高校二年生、魔討士乙類7位、風使い。令和の街角に現れるダンジョンに挑む~例えば夕刻の竹下通りにダンジョンが現れる。そんな日常について~

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

何時か君に伝えたいこと

 今回は死にかけたよ……なんてことをいう魔討士は良く居る。
 でも、経験者が思うに、死にかけるというのには二つある。


 一つは、話のタネになるような死にかける、ということ。
 魔討士の中には戦いのスリルを楽しむものもいるのだが。それはあくまで余裕とか余力とかそういうものを残しているからこそだ。


 もう一つは「本当に」死にかけること。
 これについて語る人はあまりいない。本当の意味で死にかけるというのはスリルなんかじゃない。
 心臓を潰されるような絶望。動かないとと思っても石のように動かない体。
 文学的に表現するなら死神の鎌を喉に押し当てられた感じ、とでもいうのだろうか。それとも蛇に睨まれた蛙とでもいうのか。


 これについて語る者があまりいないのは、酒の肴に語るような話ではなく、カウンセラーに吐き出す類のものであるということもあるが。
 それ以上の理由として、その気持ちを体験したものの殆どは死にかけるではなく、死んでしまうからだ。





 ダンジョンが現れて魔討士の資格が急ごしらえで整備された1年目。
 各地のダンジョンになりたての魔討士が挑んでいた時、私にもその資質があることを知った。


 最初は無邪気に嬉しかった。
 当時の私は17歳の富山のとある公立高校に通う学生だった。
 この年頃でなくても、誰だってあるだろう。自分が魔法使いとかになって誰かのために戦うことを想像したこと。英雄として喝采を浴びること。


 父さんは物心ついたときには亡くなっていて、母さんと二人で暮らしていた。
 母さんは心配してくれたけど、私としてはヒーローごっこの一環のようなものだった。
 野良ダンジョンで遭遇する敵は大したことは無かったから、そこまで怖い思いをすることもなかった。
 同じ時期に能力に目覚めた友人と一緒に戦った


 このころから、ダンジョンマスターを放置するとそのダンジョンが定着してしまうということが知られ始めた。
 定着したダンジョンを攻略するために、いまでいうところのパーティを組むものも現れ始めた時期だ。


 私のパーティは当時はこんな区分訳はなかったのだけど、甲類で元会社員が専業魔討士になった人が1人と、会社員兼魔討士の乙類が1人、乙類の大学生2人、それと丙類の私と私の友人の6人編成。
 4人で壁を作って私の魔法で攻撃する、という戦術を取っていた。


 ランク制度もまだ導入されて間もなくの時期だったけど、北陸地区では多分一番私達が強かったんだと思う。
 金沢や遠くは福井までダンジョンの討伐をしに行った。私を送り出してくれる母さんの不安気な顔を今も覚えている。


 そして、忘れもしないあの日。富山城の堀に現れたダンジョンに挑んだ。今の新宿や八王子に比べると浅かった最深部は4階層。
 そこに居たのは、黒い炎を纏った鎧武者のようなものだった。





 当時はモンスターの名前も区別もなかった。アンデッドナイトとでも名付けられるんだろうか。
 和風の出で立ちだったから亡霊武者とでも言うべきなのか。


 今なら簡単に倒せる相手かもしれない。
 今の魔討士はそれなりに訓練を積んでいる。戦いに挑む時の心構えやモンスターと戦う戦術のノウハウも蓄積されてきている。
 本当にダンジョンを攻略するなら、適切に編成を揃えて対策を立てて挑む。


 でも当時はそんなものは無かった。
 少しモンスターと戦って強くなったつもりでいたけど、所詮私達は素人の集まりだった。本当の恐怖にあらがうすべを持たなかった。


 殺気というか、そうとしか表現できない空気をそいつが発した時点で私たちは動けなくなった。
 恐ろしさのあまり死ぬ、身がすくむというのは大げさではなくて現実にあり得ることをあの時知った。 


 最前列に居た専業魔討士の人はあっという間に倒された……ところまでは記憶がある。
 気づいたときには私と友人の二人と、床に切り伏せられて動けなくなった大学生。そして、目の前には黒い炎を纏った鎧武者がいた。


 あの時の、肌にまとわりつくような湿気、暗闇に浮かび上がるような兜の下の無機質な仮面、眼窩からちらつく青黒い炎、そして振り上げられた刀。
 今もはっきり思い出せる。


 ……不思議な事にその後のことはあまり覚えていない。なぜ生きていられたのかも。辛うじておそらく私の魔法が間に合ったんだろう。
 ダンジョンマスターを失ったダンジョンは崩壊して私達は救助された。





 死者1名。そして、重傷者3名、これには私も含まれているのだけど。そして、重傷者2人は未成年の高校生。
 ダンジョンの発生から1年程度、なんとなくうまく行っていたダンジョン討伐における最大の被害となった……のだそうだ。


 この戦いのことが結果的に色々な論争を巻き起こしたことを私は後で知った。ワイドショーで、ニュースで、雑誌で、SNSで、そして国会で。
 長いこと病院で隔離されていたし、直後の話は知らない。あとから断片的に文章になったものを呼んだだけだ。
 実際にこの後、急ピッチで魔討士の各制度が整えられた。訓練施設、ランク制度、甲乙丙丁の分類、報酬、専業魔討士の雇用。


 私達に依頼をした役所の人は大変な非難を受けたそうだ。
 確かに今から思えば、あの時の制度は不完全で素人に武器を持たせて戦闘をさせていたようなものだ。でも、ダンジョンなんて奇妙なものが生まれて、すぐ有効な手を打つなんて無理だろう。
 それに概ね魔討士たちは野良ダンジョンのモンスターと戦えていた。深くまで育ったダンジョンの奥に居る脅威については誰も知らなかった。


 私としては、ああすればよかった、こうしておくべきだった、と後から言うのはフェアではないと思う。
 後から「正しい」ことを言うのは、答えを知ったテストのようなものだ。誰にでもできる。


 無事だった二人、大学生と社会人の2人の乙類は逃げ出して傷を負わなかった。二人は私のベッドの横で土下座をしていった。
 ……彼らを責めることは出来なかった。私だって乙類としてあそこにいたら逃げなかったかは自信がない。
 私が逃げなかったのは、勇敢だったからでも使命感を持っていたからでもなく、単に呪文に集中していて相手の姿が意識の外だったからだ。


 傷を受けた大学生の彼は、私と会うことなく退学して地元に戻ったと聞いた。
 そして最後まで私と一緒に居た友人。恐怖で心を砕かれてしまった彼女は今も金沢で眠っている。





 高校をどうにか卒業して、逃げるように東京に出て大学に通った。
 あそこにいるとあまりにもいろいろと思い出してしまうし、向けられる目が煩わしかった。


 それに、友人の治療のためにはお金がかかる。
 でも、稼ぐために私が出来ることは魔討士として戦うことだけだった。
 彼女のお母さんは貴方の人生を生きて、と言ってくれたけど……何もかも忘れたふりをしていくなんてできない。


 ただ、私の能力は、魔討士の初期としてはともかく、今となっては決して使い勝手のいい能力ではない。
 自分で言うのもなんだが、威力なら決して他に引けは取らないだろう。でも準備時間が長いというのは戦闘では決定的な欠点だ。
  それに、あの時とまた同じことが起きたらという恐怖は……長いカウンセリングを受けた今でも胸に棘のように刺さっている。


 信頼できる前衛が守ってくれなければダメではなかなかパーティも組めない。
 たまに勧誘があっても、魔法使いとしての私ではなくそれ以外のものをみていることは一目瞭然だった。
 稼ぐためにはそれを受け入れるべきだったかもしれないけど。それをやるのは嫌だった。


 ……そんなとき、たまたま彼と竹下通りで出会った。





 勇敢な彼を尊敬している。
 周囲への目配り、不利な状況でも逃げない勇気。迷わず私を守ってくれたこと。
 彼は乙類に分類されているが、あの能力は甲類に近い。攻撃一辺倒ではない彼の能力は数値では測りにくい。きっと強くなるだろう。 


 でも私は彼を利用している。自分にとって便利な前衛として。
 それに、私は彼に嘘をついている。余裕ぶって、大人ぶって本当の姿を隠している。
 信頼できる人を求めているのに、自分は隠し事をしながら彼と共にいる。まっすぐな彼と比べて私はなんと臆病なんだろう。


 彼は私のことを知っているんだろうか、知っていて何も言わないのか。知らないのか。 
 彼に離れて行ってほしくない。でも自分から近づくのもいいしれない不安を感じる。
 玄絵さん、と呼んでくれた時。彼が近づいてきてくれて嬉しかった。でもうしろめたさも感じた。


 私は彼をどう思っているのか……この気持ちをまだ整理できていない。
 でもいつか彼に言わないといけない。
 彼が私を見てくれるようにまっすぐに。





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