水月のショートショート詰め合わせ
虹色の風、人馬一体に
草原の真ん中で草を食む、栗毛の馬を必死にスケッチする。素早く。正確に。筋肉や骨格の隆起。目や耳、口元の輪郭。視覚情報を、薄い紙に濃い鉛筆で残す。
5分ほど経って、スケッチは完了。馬は太陽をたっぷり浴びている草を、まだ味わっている。画板をその場に置いて、ペンケースを重石代わりに乗せる。
ゆっくり馬に近づき、鼻筋と額を撫でた。柔らかい栗毛の毛を持つ馬は、目を細めた。数年前の自分を、ぼんやり思い出す。
閉じられたままのノートパソコンの前で、固まっていた。周囲の社員たちは、自分の今日の仕事のノルマを達成しようと、忙しなくキーボードを押している。
いつもの通り、コーヒーを急いで飲み干して、スーツに着替えて、出勤して。後はパソコン画面と睨み合い、文字と数字を入力して。それさえこなせば。帰れる。朝になれば、またここに。同じことをして。帰る。そして、眠りから覚めたら、また同じ。
なぜ?何のために?日常を繰り返すために、繰り返さねば。なぜ繰り返す?
迷宮と化した思考から抜け出せなくなり、結局、その日はパソコンを開けられなかった。その後、あっけなく会社から見放された。
仕事と引き換えに、投げて寄越された自由の時間。何をすべきなのか戸惑っていた時、馬のいる牧場のポスターを見かけた。
「ぶるるる」
馬が軽くいななく。草が美味しいのか、機嫌よく、草を食んでいる。幼い頃、動物の絵を描くのが好きだった。特に、馬の絵が。
ある日の図工の時間に、浮かんだイメージの通りに、虹色の馬を描いた。自信満々で図工の先生に見せた時、問答無用で、茶色の絵の具を馬全体に塗られた。
「見えた通りに描くようにね」と言われながら、無残な色合いになった絵を返された時、もう二度と絵は描くまいと誓ったのだ。
その私が20数年後に、虹色の馬の絵を描いて売ることになるとは。牧場の近くにアトリエ兼家を借りているなんて。自分の畑を耕し続けて、すっかり自給自足の生活にも慣れた。
今の自分を、数年前の自分は想像できなかったろう。未来の自分から教えられても、在り得ないと、頑なに信じなかったろう。
「ぶるぶるる」
馬が再び、短くいなないた。悠々と、私の元から離れていく。
家に戻り、スケッチブックと画版をテーブルに置く。そして、作業部屋に入った。ビニールシートで覆った床に置かれた、横3m、縦1mのキャンパスを見つめる。
すぐ横に置いてある缶から、刷毛といくつかのアクリル絵の具のチューブを取り出し、お椀に絵の具を絞り出す。混ぜながら色を調整して、キャンパスの傍でしゃがんだ。
3頭の馬が草を食みながら、寄り添っている。身体を虹色に発光させながら。この世には在り得ない馬。だからこそ、もっと鮮やかで妖しい虹色に。
誰もが振り向く鮮烈な虹色で、力強く存在させたい。この、大きなキャンパスの中に。
腕を回すように、刷毛を大きく動かす。天上の草原で群れを成し、駆ける虹色の馬の起こす風を、確かに感じながら。
5分ほど経って、スケッチは完了。馬は太陽をたっぷり浴びている草を、まだ味わっている。画板をその場に置いて、ペンケースを重石代わりに乗せる。
ゆっくり馬に近づき、鼻筋と額を撫でた。柔らかい栗毛の毛を持つ馬は、目を細めた。数年前の自分を、ぼんやり思い出す。
閉じられたままのノートパソコンの前で、固まっていた。周囲の社員たちは、自分の今日の仕事のノルマを達成しようと、忙しなくキーボードを押している。
いつもの通り、コーヒーを急いで飲み干して、スーツに着替えて、出勤して。後はパソコン画面と睨み合い、文字と数字を入力して。それさえこなせば。帰れる。朝になれば、またここに。同じことをして。帰る。そして、眠りから覚めたら、また同じ。
なぜ?何のために?日常を繰り返すために、繰り返さねば。なぜ繰り返す?
迷宮と化した思考から抜け出せなくなり、結局、その日はパソコンを開けられなかった。その後、あっけなく会社から見放された。
仕事と引き換えに、投げて寄越された自由の時間。何をすべきなのか戸惑っていた時、馬のいる牧場のポスターを見かけた。
「ぶるるる」
馬が軽くいななく。草が美味しいのか、機嫌よく、草を食んでいる。幼い頃、動物の絵を描くのが好きだった。特に、馬の絵が。
ある日の図工の時間に、浮かんだイメージの通りに、虹色の馬を描いた。自信満々で図工の先生に見せた時、問答無用で、茶色の絵の具を馬全体に塗られた。
「見えた通りに描くようにね」と言われながら、無残な色合いになった絵を返された時、もう二度と絵は描くまいと誓ったのだ。
その私が20数年後に、虹色の馬の絵を描いて売ることになるとは。牧場の近くにアトリエ兼家を借りているなんて。自分の畑を耕し続けて、すっかり自給自足の生活にも慣れた。
今の自分を、数年前の自分は想像できなかったろう。未来の自分から教えられても、在り得ないと、頑なに信じなかったろう。
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すぐ横に置いてある缶から、刷毛といくつかのアクリル絵の具のチューブを取り出し、お椀に絵の具を絞り出す。混ぜながら色を調整して、キャンパスの傍でしゃがんだ。
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誰もが振り向く鮮烈な虹色で、力強く存在させたい。この、大きなキャンパスの中に。
腕を回すように、刷毛を大きく動かす。天上の草原で群れを成し、駆ける虹色の馬の起こす風を、確かに感じながら。
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