになる理由に劇的な出来事や一目惚れとかもあるでしょうが……俺の場合は、そんな所です」
メアリーさんに説明するために、俺はヴァイオレットさんを良い所をあげる。
だが、これは思ったよりなんというか……改めて言語化すると、思いの外自分でも気づかなかったことに気付くものだ。
「ま、色々ありますが全部です。ようは全部ひっくるめてヴァイオレットさんは大切な方です」
「一気に端折りましたね」
「事実ですし」
今更だがメアリーさんとの戦いの前のエクル達の言葉に対し異様に腹が立ち、エクル達にどう思われても良いと思った理由が改めて理解できた気がする。
◆
「クロさんが浮気かと思ったが……我の杞憂であったか。…………少し、羨ましいな」
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