プロレスラー、異世界で最強無敵の剣闘士に転生する!

井上みつる

剣闘祭の台風の目

 ハッチが待機場に運ばれると、皆の空気は重く沈み込んだ。



 軽量とはいえ兜を被っていたので命に別状は無い。だが、鼻や歯が折れ、血を流したまま地面に横になっているハッチの姿は、そのままスプレクス剣闘士団の未来を表しているようだった。



「……くそ。これで負けか」



「後は怪我をしないようにして次に賭けるしか無いな」



 そんな諦めの声が聞こえ、スプレクスは舌打ちをした。



「スロイダー剣闘士団に吠え面をかかせてやるって奴はいねぇのか!? 誰もまともに戦えてねぇじゃねぇか! この前まではガンガンいけてただろ!?」



 スプレクスがそう怒鳴ると、最初に重傷を負った二人の剣闘士と仲が良かった者などは、あからさまに敵意の篭った目をスプレクスに向けている。



 俺は次に出る剣闘士に顔を向けてみると、もはや戦意も薄く、肩を落としてしまっていた。



 明るく前向きな者が多かったスプレクス剣闘士団が、見る影もないような有様だ。



 むしろ、これがスロイダー剣闘士団の実力を見た所為であれば、後に繋がる良い経験となるだろう。



 しかし、俺から見れば勝てる試合を自ら捨てたようにしか見えない。だが、剣闘士としての誇りを捨てろとも言えないのがもどかしい。



 結局、舞台に赴く四人目の剣闘士に、俺は声を掛けることは出来なかった。



 予想通り、四人目の剣闘士もスロイダー剣闘士団の力を肌で感じる間も無く負けた。あまりにもアッサリ負けたお陰で怪我が少ないのは良かったが、恐らく彼は剣闘士として戦うことが出来なくなってしまうだろう。



「……頼むぞ、マット」



 俺が準備をしていると、スプレクスが珍しく覇気の無い様子でそう呟いた。



 まだまだ試合はある。少しでも士気を上げる材料が欲しいのだろう。



「勝てとは言わん! だが、何とか打ち合ってくれ! 俺達も勝てる可能性はあると思わせてくれ!」



 そう言って、スプレクスは縋るように俺を見上げた。



 俺はスプレクスの腕を軽く叩き、エメラの頭を撫でる。



「俺が負けると思うか?」



 俺がそう口にすると、エメラが目を輝かせて俺の手を握った。スプレクスは吹き出すように笑い、俺の背中を叩く。



「スゲェ奴だよ、お前は」



 そう言って笑うスプレクスに、俺は肩を竦めると舞台へ向かった。エメラの手を離し、木の扉を押し開ける。



 視界に広がっていく、明るい舞台。



 観客の歓声は、恐らくスロイダー剣闘士団の看板に向けて発せられる期待感が形になったものだ。



 この歓声を独占した時、間違いなく盛り上がる。今までに何度かあった大金星のチャンスだ。



 自然と口角が上がるのを意識しながら、俺は舞台の中央に立った。



 反対側に人影が現れる。



 背は恐らく二メートルを優に超えるだろう。今までで一番巨大な男だ。赤い羽のついた、顔の大部分が隠れる形状の兜を被っているので、髪型や表情は分からない。分厚い鎧を着ており、手には長い剣と大きな盾を持っている。



 確か、バーディクトとかいったか。



 バーディクトはこちらに歩いてきて、俺を見下ろした。



「暴君マット、か」



「ああ。そっちはバーディクトだな」



 俺が返事をすると、バーディクトはフッと息を漏らすように笑った。



「小さいな」



「お前がデカ過ぎる」



 俺達はそんなやり取りをして、お互いに剣を構えた。



 俺とバーディクトとでは、間合いが一メートル以上違うだろう。この差を埋めるには、剣をまともに防いでいてはダメだ。



 距離が遠いのだから、動きを止める暇は無い。



「行くぞ!」



 バーディクトは声を張り上げ、剣を振った。脇を締めて腰を回し、身体の動きで振るコンパクトな斬撃だ。



 だが、その驚異的な速さとリーチは馬鹿にならない。



 盾で軌道を逸らすように受けて、一歩距離を詰めてみる。膝を曲げて重心を落として受ければ防げないものでは無い。



 しかし、バーディクトの剣技はそんなに甘いものでは無かった。



 上に逸らした剣を、バーディクトが腰の回転を加えるだけで素早く打ち下ろしとなって帰ってくる。



 見上げるような巨体とは思えないボディコントロールだ。



 長く厚みもある剣を、バーディクトはまるで鞭のように上下左右から斬り込んでくる。



 歓声と打楽器の音に呼応するように、バーディクトの剣が俺の盾を削る金属音が連続して鳴り響く。



 剣の雨には切れ目が無かった。



 途切れる様子の無いバーディクトの連続斬りは、俺が盾で防いでいるからこそ反動をつけることが出来ている。



 ならば、流れを変えるには反動を無くすか、増やすか。



「ふっ!」



 次の手を決めた俺は、迷う事なく盾を押し出した。今までのように受け流すのでは無く、バーディクトの剣を抑え込む為の前進だ。



 バーディクトの口の端が上がった気がした。



 バーディクトの剣が盾に直撃した瞬間、バーディクトは自分の大きな盾を俺の真上から振り下ろした。



 なるほど。長身とリーチを活かした恐ろしい奇襲だ。盾を前に出しているのだから、残ったのは剣だけだ。だが、剣で上から降ってくる重くて大きな盾を防いでも、完全には防ぎ切れないだろう。



 しかし、それは普通の剣闘士ならばの話だ。



 俺は剣の平の部分で盾を叩き返すように打ち上げ、盾を弾かれて驚愕するバーディクトに向けて倒れ込んだ。



 偶然にも俺とバーディクトは剣と盾がまともに使えない状態にあった。



 バーディクトの足に自分の足を引っ掛けて共に地面へ倒れ込み、バーディクトが俺を攻撃する前にバーディクトの腕を取る。



 身体を入れ替えて、首と腹に足を掛けて剣を持つ右腕を両手で押さえた。



 肘を関節の方向とは逆側に引き延ばす。



「っ!? ぐぁあっ!」



 バーディクトの苦悶の声が響いた。そして、バーディクトは剣をとり落す。



 勝った。



 俺がそう思ったその時、バーディクトは残った盾で俺の腕と足を攻撃してきた。自分の痛めた腕や身体にも当たるというのに、全力の一撃だ。



 衝撃で僅かにロックが緩んだのか、バーディクトは俺の手を振りほどいて立ち上がり、逃げるように俺から距離をとった。



 素手同士ならともかく、あれだけ堂々と金属製の凶器を持たれると関節技も中々難しい。



 だが、俺も軽装とはいえ鎧を着ている。来ると分かっていれば耐えられる筈だ。



 気持ちを新たに俺がバーディクトに向かって構えると、バーディクトは盾を前面に構えて俺を睨んできた。



 待ち構えて何かする気だろう。



 俺の剣を奪う気か、それとも俺と身体を入れ替えて自分の剣を拾う気か。



「……なら、こうしようか」



 俺は小さく呟くと、剣を後ろ手に持ち、バーディクトのように盾を前面に構えて足を前に出した。



 バーディクトが眉根を寄せてこちらの動きを観察するように見ている。



 せっかく自分だけが剣を持っているのに、何故それを使わないのか。



 微かに見えるバーディクトの顔にそう書いてあった。



 俺は口の端を上げて更に距離を詰め、バーディクトの動きを誘う。



 バーディクトはまだ動かない。俺はまた距離を詰める。



 歯が軋むような音がバーディクトの方から聞こえた。俺はまた距離を詰める。



 闘技場の中に張り詰めた空気が広がっていき、観客は歓声も忘れて俺達の動きに注目している。



 俺はまた一歩、距離を詰めた。



 バーディクトはもう目の前だ。



 兜の隙間からバーディクトの顔が窺えるほどの距離に迫った。



「……っ! ぬおっ!」



 堪え切れず、バーディクトが動いた。



 俺に向けていた盾をグンと押し出し、横に動く。視界を奪って身体を入れ替えるつもりか。



 だが、俺はバーディクトの盾に自分の盾を思い切り押し付けて、バーディクトが向かう先に一緒に動いた。



「……っ!」



 がむしゃらに俺の盾を押し返そうとするバーディクトの動きに合わせ、今度は自分の盾を引いてバーディクトから一歩離れる。



「な、なに!?」



 タイミングを外されたバーディクトは、そのまま前方へと前のめりになって体勢を崩した。



 俺は自分の胸の高さ程になったバーディクトの後頭部を地面に向かって押し付け、両膝でバーディクトの頭を兜ごと固定する。



 そして、素早くバーディクトの腰を上から覆い被さるように掴み、一気に持ち上げた。



 バーディクトの巨体が倒立するように逆さまに持ち上がり、俺は両腕でバーディクトが逃げられないように拘束する。



「歯を食いしばれ!」



 俺はそう叫ぶと、バーディクトの巨体を抱えたまま後方へ倒れこむように跳び、尻餅を付いた。



 バーディクトの巨体のことを考えて跳んだのだが、思った以上に思い切り飛び上がり、バーディクトの頭は俺の膝に固定されたまま地面へ杭のように打ち込まれる。



 力を失ったバーディクトが地面に倒れ込み、俺は距離を取って立ち上がった。



 大歓声が沸き起こり、闘技場が揺れる。



 だが、俺はそれよりも心配なことがあった。



 肩で息をしながらバーディクトの様子を窺っていると、首を片手で押さえ、バーディクトは上半身を起こす。



「……生きてたか」



 俺がホッと胸を撫で下ろしながらそう言うと、バーディクトが座ったまま、俺に手を伸ばした。



「……完敗だ、少年。剣闘士として二十数年、こんな戦いは経験したことも無かった。感謝する」



 バーディクトにそう言われ、俺は座ったままのバーディクトの手を軽く叩く。



 握手すると思っていたらしいバーディクトが驚く中、俺はバーディクトの肩を軽く叩いて笑った。



「これだけ強い相手はいなかったんだ。引退みたいなこと言うなよ、バーディクト」



 俺がそう言うと、バーディクトは一瞬動きを止め、声を出して笑い出す。



 闘技場で拍手が巻き起こる中、俺とバーディクトは今度こそ握手をした。


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