寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

王女のお茶会(2)

 




 そうして時間は和やかに過ぎていった。

 ミーシャ様は本当にわたし達の恋愛話を聞きたかっただけのようで、マスグレイヴ王国のことや英雄ついては殆ど聞かれることはなかった。

 聞いたとしても、話の中で疑問が出てきた時くらいである。

 たまにライリーにも話を振って、その時にどう思ったか、どのように考えたのかと随分聞いていた。

 そしてライリーはそれにきちんと答えるのが嬉しいらしく、時々とんでもない質問も飛び出したが、お茶会の雰囲気は始終穏やかであった。

 その女性が現れるまでは。



「あら、エルミーシャ様、御機嫌よう」



 そう声をかけてきたのは美しいハニーブロンドにエメラルドグリーンの瞳を持った、大変肉感のある魅惑的なスタイルの女性だった。

 気の強そうな艶やかな顔立ちに、真っ赤な口紅とドレスが、ともすれば下品に見えてしまいそうなのに、その女性にはとても似合っていた。

 見たところわたしより少し年上だろうか。

 髪を結っていないのだから、恐らく結婚はしていないようだ。

 後ろには使用人の服に身を包んだ、随分と見目麗しい青年が控えている。



「……御機嫌よう、グランデリー公爵令嬢」



 ミーシャ様の雰囲気が硬くなる。

 それに他の者も気付くと、和やかだったお茶会の空気に緊張が走る。

 しかしその女性、グランデリー公爵令嬢は気付いていないのか、艶っぽい笑みを浮かべてこちらを見やる。



「まあ! こちらにいらっしゃるのは英雄ウィンターズ様ではありませんか? わたくしはグランデリー公爵家が長女エリュシアナ=グランデリーと申します。お会い出来て光栄ですわ」



 意味深な流し目を受けて、獅子のライリーの表情が無になる。分かりにくいけれど雰囲気がそのような感じであった。



「グランデリー公爵令嬢、何か御用件があったのではありませんか?」

「ああ、そうでしたわ。とても美味しいお菓子を手に入れましたので、エルミーシャ様にも召し上がっていただきたくて、急いで持って参りましたの」

「そうですか、では後ほどいただきましょう」



 ミーシャ様は淡々とした様子でグランデリー公爵令嬢に対応している。

 それまでの子供らしい雰囲気は欠片もない。

 さっさと帰れと暗に言っているのだけれど、グランデリー公爵令嬢は全く意に介した様子もなく、テーブルを見回した。

 そして困ったような顔をする。



「あら? 椅子が足りないわね……」



 どうやら居座る気らしい。



「わたしが招待したのはエディス様とウィンターズ様だけですもの、余計な椅子は用意しておりませんわ」

「ですが突然の来客時にお席が足りないとこのように困ることもあるでしょう。恐れながら、今後は予備の椅子を用意しておく方がよろしいかと」

「そうね、次からは気を付けるわ」



 お二人とも笑顔なのに薄ら寒い。

 どうもこのお二人はあまり仲が良くないようだ。

 それにグランデリー公爵令嬢はちょっと苦手である。

 そのハニーブロンドも、エメラルドグリーンも、もう既にこの世にはいないフィリスを思い起こさせる。

 全く方向性の違う美人なので、色味が似ているだけなのだけれど、何となく近付きたくない。

 ふと目が合ったグランデリー公爵令嬢がうっそりと笑う。



「よろしければ席を譲っていただけないかしら? 確か、ベントリー伯爵令嬢、でしたわね?」



 それはつまり、公爵家の令嬢たる自分に伯爵家の令嬢に過ぎないわたしは席を譲るべきだと?

 横でライリーの毛並みが微かに膨らむのを感じた。

 同時にミーシャ様が顔を顰めた。



「お二人は国賓ですのよ。失礼が過ぎますわ」

「まあ、それは気付きませんでしたわ。あまりにも地味なドレスでしたので、どこぞの男爵家辺りの娘かと勘違いしてしまって……。ごめんなさいね」



 扇子で顔を隠しながら、身のない謝罪をされる。

 それにわたしは微笑み返した。



「いいえ、気にしておりませんわ。公爵家の御令嬢ともあろうお方がわたし達を知らないということは、この間の夜会にも招待されなかったのでしょう。あれほど大きな王族主催の夜会に招かれないなんて……」



 カッとグランデリー公爵令嬢の顔が赤くなる。



「わたくしも出ていたわよ!」

「まあ、そうでしたの? それなのに国賓の顔も覚えられないなんて……。いえ、人のお顔を覚えることが苦手な方もいらっしゃいますものね」

「失礼ね! きちんと覚えているわ!」

「では国賓と分かっていて無礼な振る舞いをしたということね?」



 わたしとグランデリー公爵令嬢の会話を聞き、ミーシャ様が不快そうに目を細めた。

 それにはさすがにまずいと思ったのだろう。

 令嬢はほほほ、と誤魔化すように笑った。



「さ、さっき気付きましたのよ。夜会の時よりもずっと地味なドレスだったから、最初は分かりませんでしたの」



 この方はどうしてもわたしを貶めたいらしい。

 ライリーがわたしの肩を抱き寄せる。



「地味? 私にはまるで女神のように美しく見えるが。それにエディスは飾り付けなくとも元が美しいからな。どのような宝石も君の前では霞んでしまう」

「ライリー様……」



 ライリーと見つめ合うと令嬢が割り込むように声を上げた。



「ですが女性は華やかさも必要ですわ! 英雄の婚約者、ひいては妻となる者はもっと華やかで美しくないと不釣り合いではありませんこと?!」

「そうだな、やはりエディスにはもっと着飾ってもらうべきだろう。実はもっとドレスや装飾品を贈りたいと思っていたので、あなたの助言には感謝致します」



 グランデリー公爵令嬢の言葉にライリーが頷き、そんなことを言うものだから苦笑が漏れる。

 わたしはもう十分過ぎるほどもらっているわ。

 でもライリーはそうは思っていないのね。

 公爵令嬢が持っていた扇子をテーブルへ叩きつける。



「そういうことではありませんわ!!」



 その赤くなった顔をミーシャとライリーが冷たい眼差しで見やった。



「ではどういうことかしら?」

「そうですね、どういうことでしょうか?」

「それは……!」



 二人に聞き返されてぐっと押し黙った。

 そこですぐに言い返さない辺り、何も考えていないわけではないようだった。

 もし今の問いで「わたくしの方が相応しいですわ!」とでも言おうものなら、この国の王女殿下から「わたしが間違っていると?」と問い質されるだろうし、ライリーからは「私の妻は私が決める」と切り捨てられたに違いない。

 公爵令嬢は一瞬視線を彷徨わせ、そしてわたしを見つけると獲物を見つけた猫のように目を細めた。



「ベントリー伯爵令嬢もそうは思いませんか? 各国に名高い英雄たるウィンターズ様の婚約者は、やはり華やかで美しく、高貴なる血筋で、誰もが認めるような女性であるべきでしょう?」



 ああ、そうですのね。

 わたし、自分でもそれなりに気が長いというか、そこまで短気ではないと思っていたけれども、そうではなかったみたい。

 今のはものすごく腹立たしい。



「つまりグランデリー公爵令嬢は、わたしはそうではないとおっしゃりたいのですね? わたしは華やかさも美しさもなく、高貴な血筋でもなく、誰からも英雄の婚約者として認められていない。そう、おっしゃっているのですよね?」



 グランデリー公爵令嬢が目を丸くした。

 何故そこで驚くのだろうか。

 まさかわたしはあまり言い返さないだろうと考えていたのかしら。

 確かにわたしは実母に似て外見が儚げに見えるらしいが、だからといって性格もそうだとは限らないでしょうに。

 そもそもわたしのことを全然知らないのね。

 もしも事前に調べて知っていれば、わたしが実は結構気が強いのだと分かったはずだ。



「な、そ、そんなつもりではなくってよ。ただ、英雄様が結婚なされるならば、見合った方と縁を結ぶ方がいいと言っているだけで……」

「だから、伯爵家の娘であるわたしよりも公爵家の令嬢である御自身の方が相応しいとおっしゃられるのでしょう?」

「っ……!」



 絶句した様子で口をぱくぱくとさせる令嬢。

 それに「餌が欲しい魚の真似ですか?」と聞き返せば真っ赤な顔になった。

 逆にミーシャとライリーが小さく吹き出す。

 笑われたことでやっと居心地の悪さを感じたのか、公爵令嬢はリンゴのような顔をフンと背けた。



「こんなにも話が分からない人がいるなんて不愉快ですわ! 失礼致します!」



 背を向けて歩き出した令嬢にミーシャ様が声をかけた。



「グランデリー公爵令嬢」

「……何でしょうか」



 王女殿下の言葉を無視出来ずに立ち止まった。

 僅かに振り向いたエメラルドグリーンが睨むようにこちらへ向けられる。

 王族相手にそれは無礼が過ぎるだろう。

 けれどもミーシャ様はにこりと笑った。



「ウィンターズ様の呪いは『愛する者の口付け』で解けるそうよ」



 ミーシャ様が心底おかしそうな声音で言う。

 それに公爵令嬢は少し眉を寄せた。



「それが何か……?」



 訝しげに問う令嬢にミーシャ様がゆるく目を細め、テーブルに頬杖をつく。

 そうして公爵令嬢を見つめた。



「あなたはウィンターズ様に愛されていないから、きっと口付けをしても呪いは解けないわ」



 その言葉の意味を理解したのか公爵令嬢はギリと歯を噛み締めると、小さな声で「失礼します」と呟き、庭園を出て行った。

 その後を美しい青年が追いかけていく。

 彼女達の姿が見えなくなるとミーシャ様が椅子の背もたれに勢いよく体を預けた。



「あーあ、疲れた! あの人って苦手だわ!」



 ミーシャ様の言葉遣いが元に戻る。

 冷めてしまった紅茶を、ミーシャの侍女が淹れ直してくれた。



「二人ともごめんなさい」



 申し訳なさそうに謝られて首を振る。



「いえ、殿下は何も悪くありませんわ」

「エディスの言う通りです。突然乱入してきたのはあちらであり、殿下の責任ではありませんよ」

「でも宮への立ち入りを許してしまったから……」



 しょんぼりと肩を落とすミーシャに、侍女が心配そうにその背を見ている。

 そういえば、ここは王女殿下の暮らす宮なのに、どうして彼女は本人の許可を得ずに入って来られたのかしら。

 その疑問が聞こえたようにミーシャが言った。



「お祖父様の妹のエルメア様がグランデリー公爵家に嫁がれたの。グランデリー公爵令嬢はエルメア様の長女なのよ。地位は公爵令嬢だけれど、王妹の子であり、それが誇りなのね」



 ミーシャの話によると、先ほどのグランデリー公爵令嬢は現王陛下の歳の離れた妹エルメア様の子だという。

 それまで陛下や王弟殿下、エルメア様には男児しか生まれなかった。

 しかもエルメア様が少し歳がいってから生まれた女児だったため、皆から可愛がられ、蝶よ花よと育てられた。

 だが十年前に王太子夫妻の間に女児が生まれた。

 妹の子も可愛いが、我が子の子供の方が陛下にとっては可愛かったのだろう。

 それ以降は王太子夫妻の女児、つまりエルミーシャ様の方を陛下は溺愛なされた。

 ミーシャ様のお名前も陛下がお付けになったそうだ。

 ミーシャ様はお生まれになった時からお祖母様である亡き王妃エルディリア様の面影が濃く、それ故に陛下は王妃の名から取ってエルミーシャ様と名付けたそうだ。

 他の王族もミーシャ様を可愛がった。

 王妹の娘であり、同じく王族の血が濃く流れているのに本物のお姫様にはなれず、その上、生まれてきた別の子に陛下の愛情を取られて。

 元々甘やかされて育ったグランデリー公爵令嬢は成長しても問題ばかり起こしているそうだ。

 それでは陛下の愛も薄れてしまうだろう。

 何かにつけてグランデリー公爵令嬢はミーシャ様に張り合おうとし、しかし、時には王女という地位に擦り寄るような部分もあるため、ミーシャ様は彼女を良く思っていないらしい。



「小さな頃からよく王宮に遊びに来ているの。王族の血も濃いし、公爵家だし、わたしはエルメア大おばさまが大好きだから、グランデリー公爵令嬢に来ないでとは言いづらいの」



 ミーシャ様はグランデリー公爵令嬢が好きではないが、その母親であり祖父の妹であるエルメア様は好きだから、その娘に強く言い難いらしい。

 血筋としても立ち位置的にも、本来ならば王女殿下とは親しくあっても不思議のない存在であるため、周囲も強くは言えないのだろう。



「エルメア大おばさまは臣下としてきちんとされているのに、どうしてグランデリー公爵令嬢はああなのかしら」



 困ったような、呆れたような、そんな声音だった。

 そしてミーシャ様は背筋を伸ばすと、わたしへ浅く頭を下げた。



「グランデリー公爵令嬢が失礼なことを言ってごめんなさい。エディス様は何も悪くないのに」

「ミーシャ様、お顔を上げてください! それこそ、先ほども申し上げた通り、ミーシャ様が謝ることではございません!」

「でも公爵令嬢はわたしの親戚だもの。身内が無礼なことをしてしまって申し訳ないわ……」



 またしゅんと落とされた小さな肩。

 まだ十歳の王女殿下が、身内だからと二十歳そこらの公爵令嬢の無礼で頭を下げなければいけないなんて。

 彼女は王族に迷惑をかけている自覚がないんだわ。

 そして同時に、ミーシャ様が王族の方々から愛されている理由がよく分かった。

 こうして、必要とあれば頭を下げることも厭わない。

 王族だからといって傲慢な様子がない。

 だからこそ皆様も可愛がってしまうのね。

 わたしもミーシャ様はとてもお可愛らしい方だと思うし、友人としても、好感の持てる方だもの。



「公爵家にはわたしから抗議を入れておくわ。国賓に無礼な態度を取ってそのままなんて許せないもの!」



 そう言ったミーシャ様は最初の元気を取り戻していた。





 

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