追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

流儀と脅迫(:菫)


View.ヴァイオレット


「申し訳ありません、ヴァイオレットさん。遅くなりました」

 私を背に守りながら現れたクロ殿は、気を緩めずに私に呼びかけてくれた。
 雨に濡れ、泥が付き、いつも着ている仕立ての良い服は汚れていて。
 そして、拳には赤い血が付着していた。

「クロ殿、血が……!」
「大丈夫ですよ。これはフェンリルの血です。抵抗されたので少々手荒になりましたが」

 フェンリルの血? つまりそれはあのフェンリルを退けたということだろうか。
 クロ殿は魔法に関しては平均に届くか届かないか程度の人だ。そんな彼がフェンリルを退けるなど……グレイや神父様が補助したのだろうか。だとしたら、この場にはクロ殿以外に近付く者が居ないのは気にはなるが。

「は、ははは……! いやぁ、驚いたねぇ。まさか私がここまでの接近に気付かないとは。キミの情報はある程度仕入れていたが、ここまでとは思わなかったよ」
「それはそれは。帝国の妖精にお褒めを預かり、恐悦至極なことですね」

 帝国の妖精?
 それはシュバルツの別名なのだろうか。どういった意味を成しているのかは分からないが……本名ではなく、異名ネームドで呼ばれる程度の人物であるということだ。

「ふふ、私の事を知っているとはね。でも不思議だな。私もある程度気を使って、依頼とかの時は顔がバレないようにしていたんだけどな。少なくともこの依頼もその名前とは結び付かない名前で受けたというのに。――何処で、知った?」

 びく、と。敵視の対象が私でなくともその視線と言葉は私の身を強張らせるのに十分な殺意であった。
 動きにくい身体が震える。先程まで平気であったはずなのに、本気の彼女の殺意を向けられただけで死の恐怖が明確に感じ取れた。

「情報源は秘密です。言っても信じないでしょうから」

 だがクロ殿は殺意と冷たい声を無視して、何処か余裕のある声と表情で答えを返す。
 こんな状況でも余裕でいられるなど、クロ殿は一体どのような過去を経験して――

「ふむ、変態アブノーマル変質者カリオストロと聞いていたけど、やはりただの数寄者じゃないようだ」
「おい待て。なんでその渾名が広まっているんです」

 あ。慌てた表情になった。

「そりゃあ、キミといえばこの渾名だから、ね!」
「っ!」

 言葉の終わりと同時に、手に持っていた剣をこちらに向かって投擲具の様に投げつける。
 それと同時に服の内側に隠し持っていただろうナイフを複数本取り出し、こちらに時間差で繰り出してくる。

「ふっ――っつ!」
「クロ殿!?」

 剣を掴み、ナイフを私や倒れているシアンさんに当たらないようにはじくが、不意にクロ殿が顔を歪める。おかしい、クロ殿は全て弾いて――あれは、黒塗りのナイフ!?
 反射を無くすために黒く塗られたナイフが一本、クロ殿の左腕に刺さっていた。

「まったく、暗殺者は用意周到で嫌になる……!」
「キミにお褒めを預かり、恐悦至極なことだね」

 クロ殿はその言葉に笑うと、左手で掴んでいた剣を地面に落とし、一歩だけ下がってくださいと小さく私に告げる。

「だけどこのくらいはですね……怪我のうちに入らないんです」

 クロ殿は小さく息を吸い、右足を強く前に出し、地面を叩きつけた。

「震脚――!」

 一瞬だけ驚愕の表情を見せたシュバルツは、クロ殿がたった一つの動作で洞窟の地面を破壊し亀裂を生じさせ、バランスを崩すが後ろに跳躍して距離を取る。
 跳躍しながらも複数本のナイフを投擲し、隙を見せずに改めて構えを取る。
 構えを取ったシュバルツの手にはいつの間に取り出したのか、もう一本の剣を手にしている。

「シュバルツさん、ここで引く気はありませんか。大人しくシキを去るというのなら、先程の一件を含めて不問としましょう」

 クロ殿は気を緩めることなく、一つ提案をした。
 状況はどちらかといえば、こちら側に私やシアンさんといった守るべき対象がある以上クロ殿の方が不利だ。クロ殿の身体能力は底が見えていないが、それはお互いに言えることである。そして戦闘を続ければ互いに無事では済まないだろうということは、今一瞬の流れを見て理解はできる。

「そうはいかない。一度契約を交わした以上、最後まで果たすのが私の流儀だ」

 だがシュバルツは構えを崩すことなく提案を否定した。
 彼女がどのような立場にあるか分からないが、その要望を受け入れることは無いだろう。
 落ちぶれたとはいえを殺すために依頼をした者がいるのだ。そのような依頼者が逃げ帰った所でただで済ませるとは思えない。
 そうだ。私が標的なのだから。私さえ――

「それに例え私が死んでも、我が子たちがヴァイオレットくんを――」
「シュバルツ」

 言葉を発そうとするシュバルツの言葉を遮るようなその声は、今まで聞いたことがないほどに冷徹で、私の耳にも深く突き刺さる。
 そしてクロ殿は相手が黙った一瞬に、知っている当たり前のことを言うかのように、言葉を続けた。

「ヴァイス君は、元気か」
「――――」

 シュバルツの息と動きが一瞬止まり、動かそうとした足を止めその場で停止する。
 今まで常に余裕を持たせていた表情が消え去り、目を見開き、バレるはずのない秘密がバレたかのように、冷や汗を流す。
 ……ヴァイス? それは一体誰なのだろう。だがシュバルツの反応を見る限りでは彼女と無関係の人物ではないだろう。

「何故、キミがそれを」
「知っているさ」

 一歩。クロ殿はシュバルツに近付く。
 その歩みに警戒をしつつも、シュバルツは体が震え、今までのような対応が出来ていない。

「子供が好きなのは孤児院の弟達を思い出すから。特に大切なのは血の繋がったヴァイス君」

 二歩。クロ殿は笑みを浮かべず。淡々とした口調で近付いていく。

「それとお前がいつも持っていて大切にしているハンカチのことも。なんならそのハンカチに施された刺繍の糸の色でも言った方が良いか? ヴァイス君が誕生日に縫ってくれたんだろう?」

 三歩。お前のことは知っていると。秘密にするなど無駄であると言うように、

「これでも友人はいるものでね。俺になにかあったら連絡がいく。そうしたらヴァイス君の居る孤児院はどうなるだろうな」

 四歩。大きく歩み寄り、状況を把握できていないシュバルツの首を右手で掴む。
 軽く上向きに力を入れ、無理矢理視線を合わさせるとクロ殿は言い聞かせるかのように言葉を続ける。

「いいか。シュバルツ。依頼主が誰か俺は知っている。そしてその女は拘束もした。――なら、言いたいことは分かるか?」

 もしお前が願うなら、と。
 選択を与えたうえで他を認めない命令を告げる。

「ヴァイス君のことが大切なら。今すぐここから大人しく立ち去れ」

 もし破ったら殺す、と。クロ殿は告げていた。

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