水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

ソラリスの海の時の梯子

実験装置の瓦礫の真ん中に、突然現れた浅黒い肌の青年は、海に向かって奇妙な言葉を発しながら泣き叫んでいた。

タイムトラベルの実現を目指す実験。浜辺に設置した実験装置が突然震えだし、爆発した直後に、その青年は忽然と現れた。麻の織物。腰ひもで結び、固定するだけの簡素な服装で。

まさに、古代人の服装だった。






「おみ、おみ」

「そう海。君が、最初に、いた場所」

「あかつゃあろうぴう、ねいたりぅけけるうとぅるつぃ」

夕方の海の景色に興奮した様子の青年は、目を見開いて古の言葉を囁いた。脳内で必死に現代語訳する。赤い、日差し、美しいという言葉だけ、理解できた。

「うん、本当に、綺麗だね」

落ち着かない様子の青年は、きょろきょろと四方を見まわしてから、海を指差した。

「わね、ぴうねかもり、おみわたり、ねつぃゆきら」

青年の言葉を、頭の中で繰り返しながら翻訳する。私たちの、神。陽の神。太陽神。海を渡り、北に行った。

青年は突然悲しそうな表情になり、その場にしゃがみこんでしまった。すすり泣く声が浜辺に響く。ジャケットを脱ぎ、青年の肩にかける。

気持ちが不安定なのだろう。カウンセラーも言っていた。突然2000年先の世界に、1人放り込まれたのだ。無理もない。

DNA検査や精神鑑定、その他諸々の検査の結果、この青年は本当に紀元前の時代の人間であると結論付けられた。

初めて面会した時には、怯え切り、沈黙していた青年だが、今ではリラックスして自分から話してくれることが増えた。

言葉が多少理解できると伝えた時、青年の笑顔を初めて見た。今までの古代言語の研究の苦労が報われた瞬間だ。

しばらくして落ち着いた様子の青年は立ち上がり、地平線を見つめる。

青年の目線を追うと、地平線の奥に、長く黒い物体を見つけた。灯台の影、蜃気楼だろうか。

しかし、その物体はどんどん、高く伸びていく。横幅も増していき、梯子のような形になった。

「ぴうねかもり」

言葉を失くしている私の横で、うわごとのように呟いた青年は、突然走り出した。豪快にサブサブと音を立てて、海に分け入っていく。

消えてしまう。直感した。

「だめだ!戻って!」

焦って追おうとした私を、青年は片方の掌で静止させた。巨大な梯子の影を、赤い大海を凝視したまま。

「おみる、きやらつゃ!」




青年が嬉しそうに言い放った瞬間、突風が吹いた。倒れそうになり、思わず膝をつく。

目を開けられるようになった時には、青年も、巨大な梯子の影もすっかり消えていた。突風も幻だったかのように、夕方の海は静かに波打っている。

「海が綺麗、か」

青年の言い残した言葉を反芻しながら、その場に胡坐をかく。海の夕景は、少し寂しい。

梯子で帰ったよと、関係者たちに連絡しなくては。ジャケットの内ポケットのスマホを探ろうとして空振りし、はたと気付く。

青年の肩に、かけたまま。


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