水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

コードネームオクトパス、応答願う

コックピットで、機体の速度や高度、位置を示すディスプレイをひたすら眺める。明日の新しい任務の段取りを考えながら。

「機長、明日はお休みですよね。何かご予定でも?」

「特には。ゆっくり寝るよ。明日ようやく機長の役を降りる。ほっとするよ。毎回毎回、責任重大だから」

「ははは、コックピットは舞台か。今週も立派な機長っぷりでしたよ。しっかり休んでください」

隣の副操縦士は、この1週間、長年一緒に操縦してきた機長が私に入れ替わっていることに、一瞬も気付かなかった。今も、のんきに笑っている。

私は誰でもあり、誰でもない。何にでも擬態できる唯一無二のタコだ。


仲間の一人の見た目と中身を少し再現しただけで、人間の集団は騙せる。だから、人間界でのスパイは私にとって天職だった。

最初の人魚への擬態は、やけに長い寿命の中での暇つぶしだった。釣り人やダイバーを少し驚かせる程度の。ある時、記憶の中にある人間に擬態できるかどうか、試した。それが成功してしまった。

さっそく陸に上がって、膨大な数の人間に出会った。よく観察して注意深く情報を読み取れば、大抵の人間に成りすませることを学んだ。

私は、ヒト同士のコミュニケーション方法もコピーし続けた。完璧なヒトの擬態を目指して。暇つぶしの遊びはどんどん楽しく複雑に、過激になっていった。

実業家や医師、政治家などに擬態して、少々スリリングな遊びをしていた時、とうとう捕まった。武装した屈強な人間たちに足も手も拘束されて、もう終わりかと思っていた時、なぜか政府の偉い人間から国家公認のスパイになることを勧められたのだ。

スパイになっても、私はただ擬態を真剣に楽しんでいる。チームメイトのために任務は完了させるが、私の本分はあくまで擬態の追求だ。

幸いなことに、チームメイトも上司も、私の正体がタコであるとは露程も思っていない。味方の前では、あえて若干のボロを出すことで、異様に変装が上手な人間を装っているのだ。

皆が知る私の素顔もコピー。色んな人間の特徴を混ぜ合わせた顔だ。コックピットの窓に映る自分の顔を見る。この顔も、コピー。

今頃、コピー元の本物の機長は安全な施設の中で眠っている。不在の一週間の記憶を付け足されながら。仕上げに自宅の部屋のベッドで目覚めさせれば、元通り。任務はフルコンプリート。

こんなクールなスパイタコ、この世界で1匹だけだろう。



「機長、あなた、本物の機長じゃない。あの噂の、スパイタコですよね」

副操縦士の声が、突然矢のように片耳の奥に刺さる。反射的に副操縦士の顔を凝視する。楽しそうな笑顔。

「やっぱり!意外と分かりやすい反応をなさる」

「…………なぜ」

「スパイを騙すスパイもいるのです。当然。スパイタコを騙すスパイタコもいる。いやしかし、これは偶然です。初めてだ。任務中に同業者に出会えるなんて。しかも、あの伝説のスパイタコに。光栄だ。握手してください」

「え?……ああ……」

勝手に両手を取られ、ぎゅうぎゅうと握り込まれた。呆然とする頭に去来する言葉が、思わず口から出た。


「私以外にも、いるの?」


「は?スパイタコですか?ええ、噂では世界各地に結構いるらしいです。皆それぞれ別の組織に所属しているので、交流は無いですが」

手足に力が入らない。暴力的な虚脱感で、築き上げたプライドが崩れ落ちていく。

着陸したら、海に帰ろう。猛烈に恥ずかしい。たこ壺があれば入りたい。もう、帰ろう。雲海と空を眺めながら、心で誓った。

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