寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

お披露目

 





 婚約発表から三ヶ月。

 ライリー様が一時的にだが元の姿に戻れるようになったり、クラリス殿下やフローレンス様とお友達になったり、思い返すと色々とあったわね。

 人間姿のライリー様にもやっと慣れたわ。

 部屋の扉が叩かれ、リタが出る。

 すぐに扉の向こうからライリー様が現れた。

 キリリとした雄々しい獅子の姿だ。きちんと整えられた黄金色の毛並みは美しい。裾や袖、襟などは金糸に縁取られた純白の服に、真紅のマント、腰に通したベルトには剣が差してある。黄金色の毛並みが近衛騎士の白い制服によく映える。

 ライリー様もわたしを見て、満足そうにグルルと小さく唸った。




「美しいな……」



 今日のわたしのドレスはややオレンジがかった黄色のドレスである。フリルは少なめでパッと見は大人しいものだけれど、よく見るとドレスの全体には金糸で花や植物が刺繍されている。肩口は完全に出ているが、そこにはライリー様が最初に贈ってくださった金のネックレスをつけているので華やかだ。

 今日はライリー様のお色にすると決めていた。



「ライリー様も素敵ですわ」

「この服はいつも着てるだろう?」

「ええ、ライリー様はいつでも格好良いのです」



 そう言えば、照れたように咳払いを一つして手が差し出される。




「では、行こう」

「はい」



 部屋を出て、玄関ホールを抜け、使用人達の見送りを受けながら馬車に乗り込んだ。

 馬車はゆっくりと王城へ向かって走り出す。

 今日の王家主催の夜会で、ライリー様の人間の姿がお披露目される予定なので、少し緊張する。

 大勢の前でキスするなんてまるで結婚式ね。



「エディス、大丈夫だ」



 横に座っていたライリー様に抱き寄せられる。

 毛に覆われた手が、爪を引っ掛けないよう慎重にわたしの髪に触れ、獅子の鼻先が持ち上げられた髪に押し当てられる。

 これは獅子の時のライリー様のキス。



「そんなに緊張しなくても、今日のお披露目は俺の姿を覚えてもらうだけだ」

「それはそうですが、やっぱり少し緊張してしまいますわ」

「結婚式の予行練習だと思えばいい」



 あら、ライリー様も同じことを考えていらしたのね。



「それに、今後は人前でする機会が増えると思う」



 今まではともかく、今後は人の姿で公の場に出ることもあるだろう。逆に今まで通り獅子の姿で、と言うことも。

 毎回こっそり隠れてキス出来るとも限らない。

 人間の姿のライリー様が本当にライリー様なのか疑われることもありえる。

 その時に人前だから出来ませんとは言えない。



「そうですわね……」



 考え込んだわたしにライリー様が目を細める。



「俺は人前で出来るのが嬉しい。エディスに触れてもらえるのも、触れられるのも好きだが、何よりエディスは俺の婚約者だと誰もが知ることになる」

「それが良いんですの?」

「ああ、君はどんどん綺麗になっていくから心配なんだ。他の男がエディスに見惚れているのを見ると時々不安になる」



 擦り寄られたので、わたしも寄りかかり、鬣を丁寧に撫でる。いつも以上にサラサラもふもふね。

 いつまででも撫でていたいくらいだわ。

 それに年上のライリー様が嫉妬してくれるのが可愛くて、それ以上にとても嬉しく感じる。

 手を伸ばしてお顔を抱き寄せ、その頬を撫でる。



「そんな御心配をなさらずとも、ライリー様以外の男性なんてわたしの目には入っておりませんのよ?」



 だって愛してますもの、と囁けばゴロゴロと機嫌の良い唸り声が触れた場所を通して響いてくる。

 ああ、俺も愛してる、とライリー様が返してくださる。

 あら、ちょっと下がっていたおヒゲが上がってる。さっきの嫉妬で不安だったのね。今はもう大丈夫そう。おヒゲもしっかり動かせるのね。かわいい。

 馬車が王城に着くまで、わたしはライリー様に抱き寄せられながら、そのモフモフの毛並みを撫で続けた。

 門で確認を受け、王城の前で停められた馬車から降りる。

 案内役の使用人に控えの間へ通された。

 呼ばれるまでしばしそこで待つ。

 壁に飾られた鏡で服や髪に乱れがないか確認し、ライリー様とソファーに並んで座る。



「ライリー様のことを知ったら皆様驚かれるでしょうね」



 五年間も解けなかった呪いが解けたように見えるだろう。しかも本人は思わず見惚れるくらいの美丈夫ですもの。

 ……ライリー様を狙う御令嬢が出てきたら嫌だわ。

 まあ、でも、獅子の呪いは解けていないのだから、獅子の姿がダメなままだったら無理ね。



「そうだな、呪いが解けたのかとかなり驚かれると思う。ずっと獅子の姿だったしな」

「それもありますけれど、呪いが解けたらハッとするほど格好良い方がいたらきっとビックリするわ」

「俺はそれほどでもないだろう。顔に傷もある」

「その傷で更に男前になっておりますもの」



 そんな風に話していれば時間は過ぎて、使用人が呼びにやって来る。

 その案内を受けて今日の夜会会場へ向かう。

 今日行く会場は覚えがあった。

 初めてライリー様と出会った、あの舞踏の間だ。

 扉の前に立つと騎士達が視線で問うてきたので、それに二人で頷き返す。

 そうすれば目の前の扉がゆっくりと開かれた。



「英雄ライリー=ウィンターズ様、エディス=ベントリー伯爵令嬢の御入場です!」



 その声に室内へ足を踏み入れる。

 ライリー様の見た目も多少はあるでしょうけれど、大きな夜会にわたしが参加するのは半年前の婚約発表以降はあまりなかった。

 獅子の姿をした英雄と、婚約者を寝取られて婚約破棄された令嬢という組み合わせ。

 そういう意味でもわたし達は目立つだろう。

 しかし俯くことはしない。

 あの時だって、わたしに非はなかったもの。

 堂々としていればいいのよ。
 
 ライリー様にエスコートされながら舞踏の間へ入り、その一角に陣取った。

 まだ辺りにいるのは士爵や準男爵、男爵や子爵などといった人々で、多少伯爵位もいる。

 そういった人々の中で時折ライリー様の下へ挨拶をしに来る人もおり、その時には紹介を受けて挨拶を返した。

 英雄と縁を繋ぎたいのだろう。

 でも外見の恐ろしさから話しかけられない人も多いと思う。

 今日のお披露目でライリー様に話しかけようとする人が一気に増えるかもしれない。人間の姿ならまだ怖くないものね。

 挨拶に来た人々の中にはウィンターズ男爵家もあった。

 わたし達から行こうと思っていたのに、先にこちらへやって来たライリー様のお父上とお母上は「よろしくお願いします」「楽しみにしておりますわ」と短く言葉を交わすと離れていった。

 どこか嬉しそうなお二人にわたしも気を引き締める。

 今日はライリー様にとっても、御家族の皆様にとっても良き日になるでしょう。

 そのためにも照れてなんていられないわ。

 そう、ライリー様のためだもの。

 その後も挨拶に来る人々をライリー様と共に対応し、気付けば王家の方々が入場する時間となった。

 王女殿下や第二王子殿下、王太子殿下、そして国王御夫妻が順に舞踏の間へ入場していらっしゃる。

 貴族は大体整った顔立ちをしているけれど、王族の方々は別格の美しさよね。それにあの月光を溶かしたような銀髪にルビーみたいな紅く煌めく瞳の神秘的なこと。

 三段ほど高い位置にいらした国王陛下が手を上げると、それまで聞こえていた騒めきがピタリと止む。



「今宵もよくぞ集まってくれた。今日は皆に良き報告を二つ聞かせることが出来、とても嬉しく思う」



 良い報告というところで一瞬貴族達が互いに顔を見合わせたが、すぐに陛下へ顔を戻した。



「まずはショーン・ライル=マスグレイヴ、フローレンス=ハーグリーヴス公爵令嬢、こちらへ」



 呼ばれた二人が静かに前へ出る。



「この二人の婚姻が決まった。式は一年後、大々的に執り行う予定なので、皆も是非出席して欲しい。ようやく身を固める我が息子に、素晴らしい未来の娘に、祝福を」



 陛下の言葉に王妃様が嬉しそうに拍手をした。

 それにつられて貴族達も「おめでとうございます!」「祝福を!」「ついに御結婚ですか!」と祝福の言葉を口にしながら惜しみない拍手を送る。

 珍しく第二王子殿下は照れた表情を見せていた。

 フローレンス様も嬉しそうに笑っている。

 王族の結婚式は盛大なのと準備に時間も手間もかかるので、一年ほどかけて式の用意をしていくのだ。

 拍手が収まると二人は元の位置へ戻る。



「次に、ライリー=ウィンターズ、エディス=ベントリー伯爵令嬢、こちらへ」



 呼ばれて二人で人垣の中から進み出る。

 一段だけ上がり、振り返ると、大勢の視線が集まった。ザッと音が聞こえた気がするほど数が多い。



「先日、ショーンとベントリー伯爵令嬢の功績により、ライリー=ウィンターズに奇跡が起きた。それは素晴らしい奇跡であった。是非、皆にも見てもらいたいと思う」



 ベントリー伯爵令嬢、と陛下に呼ばれて返事をする。

 陛下が頷いたので、わたしはライリー様と向き合った。ライリー様もわたしに合わせるように屈んでくれた。

 下がってきた獅子の頭に手を伸ばし、頬に触れ、その黒く艶のある可愛らしい鼻先に軽く口付けた。

 パチっと光が飛び散り、眩い光にライリー様が包まれる。目を閉じたまま、そっと顔を離す。

 そして目を開ければ人間の姿のライリー様がいた。

 そこにいる人物を見た人々が驚きに騒めき、整った容姿に感嘆の息を吐き、これはどういうことかと顔を見合わせる。



「ライリー=ウィンターズの獅子の呪いは皆も知るところだろう。それが完全に解けたわけではない。だが、我が国の英雄は愛する婚約者の口付けにより、一時的に本来の人の姿を取り戻せるようになった」



 そこで魔術のおかげ、とは言わないのね。

 もしかして今までの魔術と違う点が多いから、下手に公表出来ないのかもしれない。

 だって防御魔術を無効化する魔術とか、呪いを解かずに他者に移す魔術とか、相手の魔力を使って死に追いやる魔術とか、色々恐ろしいものが出来そうだものね。

 特に他者の魔力で魔術を行使するって怖いわ。

 魔術は今まで魔術を行使する本人の魔力を使うのが常識であったから、画期的な方法だけれど、広めるわけにはいかないらしい。

 そこで、愛する者の口付けで呪いの一部が解けたかのように言うことで、魔術を誤魔化したのね。

 確かに嘘は言っていないもの。



「この奇跡に祝福を」



 陛下のお言葉にライリー様が陛下へ頭を垂れる。

 それに合わせてわたしもカーテシーを行う。



「この奇跡に感謝を。姿が変わろうと、今後もこの身が国のため、王家の皆様のため、民達のために剣を振るうことをお許しください」

「うむ、許す。これからも活躍を期待しているぞ」

「はっ、勿体無きお言葉でございます」



 ライリー様が頭を上げたので、わたしも顔を上げる。

 間近で見た国王陛下は穏やかそうな顔をしていらしたけれど、堂々として威厳があり、強い自信に満ち溢れているお方だった。

 目が合うと僅かに細められた。

 それは多分微かな笑みだったのだと思う。

 ほんの瞬き一つ分あるかどうかのものではあったが、陛下のお優しさに触れたような気がした。



「さあ、皆も今宵の舞踏会を楽しんでいってくれ」



 そう締め括った陛下が王家のために用意された椅子へ腰掛ける。続いて王妃様、王子達が座る。

 それを合図に舞踏の間に楽団の音楽が流れ始めた。

 わたし達は既に段を下りており、待ちきれなかったらしい人々に取り囲まれることになったのは言うまでもない。

 中には若い御令嬢や未亡人もいて、ライリー様に話しかけようと押し寄せることもあった。

 だがライリー様はそういった女性達に紳士的な対応はしたけれど、随分とよそよそしいもので、それに気付いた数人の女性達は早々に離れていったが。

 外見が変わるだけで凄い効果ね。

 まあ、わたしがいるから御令嬢達も挨拶程度で済ませているし、王家の認めた婚約に水を差す人もさすがにいない。

 英雄と縁を繋げたい人が物凄く多いけれどね。



「エディス、すまないが戻してくれ」



 そのうち困った様子でライリー様がおっしゃるので、わたしはそっと腕を伸ばした。

 ちょっと屈んだライリー様の唇に自分のものを重ねれば、周りが少し騒めいた。

 また光に包まれたライリー様の姿が獅子になる。

 すると蜘蛛の子を散らしたように人々の波が引いていくものだから、わたし達はこっそり笑ってしまった。

 夜会で人の姿はやめた方がいいかもしれない。

 結局、ライリー様は外では滅多に人の姿に戻ることはなく、殆どを今まで通り獅子の姿で過ごすことにしたようだった。






 

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