水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

地下水路のミスター・ロックスミス

足元をちょろちょろと流れる水。その水の流れていく先は、暗闇。コンクリート製の巨大な洞窟の天井は、遥か頭上に。

ツアーガイドの男性の声が、ぐわんぐわんと強く反響する。

「排水用の地下水路ですからね。もし今、突然大雨が降ったら、皆さん大変ですよ。海まで押し流されちゃうかも。ははは。大丈夫ですよ。ちゃんと天気は確認してますから」

ガイドの後ろを歩いていた約10名の参加者は一切笑わない。ツアーガイドの男性は、咳払いしてから地下水路の説明を再開した。

強烈なライトに照らされて、浮かび上がる通路の内側。予想通り、地下室や洞窟に興味をそそられる私には、最高のツアーだ。私たちの頭上では、都会の通常活動が営まれている。なんとも、変な感じだ。



しばらくすると、太い柱が整然と並んでいる広い部屋に着いた。他の参加者たちと一緒に、感嘆の声を上げる。

恐怖を感じるほどの、圧倒的な広さ。

「大量の雨水を貯める部屋です。皆さん、そわそわしてらっしゃいますね。いいでしょう。説明の前に、しばらく自由行動です。ただし、この部屋だけですよ。水路は入り組んだ構造になっていますから、くれぐれも、部屋から出ないように」



柱と柱の間を歩きながら、時々、柱に触れる。すべすべとした感触。首を後ろに思い切り反らせて、見上げた。

一切の装飾が無い柱は、ただ建物を支えるためだけにある。しかし、神殿の柱のような、神社の大きな鳥居のような、荘厳な雰囲気をまとっていた。

地下の神殿や神社の妄想は、大きな声で途切れた。

「水が!」

ツアー参加者の男性の声が反響して聞こえ、反射的に下を見る。長靴の足首辺りまで、水に浸かっていた。いつの間に。ざぶざぶと足を持ち上げるようにして歩く。遠くに、参加者たちが見えるが、なかなか近づけない。

入って来た通路側から、水が勢いよく流れ込んでいる。人の集団は出口側の通路に移動し始めた。私が近づいた分、離れる。焦りが募る。

「うわぁ!」

「きゃー!」

出口側の通路からも勢いよく水が流れてきて、数人が悲鳴を上げた。

水かさは焦りと比例して、どんどん増していく。膝の位置にまで達した時には、ついに足を動かせなくなった。近くの柱に抱き着く。私以外の人も、柱に抱き着いた。

ザーと流れる水の音を聞きながら、妙に落ち着いた気分になる。思い浮かぶのは、昨日、部屋に飾った古い鍵。

祖父母の形見だ。古い日本家屋の窓やドアに使われていた、重く大きな鉄製の鍵。実用的かつレトロなインテリアとして、復活させたばっかりだったのに。ああもう一度、あの鍵を眺めたい。

「錠前がご入用ですかな」

柱に付けた右耳から、何か聞こえた。気のせいと思いながらも、右耳を柱に強く押し当ててみる。

「私は、ミスター・ロックスミス。神出鬼没で不老不死、変幻自在で唯一無二の錠前屋。鍵を切に求める者に、与える者でございます。どのような鍵をお望みで?」

妙な声が右耳から、参加者たちの悲鳴と泣き声が左耳から入ってくる。もう、落ち着いていられない。太腿の中間まで、水に浸かっている。寒い。思考能力が鈍っていく。

「な、なんでもいいから、助けて。鍵、ここから、出られる鍵。地上に、戻れる鍵」

「承りました」

カシャンという音。柱にぴったり張り付いているはずの右の掌に硬い感触。柱と右手の間に、あの、祖父母の家の鍵があった。しっかり握り、目を閉じる。冷たい水に、全身が包まれた。









目を開けた時には、地下水路の入り口前で座り込んでいた。周囲では、参加者たちとツアーガイドの男性も、水は……水は……と呟きながら呆然と座り込んでいる。

服を触ってみる。濡れていない。夢だったのか?しかし、こんな大勢が、同時に同じ夢を?

よろよろと立ち上がり、地下水路の入り口に近づく。入った時には何も無かったはずの場所に、大量の鍵が落ちていた。


コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品