水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

漁師テレポーテーション


丸太をくりぬいたお手製の小舟に、意気揚々と乗り込む。オールを漕ぎながら仰ぐ青い空を、渡り鳥が横切っていった。沖の目的地に着き、愛用の釣り竿を振り上げる。





もう数時間経ったが、釣果はゼロ。天気も気分も曇り始めた。霧も濃くなってきた所で、引き上げることにする。



漕げども漕げども、いつもの桟橋に辿り着く気配が無い。そんなに沖の遠くまで出たつもりはない。霧はどんどん濃くなってきて、今では島を完全に覆い隠している。

首をひねりながら、オールを漕ぐのを止めた。オールを舟に引き上げて、慎重に立ち上がり、遠くを見渡す。霧の中に一瞬、遠く離れた港町の俯瞰図が見えた。目を擦ってもう一度見れば、海が消え、私の小舟は青空に浮かんでいた。

何度目を擦っても、ぷかぷかと浮かんでいた。

震えながら下を覗けば、カラフルな屋根が並ぶ、憧れの港町のパノラマが広がっている。遠くには、広大な大陸に佇む山々がある。

「ナイステレポーション」

足元から急に声が聞こえ、短い悲鳴が出た。舟の縁に、カラスのような黒い鳥が止まっている。

「怖がらないで。死神とか悪魔とかの使いなんかじゃありません。天使です。大昔からほんのまれに、跳べる人が来るのですよ。なので、皆さんが安全に帰るお手伝いをしてます」

「天使?跳ぶって、どういうことなんだ」

「ありえない場所に、ありえない速度で移動するってことです。人の場合は、決まって空なんですよ。浮きながらパニックになってる人がほとんどです。あなたみたいに、舟ごと跳んできた人は史上初です」

天使と言い張るカラスらしきものは、ゆっくり羽根を広げた。

「さぁ、どうします?大体は、すぐに帰らせます。可哀そうなくらい混乱しているので。帰れば、すぐにここでの記憶はぼやけてしまう。でも、例外中の例外のあなたは、覚えていられるかも。せっかくの奇跡の体験だ。もう少し、この空を舟で巡ってみませんか。ガイドしますよ」

「ちゃんと、無事に帰れるんだよな」

「ええ、そこは任せてください。天の使いですから」

オールを構え、濃いでみる。舟が滑らかに進んだ。ひやりとした風が頬を撫でる。

「それじゃ、頼むよ」


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