寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

賢者(2)

 


 忌々しげに吐き捨てられた言葉にライリーは剣を構えたまま応えた。



「ほう、知られているとは光栄だな」



 その皮肉にフードの奥からギラリと睨まれる。

 大きさからして男が二人、やや小柄な人物が一人、小柄な方が子供なのか女なのかは分からない。

 ただ三人からは強い魔力と憎悪が感じられる。



「上は制圧した。もう逃げ場はない」



 ライリーの言葉に男が嗤う。



「……だから投降しろとでも?」



 ざわ、とライリーは己の毛並みが逆立ったのが分かった。

 三人の魔力が爆発的に膨らんでいる。

 恐らく魔石で底上げしたのだろう。

 男二人のうちの大柄な方と、小柄な人物がローブを引き千切るように脱ぎ捨てる。

 そこにあった姿にライリーもレイスも驚いた。



「なっ……」

「まさか……」



 男も小柄な人物も、人間の肌をしていない。

 男の方は真っ黒な毛並みに丸い耳、その顔はクマに見える。体躯の大きさはライリーと同じくらいか。

 小柄な方は少年らしい。顔立ちは人のそれだが、肌は鱗のようなものに覆われており、壁にかけられたランタンの明かりをテラテラと反射させている。

 種類は違えど、ライリーと同じ獣の混じった姿に、ライリーとレイスは絶句した。



「何故……?」



 ライリーは自分のような者は一人きりだと思っていたため、予想外のものを目にして驚愕した。

 だがクマと鱗を持つ二人が口を開く。



「復讐するためだ」

「僕達はそのためだけに生きてきたんだ……!」



 二人の唸るような声には憎しみが滲む。



「復讐だって? 一体何のだ?」



 そう言ったライリーに更に憤怒の気配が強まる。



「そうか、お前達にとってはその程度のことだったんだな」

「許さない! 絶対に許さないっ!」



 本当に訳が分からず困惑したが、それでもライリーは剣を構えた。

 事情は分からないが、この二人が賢者の一員であることに間違いはなく、ライリーの敵なのは確かだ。

 レイスも戦闘態勢に入る。

 視線だけで互いにどちらと戦うか決める。

 ライリーはクマの男と、レイスは鱗を持つ少年ということになった。

 いまだローブを目深に被った男は動かない。



「うぉおおおおっ!!」



 クマの男が剣を持って突進してくる。

 その突きを剣で弾けば、手の平がジンと痺れるほどの衝撃が腕に走る。

 ライリーはすぐさま身体強化をかけた。

 次に振り下ろされた剣を受け止める。

 ガツンと剣同士がぶつかり、ライリーの足元がジリリと押し戻される。

 魔力の気配で感じる。

 相手も恐らくクマの魔獣と融合している。

 どのような方法を使ったかは分からないが、その魔獣の力を得たのだろうことは想像に難くない。

 相手もそれを感じたのか、男とライリーは互いに後方へ一度下がる。

 力比べでは互角かもしれない。

 あとは剣の腕がものを言う。

 ほぼ同じタイミングで男とライリーは地面を蹴り、互いの距離を詰める。

 ガキィインッと火花が散るほど強く剣がぶつかった。






* * * * *






 レイスは対峙する少年を見ながら、どうしたものかと考えていた。

 感じる魔力は自身よりも少ない。

 だが魔石の気配が多い。

 総合すると魔力量は同じくらいになる。

 試しに闇魔術で操る影で捕らえようとしたが、影が広がる前に、何かを感じ取ったかのように飛び退る。

 なるほど、英雄と同じく勘が鋭いらしい。

 以前、英雄と模擬戦をした時も似たような避け方をされた。

 少年が詠唱を唱えずに腕を上げた。

 展開された術式から氷の矢がいくつもレイスに向かって飛んでくる。

 それをレイスは土魔術で壁を生み出して防ぐ。

 土魔術の壁は長持ちはしないが攻撃を一、二度耐えるくらいの強さはある。

 氷の矢が弾かれたと見るや今度は火の球が襲い来るが、土の壁はそれも防ぎ、ぼろりと崩れ落ちる。

 崩れた壁の向こうからレイスは風の斬撃を放つ。

 少年はそれを身を捻って避けた。

 動きからして体術は苦手らしい。

 その慌てたような動きには余裕がなかった。

 レイスは続けざまに氷の槍を生み出して少年へ放つも、今度は少年が土の壁でそれを防いだ。

 クマの男とライリーが切り結ぶ横で、魔術による戦いが始まったのだった。

 レイスと少年の間を応酬する魔術は様々であったが、レイスは途中から、少年が攻撃魔術の基礎しか使っていないことに気が付いた。

 どうやら魔術も習いたてらしい。

 レイスは水魔術で少年の作った土の壁を何度か濡らすと、魔力を多めに使用した風の斬撃でそれを容易く切り裂いた。

 少年が驚いた表情を見せる。

 慌てて次の壁を作ろうとしたが、レイスは闇魔術で壁を鞭のようにしならせると少年の足へ巻きつけて引っ張った。

 少年が転び、展開しかけていた術式が四散する。



「くそっ!」



 少年が足に絡みついた影を外そうともがくが、手では外れず、短剣で切り付けてもすぐに戻ってしまうので切り離せない。

 そもそもそれは影だ。

 影は燃やすことも切ることも出来ない。

 更に影を巻きつけようとしたが、それまで黙って見ていたローブの男が詠唱を口にした。

 パッと少年の体を光が包み、足に絡みついていた影が消滅する。

 それにレイスが目を細めた。

 影は闇魔術だ。闇は光に弱い。

 少年が立ち上がるとこちらへ当てつけのように火の玉を複数放ってくる。

 レイスはそれに水の球をぶつけて相殺した。

 二人の間を水蒸気が立ち込める。

 互いの姿は見えないがレイスは駆け出した。

 水蒸気の霧の間から突如飛び出してきたレイスに少年が慌てるが、それよりも先にレイスはベルトから細身の短剣を引き抜くとそれを構えた。

 少年が体を守るように腕を掲げる。

 その腕をレイスの短剣が浅く切り裂いた。

 少年がレイスへ手を向けて風の斬撃を繰り出し、レイスはそれらを間一髪のところで避けながら間合いを開ける。

 少年はレイスを睨んだが、がくりとその体が傾いた。



「え?」



 何が起きたのか分からない様子の少年にレイスが言う。



「この短剣には痺れ薬を塗ってあります」

「な、ひ、卑怯だぞ!!」

「生死の関わる戦いは勝った者が勝者です。常に相手が正々堂々戦ってくれるとは限りませんよ」



 短剣をベルトに戻しながらレイスが返す。

 少年は傷口から広がる痺れにふらつき、立てなくなって、その場に膝をついた。



「死に至るようなものではないので、しばらく休んでいればそのうち良くなりますよ」



 レイスの言葉に少年が「ふざけるな!」と怒鳴る。

 しかし痺れ薬のせいか、膝をついているのもつらくなり、ついには地面へ倒れ込んだ。

 荒れた床を歩いてレイスは少年の脇を通り抜ける。

 そしてレイスはローブの男と相対した。

 英雄はまだクマの男と戦っている。

 力が拮抗しているようで、なかなか互いに押しの一手が繰り出せない風だった。



「さあ、投降していただきましょうか」



 影を手に纏わせたレイスがローブの男を見る。

 ローブの男は佇んでいた。



「投降などするものか」

「では交渉決裂ですね」



 男の魔力の気配が高まるのを感じ、レイスは身構え、いつでも魔術を行使出来るよう備える。

 先に動いたのはレイスだった。

 手に纏わせた影を鞭のようにしならせて男へ振るう。

 だが男は短く詠唱を口にすると、その体が眩しく輝き、それに近付いた影が先の方から消滅する。

 やはりダメかとレイスは冷静に影を引き戻す。

 光や闇魔術を行使出来る魔術師は少ない。

 かくいうレイスも闇は得意だが、光になると極端に不得意で、小さな光球を生み出すのがやっとである。

 そして男は、恐らくレイスとは逆だろう。

 これは少々厄介なことである。

 風の斬撃を繰り出せば、男は詠唱をせずに土魔術で壁を生み出して防ぐ。

 ……魔石で魔力の底上げも行なっているらしい。

 男は土魔術で槍を作り出すとレイスへ放つ。

 レイスは最も得意な魔術が闇なのだ。

 影の鞭で槍を薙ぎ払う。

 相性の悪さにレイスは少し考えた。

 英雄がいれば戦いやすいのだけれど、残念ながら彼はクマの男とまだ交戦中である。

  水の槍を土の壁へ当てるが、柔らかくなって崩れる前に土魔術で補強されてしまう。

 さすがに同じ技は通じないか。

 さて、どうしたものかと思ったレイスはふと感じた魔力に僅かに視線を動かした。

 そして目元を少しだけ緩めた。

 もう一度水の槍を、今度は先ほどよりも多く作り出すと男へ向けて放つ。

 土の壁を越えそうなそれを男が風の斬撃で切り裂こうとした瞬間、レイスは自身が放った水の矢を火魔術の火球で押し潰す。

 それによって水蒸気が男とレイスの間に広がった。

 男はレイスが水蒸気の中から飛び出してくるのではと警戒し、いつでも風の斬撃を放てるように身構えた。

 正面でゆらりと影が揺れる。



「そこか!!」



 その影へ向けて斬撃が放たれた。

 だが手応えがない。

 男がそれを不審に思うのと同時に、横から影が飛び出してくる。



「っ?!」



 それに男がローブの下から短剣を振り上げた。

 キィイン、と甲高い音を立てて短剣が弾き飛ばされる。

 男は弾かれて痺れた手を押さえながら後退ったが、あるはずのない壁に阻まれて下がることは叶わなかった。



「な、」



 何故壁が、と零す間もなく壁がぐにゃりと歪み、男の体へ巻きつくようにそれを包み込んだ。

 男はもがいたが、文字通り手も足も出せずに床へ転がった。

 咄嗟に魔術を行使しようと詠唱を唱えたが、顔面に大量の水が降ってきて、中断されてしまう。

 展開しかけていた術式が四散する。



「ごほっ! ぐ、かはっ!!」



 若干の水を吸い込んでむせる男。

 風魔術で水蒸気が通路の方へ押しやられた。

 そこには三つの人影が立っていた。



「よく僕達がいるのが分かったねえ」



 のんびりとした声が楽しげに言う。



「わざと魔力を高められたでしょう? あれで気付かない者などおりません」

「あはは、それもそうだ」



 レイスとフォルトが男を見下ろす。



「それに団長殿がいらして良かったです。我々では即座に距離を詰めることが出来ませんので」

「いえ、レイス殿が水蒸気で姿を隠してくれたことと、陽動の囮がなければ難しかったでしょう」



 剣を片手に持つ、赤い騎士服の男が言う。

 その男はシェルジュ国の騎士団長であった。

 水蒸気で視界を悪くし、レイスの影を囮に斬撃を使わせた瞬間、横から騎士団長が襲いかかって剣を弾き、その間にフォルトが土魔術で壁を作り、それで男を捕縛したのだった。

 床に転がる男の首にレイスが魔術具を装着する。

 これでこの男はもう魔術を行使出来ない。






* * * * *







 そしてギャオウッと獣の悲鳴がする。

 フォルト達が振り向けば、クマの男が倒れ、ライリーの剣が肩に突き刺さり、男を床へ縫い止めていた。

 ライリーも多少の切り傷はあったが、クマの男ほどではない。

 剣を引き抜こうと暴れるクマの男であったが、フォルトが魔術で眠らせればガクリと体から力が抜け、動かなくなった。



「ライリー、大丈夫かい?」



 男が眠ったことを確認し、ライリーはその肩から剣を引き抜いた。

 小さく男は呻いたものの目を覚ましはしなかった。

 ライリーが剣を振って血を落とす。



「ええ、問題ありません。ありがとうございます」

「どういたしまして〜。というか、どういうこと? 彼ら、もしかしてライリーと同じ感じ?」

「恐らくはそうかと思われます」



 剣を鞘へ戻しつつ、ライリーは頷いた。

 魔力の気配からしてクマの男も、鱗を持つ少年も、魔獣に近い気配がある。

 ただライリーほど魔力は強くない。

 土魔術で筒巻きにされたローブの男がライリーへ向かって喚く。



「私を離せ! 貴様の婚約者がどうなってもいいのか?!」

「どういう意味だ」



 その言葉に大股に男へ近付いたライリーは、片手で男を掴み上げた。

 間近に迫った獅子の顔に男が一瞬怯えた表情を見せたものの、すぐにそれは強気なものへと変わる。



「王城にはこちらの手の者を紛れ込ませている! 貴様の婚約者は今頃城の外へ運び出されているだろう! どこへ運ばれたは知っているのは私だけだ!! そして私から一定時間指示がなければ婚約者は殺す手筈になっている!!」



 私を解放するしかないだろう、と男がライリーに持ち上げられたまま、高笑いを上げる。

 それをライリーは冷たい眼差しで見た。

 自分のことは構わないが、エディスを狙ったというのは許せない。

 しかしライリーは信じていた。

 護衛二人に、ある程度は守る術を身につけた侍女が二人、それに騎士も数名置いてきている。

 何よりエディスには主人の魔術具がある。

 あれを力技で突破するのは難しいだろう。

 喚く男を無視し、それを騎士団長へ放り、ライリーはクマの男を担いだ。



「この三人を王城へ連れて行こう」

「女魔術師もおりましたが、そちらも連行しますか?」

「そうだね、魔術師は全員捕縛だね」

「かしこまりました」



 レイスが頷き、先に通路へ戻っていく。

 ついでとばかりに鱗を持つ少年が影によって運ばれていったが、少年は最後まで暴れていた。

 魔力を吸われているのにまだ元気があるらしい。



「僕達も外に出よう。他の騎士達がもう殆ど片付けてるだろうし」



 フォルトの言葉に騎士団長とライリーは頷いた。

 暗い通路を抜け、三人は上階に戻ると、ライリーを先頭に表へ向かって歩いていく。

 外へ出れば、野次馬が集まっていた。

 中から出てきたライリーの姿に騒めきが広がり、好奇の視線が注がれる。

 ライリーはもう慣れているので気にしなかった。

 クマの男を縛り上げ、荷馬車の中へ放り込む。

 監視として数名の騎士が既に乗っており、先に入れられていた鱗を持つ少年が若干下敷きになったのか「ぐぇっ」とカエルが潰れたような声を上げたが、まあ大丈夫だろう。



「フォルト殿、申し訳ありませんが先に王城へ戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ。エディス嬢が心配だし」



 主人の許可を得て、ライリーは男達を積んだ荷馬車に乗り込むと、王城へ戻ることにした。

 馬車に揺られながらエディスの無事を願う。

 王城までの道のりがやけに長く感じたのだった。





* * * * *

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