水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

超える色彩

聞き慣れたクラシック曲が、私の緊張を煽る。今日が最後のカウンセリングだからだろうか。



呼ばれて診察ルームに入ると、見慣れぬものが目に飛び込んできた。紫色の可憐な花と、青緑色の羽根を誇らしげに広げる鳥の絵画。2つの絵画だけが飾られた大きなクリーム色の壁に、カウンセラーは寄りかかっていた。

「どうも」

「どうも」

「先生、絵画鑑賞なんてご趣味が」

「鑑賞目的じゃなくてね。あ、いや、鑑賞目的か。網膜細胞を使った遊びのために」

「はぁ」

「こんなことはどうでもいいや。カウンセリングしましょ。ああ、今回が最後ですね。なんとまぁ、喜ばしいことだ」

先生はにっこり笑って、私に患者用ソファを勧めた。





「はい、問題ありません。もう、あなたに私の治療は必要無い」

「ありがとうございました。本当に。やっと、陸上選手に戻れます」

「どんな性格も悪いわけでないんだ。あなたのような負けず嫌いな性格もね。でも、行き過ぎれば心を崩壊させる。今回のように」

先生は立ち上がり、あの絵の前に立った。私の方を向いて、ちょいちょいと手招きしてくる。困惑しながら、先生の隣に移動した。

「光速を越えてやろうとしても、追いついてしまったら待っているのは暗闇だけなんだよ。最後に見える色は、紫色らしい。このスミレのような。ほら、もっとよく近づいて」

軽く肩を押されて、スミレの絵画と至近距離で向き合った。

「スミレの花弁の紫をしっかり見つめてごらん。ぼやけてくるくらいまで。そう…………その後すぐに、隣のカワセミを見て」

言われるがまま、スミレからカワセミに目を移す。

カワセミの羽根の緑が鮮やかすぎて、目が痛い。こんなにも、主張の強い緑ではなかったはずだ。目が、おかしくなってしまったのだろうか。

「面白いでしょ。超緑ちょうみどりだ。人は青と赤と緑だけを、それぞれ別の細胞で感じ取る。その情報を脳で組み合わせて、色を認識してる」

緑の彩度が落ちていく。ほっとした。

「紫をずっと見ていると、赤と青を担当してる細胞が疲れてしまうんだ。その結果、緑を感じる細胞の働きが強くなる。つまり、緑色が信じられないほど鮮やかに見えるんだ。少しの間だけど」

「緑を超えたんですね。今」

はっはっはっと、先生は快活に笑う。

「まさにね。そこら中にあるのさ。ちょっと面白いことは。また疲れちゃったら、思い出してみて。それでも駄目だったら、またおいでよ」


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