【書籍化】王宮を追放された聖女ですが、実は本物の悪女は妹だと気づいてももう遅い 私は価値を認めてくれる公爵と幸せになります【コミカライズ】

ノベルバユーザー565157

第四章 ~『リーシャの誘惑』~


 リーシャに連れられて、アルトは客室へと案内される。猫足の長椅子や化粧台、レースのカーテンが目につく。置かれている家具のグレードは男爵家とは思えないほどに高く、違和感を覚えさせた。

「随分と豪華な客室だな」
「私の自室として使っていた部屋ですからね。狭くなったので、今は別の部屋に移りましたが」
「……空き部屋があったということか?」
「家族だけで暮らしていましたからねぇ。空き部屋の方が多いくらいです」
「……クラリスは物置で育ったと聞いたが?」
「あれはお姉様の趣味ですよぉ。でなければ、物置で寝る貴族の令嬢などおりません」
「…………」

 アルトは怒りを通り越して、黙り込んでしまう。クラリスが自分で不遇な立場を望んだとする言葉は卑怯者のそれだ。加害者が自分を正当化するために、虐めの理由まで被害者に押し付けたのだ。

「クラリスは……」
「お姉様がなにか?」
「いや、何でもない……」

 怒りを我慢するために、ふぅと息を吐き出す。婚約破棄が正式に成立したのだ。クラリスは自由の身だ。家族に縛られる鎖はない。

 ならば過去の不遇の分だけ、幸せにしてやればいい。アルトは前向きな態度で未来を見据える。

「そうだわっ、お姉様のことを知りたいのなら、あれを用意しないと」
「あれ?」
「見てからのお楽しみですよぉ」

 リーシャが部屋の外へと何かを取りに行く。数分後、戻ってきた彼女の手にはカップが握られていた。

「この紅茶はお姉様が育てた茶葉から淹れたのですよぉ。興味ありますよね?」
「クラリスに茶葉を育てる趣味があったとはな。知らなかったよ」
「飲みますよね?」
「無駄にはできないからな」

 無骨な答えだが、アルトの口元には笑みが浮かんでいた。クラリスが手料理を振舞う度に、手帳に想い出を記すほどの愛妻家だ。彼女の育てた茶葉に興味を示さないはずがない。

 リーシャから渡されたカップを受け取り、口を付ける。甘みが舌の上で広がり、喉を鳴らした。

「お味はどうですかぁ?」
「最高だ。さすがはクラリスの育てた茶葉だな」
「アルト様はお姉様を愛しているのですね……」
「私の右に出る者はいないと胸を張れるほどにな」
「お姉様がこれほどに愛されるなんて驚きですぅ。知っていますか? 子供の頃のお姉様は私に懐いていたんですよぉ。話しかけると駆け寄ってくる姿はそれはもう……うふふ……まるで犬みたい♪」

 リーシャの言葉を耳にするたびに、アルトの肌が粟立つ。彼女は内心でクラリスを見下していた。それがありありと伝わってくるのだ。

「アルト様は私の事をどう思いますか?」
「クラリスの妹だな」
「はぐらかさないでくださいよぉ。個人的にどう思っているかという話です」

 媚びるように、潤んだ瞳でジッと見つめてくる。男を手の平で転がすことに慣れた表情も、誘惑するような甘い吐息も、アルトにとっては嫌悪の対象でしかなかった。

「私に惚れたりしませんかぁ」
「するはずがない。私はクラリス一筋だからな」
「それは私に魅力がないからですかぁ?」
「魅力の問題ではない。君の瞳は人を映していないのだ」
「え~、ちゃんとアルト様の美しい顔が映っていますよぉ」
「そこだよ。君が好きなのは私の顔や金や地位で、私自身には興味がないだろ。だがクラリスは違う。私という一人の人間を愛してくれている。だから私も彼女を愛するようになったのだ」

 地位も名誉も金も、アルトよりハラルドの方が優れていた。しかしクラリスは彼を選んでくれた。内面を好きになってくれたのだと、自信を持つことができた。

「何度でも言う。私はクラリス以外の女性には興味がない。リーシャ、君に対してもだ。その気持ちが変わることはない」
「それは残念です。ですがまぁいいでしょう。どうせすぐに心変わりしますから」
「いいや、私は――」

 否定の言葉を口にしようとした瞬間、眩暈が起きる。ユラユラと揺れる視界で、リーシャは恐悦の笑みを浮かべていた。

「ふふふ、ようやく効いてきたようですねぇ」
「どういう……ことだ?」
「実は先ほど淹れた紅茶ですが、茶葉をお姉様が育てた話は嘘なのです」
「な、なら私に何を飲ませた?」
「媚薬ですよ。効き目が強すぎて、帝国では販売が禁止されているほどです。王子様もこれで私にメロメロになったのですよぉ」

 汗が止まらなくなり、身体が熱くて動かない。意識を保つのが精一杯だった。

「この薬を飲んで、私を襲ってこないなんて、本当にお姉様のことを愛しているのですねぇ」
「当たり前だ!」
「ですが事実は嘘で塗り潰せます。こうやってね」

 リーシャは抵抗できないアルトに抱き着く。胸元をはだけさせた彼女と、顔を火照らせる彼が寄り添う光景は立派な浮気現場だ。

「これでアルト様は言い逃れできませんよ。後はお姉様に目撃させるだけ。これで二人の絆は崩れ去ります」
「や、やめろ」
「だーめっ。それより意識を保つのも大変でしょう。さぁ、眠りましょう。婚約者の私が、あなたの傍にいてあげますから」

 リーシャは甘い言葉を耳元で囁く。淫靡な瞳を輝かせる彼女は、悪魔のように笑うのだった。

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