第838話　惜しい関係

　ソフィは女性店員が置いていった品書きを眺めながら、眉を寄せて食べ物を選んでいる。

「少しいいか、ヌーよ……」

「あぁ？　食うものは決まったか？」

「蕎・麦・というものはどういうものなのだ？』

「あ？　そりゃ茹・で・た・麺・が・丼・に・ぶ・ち・ま・れ・て・出・て・く・る・食・い・物・だ・ろ・う・」

「なんだそれは、美味いのか？」

「好みじゃねぇか？　冷たい奴か熱い奴か選べるみたいだが、この国の蕎麦がどういうものかまではわからねぇな」

　ヌーは面倒くさそうに適当な蕎麦の説明を行うのだった。それをきかされたソフィは、結・局・茹・で・た・麺・が・、丼・に・入・っ・て・出・て・来・る・という情報しか得られなかった。

「茹でた麺か……。我はそれにするが、お主はどうする？」

「俺はこの『はも』という奴を頼むか」

「はも？　それはいったい……」

「さっきからうるせぇな！　出てきたら見せてやるからいちいち聞いてくるな。めんどくせぇ！」

「――」（沸点低いなぁ、コイツ）

　テアは元々ヌーをまともな魔族だとは思っていなかったが、こんなにも短気で話が出来ない奴だとは思っていなかった。

　『はも』料理がどういう食べ物か聞こうとしていたソフィが、しょんぼりとしている様子を見たテアは手元にあった容器に水を入れて、そっとソフィに渡すのだった。

「む、すまないな」

「――」（いいえ）

　ソフィはテアから水の入ったコップを受け取ると、一息に飲み干して喉を潤すのだった。空になったソフィの容器を見たテアは、コップを受け取ろうと手を伸ばしながらもう一杯いっときますか？　とばかりに促す。

「お主はいいやつだな」

　テアが何を言っているかは、言語が全然分からなかったが、どうやらもう一杯入れますよと言っているのだろうと判断し、ソフィは嬉しそうに容器をテアに渡す。

「クククッ、こいつは死神だぞソフィ。てめぇに媚を売っていやがるが内心では、て・め・ぇ・を・ど・う・料・理・し・て・や・ろ・う・か・と・考えていやがるぜ」

「――！」（お前いい加減にしろよ！？　ぶち殺すぞ！）

「ククククッ！」

　ヌーはテアを弄る楽しさを覚えたのか、再びテアをダシにソフィに冗談をいって笑みを浮かべるのだった。

　そのやり取りを見ていたソフィは、これまでのヌーと今目の前に居るヌーを比較して丸くなったものだと考えるのだった。

（理由は自分に余裕が出来た事だろうな。こやつは一定の強さを手にした事で、的確に相手との強さを理解し、自分の実力を客観的に判断出来るようになった。敵の強さを理解出来ぬうちは、無謀な戦いを挑み傷つき疲弊する。だから余裕がなくなり、負のスパイラルに陥る。だが今のこやつはその時期をようやく乗り切って自分に自身を持ち始めているのだろう）

　ソフィは自分に比べてまだまだ若い魔族であるヌーが、ゆっくりと成長していく姿を見て、感慨深く頷くのだった。この若さでかつては『アレルバレル』の魔界でNo.２の立場まで登り詰めて、ヌーの年齢より遥か上の『ディアトロス』や『魔界』の一つの大陸で頂点を極めた『イリーガル』よりも強い力を手にした魔族である。

　その粗暴な性格のせいでヌーは仲間と呼べる者を作らずに、自分の思い通りに動く魔族の配下や、魔物の軍勢の一大勢力を作り上げた。アレルバレルの世界の『魔界』は生・易・し・い・世・界・では無い。

　数千年、数万年と長い時代を生き抜いてきた魔族達が、毎日のように戦争を起こすような世界なのである。ソフィが魔王として君臨はしているおかげで、大陸間での争いなどは無くなったが、それでも小さな諍いや争いは各地で日常に起こっている。

　そんな世界で仲間を作らずにたった一人で生き抜いてきたヌーは、ただ持って生まれた才能だけで生きてこれた筈は無い。きっとソフィですら想像出来ないほどに、血の滲むような努力を続けてきたに違いないだろう。

　その証拠に今ヌーが行動を共にする事を許している死神は、ソフィの目から見ても相当の魔力を持つ、神・格・持・ち・の『神』に映る。神・位・が低いとはいっても、こうして一介の神を従わせる程の力を身につけている。

　アレルバレルの世界の魔族でソフィの配下では無い魔族であれば、ソフィを恐れて近づこうともしないだろう。それが平然と大魔王ソフィと食事を共にしようとしているのである。

　それだけでソフィから見れば、この大魔王ヌーの未来が楽しみなのであった。

（お主がもう少し早く内面的に大人になって、今のような立場になっていたならば、我はお主を守ってやれたのだがな）

　目の前でテアと楽しそうに騒いでいるヌーを見たソフィは、大・切・な・友・人・であるフルーフと決して相容れない関係を作ってしまったヌーを残念に思いながら、目を細めて見つめるのだった。

　……
　……
　……