水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

揺れるロッキングチェアの卵

脚立を一段ずつ、慎重に登っていく。頭から落ちれば、もう大怪我では済まない高さだろう。命綱があっても、足がすくんでしまう。

足を止めて、息を吐く。下を見ないように、すぐ横にある大きな卵を見た。

最近、北極近くで発見された無人島の、凍り付いた土の中で7000万年眠っていた卵。最初はラグビーボールくらいの大きさだったが、ある時、突然巨大化し始めた。

人工的な光に照らされた卵はもう、この研究所倉庫の10mはある高い屋根に届きそうな大きさだ。このずっしりと重そうで、すぐに割れてしまいそうな卵を移動させることは、もう不可能に近い。


顔を上げて、登頂を再開する。

倉庫の屋根を、高くする必要がある。しかし、所長は渋い顔をするだろう。予算の問題もあるが、それ以上に、この卵への世間の目を気にして。

何とか、ゴールに着いた。下を見ない、下を見ないと心で呟く。特大脚立の頂上にしっかりと座る。ポケットに入れておいた手袋を手早く装着してから、白い壁のような卵の殻を片手で撫でる。ザラザラとした、いつもの感触。

背中に担いできた道具袋から、大きな吸盤のような器具を、いくつか取り出す。卵に全て取り付ければ、後は特殊なイヤフォンとゴーグルのスイッチを入れるだけ。

イヤフォンからは、卵の中の微かな音。ゴーグルの内側には、卵の中の温度や振動などを示す数値。卵の状態を示す膨大な情報を、1つ1つ確認していく。





どれも、前回と全く同じ。異常無し。胸を撫でおろす。たっぷり息を吸って、細く、ゆっくり吐く。耳に届く、卵の中の音に集中しながら。ゴゥゴゥというノイズの中に、クルクルクルという微かな高い音が混じっている。

ほんの少し震えながら成長し続ける、温かな卵の中にいるのは、一体誰なのか、何なのか、誰も分からない。

最初は奇跡の卵と謳われ、人気者だった卵だが、今では恐怖の対象だ。どこまでも止まらない巨大化。殻のDNAを調べても、どのような生物か一切不明。

人間が理解できないものは、やはり人間の恐怖と不安を増幅させるらしい。悪魔の卵。天変地異の知らせ。異星人が地球征服のために、地中に埋めておいた卵。ある時から、卵はそう言われるようになった。

急に嫌われ者になってしまった卵は、この研究所の倉庫で永久に保管されることになった。早く割って、廃棄すべきだと声高に主張する人も増えている。屋根を高くする時には、セキュリティー設備も新調しなくてはいけないだろう。

絶え間ない、クルクルクルクルという小さい高音。声なのだろうか。それとも、心音だろうか。

手袋を取った。両手を、卵の殻に当ててる。石のようにざらついた、少しひんやりとした殻。一体何なのだろう。私も、時々恐ろしくなる。とんでもないものが、孵ってしまうかもしれない。しかし、ワクワクもする。7000万年の時を超えた何かと対面できる瞬間は、どんなに感動的だろうか。

私は守ると決めた。

恐怖と好奇心の両極に引っ張られ続けながら。絶えず、あらゆる声に心をゆらゆらと揺すられながら。

「守るよ。だからさ、もうちょっと、ヒントくれないかなぁ。そうしてくれると、守りやすくなるんだけど。君は、誰なの?」

語りかけてみるが、相変わらず卵は眠ったままだった。


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