寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

休日の過ごし方(3)

 


 それを怒らないライリー様も大概ですわね。

 でもその話ですと、まるでわたしが人を見た目で判断しない素晴らしい人間のように聞こえますわ。



「それはわたしもですわ」

「エディスも?」



 わたしはそんな出来た人間ではない。



「ライリー様がいらっしゃらなければ、受け入れてくださらなければ、わたしは今も婚約者を寝取られた女と社交界で笑われていたでしょう。アリンガム子爵家から抜け出すことも出来なかったかもしれません」



 わたしの次の相手がリチャードよりも地位のある英雄だったから、国でも有名な英雄だったから、王家の信頼厚い人だったから、そういった噂はすぐに消えたのだ。

 もしも婚約を破棄されたままであったなら、わたしはどこぞの年寄り貴族や年齢が親子ほど離れた訳あり貴族などと結婚させられていたかもしれない。

 ライリー様だったからこそ今はあるのだと思う。



「だから、ライリー様はわたしの愛する人であり、恩人でもあるのです。わたしと婚約してくださってありがとうございます」



 わたしからも擦り寄ればライリー様がグルグルと唸る。それが照れ隠しなのはもう知っているのよ。

 ライリー様、生きていてくれてありがとう。

 あなたがいたから、わたしもこうしていられるの。

 そのライリー様の腕の中がわたしにとっては一番安心出来る場所なのは当然だわ。



「さあ、居間へ戻りましょう? 何だか今日はライリー様を甘やかして差し上げたい気分ですわ」



 ギュッと抱き締め返して見上げれば、ライリー様も緩く抱き締め返してくれる。



「では今日は沢山甘えさせてもらおうか」



 そう言ったライリー様は本当に嬉しそうだった。

 ギャラリーを出て、二人で居間へ向かう。

 午前中と同じくソファーにわたしが座り、ライリー様はわたしのすぐ横に腰を下ろすと腰に腕を回して抱き着いてくる。

 すり、と頭に頬を寄せられる。



「エディスは刺繍を続けていていいぞ」

「それだとライリー様がお暇ではありませんか?」

「いや? そんなことはない」



 促されて刺繍道具を手に取る。

 するとライリー様の視線が手元へ向けられるのが分かった。どうやらわたしが刺繍をする様子を眺めて過ごす気らしい。

 抱き着かれてはいるけれど、重さを感じないので、寄りかかられているわけではない。

 ライリー様の方が大きいから、寄りかかられたらわたしは潰れてしまうわね。

 やりかけの刺繍を見てライリー様が問う。



「これはハンカチではないよな?」

「ええ、クッションですわ。居間や応接室に置くつもりですの」



 こういった刺繍でお屋敷を華やかにするのも貴族の淑女の嗜みの一つである。刺繍の上手な女性の方が男性に好まれるのは、そういう理由もある。



「……結婚したら俺の部屋や寝室にも欲しい」



 そのようなことを言われると嬉しすぎて今すぐにでも婚姻届を出したくなってしまいますわね!

 だけど婚約期間のこの恋人同士の感じも捨て難い!

 結婚したら夫婦として長く過ごすのですもの、今の恋人同士の雰囲気をもう少し楽しみたいわ。

 それに夫婦になったら寝室は一緒なのよ?

 今のうちに一緒にいることに慣れておかないと、わたしの心臓が持たないのよね。



「ええ、結婚したらそちらにも色々作りますわ」

「本当は今すぐ欲しいが、ハンカチで我慢しておく。そういう楽しみは後にとっておくと良いとショーン様がおっしゃっていた」

「そうですわね、結婚したら夫婦になりますけれど、もう婚約期間には戻れませんものね」



 チクチクと刺繍を刺すわたしの手元をライリー様が上から覗いている。

 それが、何だか子供が母親の仕事を眺めているみたいでお可愛らしい感じがする。

 時々ライリー様は刺しているものを当ててみたり、色の組み合わせについて好みを話したりと、邪魔にならない程度に声をかけてくる。

 それに返事をしながらのんびりと刺していく時間は結構楽しいし、日差しとライリー様の体温がとても心地良い。

 そのせいで転寝してしまったのも仕方がないと思う。






* * * * *







 ふとエディスの手が止まったことに気付く。

 同時に寄りかかられて、抱き締めていた体が傾きそうになるのを支える。



「エディス?」



 そっと声をかけてみても返事はない。

 ただ規則正しい呼吸音が微かに聞こえてきたことで、彼女が寝てしまったのが分かった。

 窓から差し込む日差しが温かいので、心地良くて寝てしまったのだろう。

 特に、食後は眠くなりやすいものだ。

 寄りかかるエディスにキスをすれば、パチッと光が弾けて人の姿に戻る。それでもエディスは起きない。

 刺しかけの刺繍と道具を慎重に持ち上げ、テーブルへ移動させる。

 うっかり針がエディスに刺さったら大変だ。

 ついでに糸屑も払ってやる。

 それから辛くないように自身へしっかりと寄りかからせて、腕を回してソファーの外側へ倒れないようにする。

 最近、エディスは少し肉付きが良くなった。

 相変わらず食事量は少ないものの、初めて屋敷に来た時よりかは確実に食べられる量は増えている。

 料理長が毎日考えてくれているおかげだろう。

 最初は病的なほどに痩せていたけれど、今は折れそうなほどくらいにはなったと思う。

 どちらにしても痩せていることに変わりはないが、毎日抱き締めていると、その変化がよく分かって嬉しい。

 健康的になっていくにつれてエディスは本来の美しさを取り戻していく。

 彼女の実母も社交界で有名になるほど美しかったそうなので、母親似のエディスも更に美しくなるのではないかと思っている。

 英雄と呼ばれる立場で良かった。

 もし俺がただの一騎士、もしくはただの騎士爵位であったなら、より高位の貴族にエディスを横からかっさらわれる可能性もあった。

 だが幸いにも俺は英雄と呼ばれ、エディスとの婚約は王家が認めたものだ。

 よほどの馬鹿でもない限りはそのようなことはないだろう。

 当の本人であるエディスも俺を好きでいてくれている。



「絶対に離さないからな」



 もう一度エディスにキスをして獅子の姿に戻る。

 呪いを受けた、孤独な男に言い寄ったんだ。

 最後まで責任は取ってもらうぞ。

 彼女の好きな獅子の姿で抱き直す。

 本当は膝に乗せて囲い込んでしまいたいが、そうしたらせっかく綺麗に装っているドレスに皺が出来てしまうだろう。

 だから今はこれでいい。

 そういった触れ合いは結婚してからだ。

 それまでは彼女が望む通り、婚約者として、恋人として、ゆったりとした関係を楽しむとしよう。



「……結婚したら覚悟しておけよ」



 仕事ばかりでロクに恋愛などしてこなかった。

 獅子の姿になってからは人付き合いさえ減り、誰かに心を預けることが出来なくなっていた。

 そんな俺をエディスは変えてくれた。

 そんな俺にエディスは近付いてしまった。

 まさか、自分がこんなにも執着心の強い人間だとは俺自身も今まで知らなかったのに。

 エディスは猛獣の前に自らを差し出したようなもので、俺はそれを不覚にも嬉しいと感じてしまった。

 自分から近付いたのだ。今更離れるなど許さない。

 絶対に手放さないし、絶対に諦められない。

 愛に飢えた獣に愛を与えたらどうなるか。

 当然、獣はそれに噛み付くだろう。

 そうして一度手に入れた獲物を逃がしはしない。

 俺はこう見えて強欲なんだ。

 いい匂いのするプラチナブロンドに擦り寄る。

 ……この幸福を手放せるものか。






* * * * *








 頬にふわふわの感触が当たってる。

 上半身が何か温かいものに覆われている。

 それはとても心地良くて、顔を埋めたふわふわは良い匂いがする。

 思わず擦り寄るとグルグルと低い唸りが、擦り寄った温かいものから直に響いてきた。

 …………ん? この唸り声って……?

 重たい瞼を何とか持ち上げて顔を起こす。



「っ?!!」



 触れそうなほど目の前に獅子のお顔があった。



「おはよう、エディス。よく眠っていたな」



 その獅子が鼻先をちょんとわたしの鼻先に触れさせて、小さく笑った。

 眠って、って……。え? あ、刺繍をしていたはずよね? ……やだ、途中で居眠りしちゃったの?

 離れようとしたけれど、ライリー様がガッチリ腰を抱いているので離れられない。



「お、起こしてくださったら良かったのに!」



 寝顔見られた! 恥ずかしい! そういえば前も見られてたわよね?! どうしよう、涎垂れてないかしら?! お化粧は崩れてない?!!

 慌てるわたしをライリー様はじっくり眺めている。

 え、もしかして今意地悪な状態ですの? あのちょっと意地悪だけど格好良い状態のライリー様ですの? 待って、色んな意味で心臓が危険よ!



「すまない、とても気持ち良さそうだったし、寝顔が可愛かったので起こすに起こせなかった」

「か、っ、あ、ありがとう、ございます……」



 好きな人に可愛いと言ってもらえるのは嬉しいわ。

 でも寝ている時の無防備な状態をまじまじ見るのはやめて欲しい。絶対に顔が緩んでるもの。

 すりすりと顔を寄せられて、ついいつもの条件反射的にその頬に手を伸ばして撫でる。

 ああ、モフモフに癒されるわ。落ち着く。

 最後に鼻先で頬にキスされて解放してもらえた。

 離れていく体温に少し寂しいと思ってしまったけれど、さすがに今は抱き着く勇気がない。

 壁にかかった鏡を見て、ちょっと髪やドレスを整える。見たところお化粧も崩れていなさそうだ。

 あら、刺繍道具はテーブルへ除けてくださったのね。針があったからありがたいわ。

 時計を確認すれば大分時間が経っていた。

 ティータイムの時間を少し過ぎている。



「もし良かったらティータイムにしないか?」



 ライリー様の御提案に頷く。



「そうですわね、ちょっと喉も渇きました」

「すぐに用意させよう」



 部屋の隅に控えていたリタが頷き、動き出す。

 そう、わたし達の様子はいつも誰かに見られているのだ。

 結婚すれば変わるが、婚約期間中は決して二人きりになることはなく、わたしの傍には常に侍女のリタかユナがついている。

 間違いが起こらないよう監視しているのだ。

 ちなみに居間の扉も少し開かれたままだ。

 リタはすぐに他のメイドを呼び、メイド達がティーセットやケーキスタンドなどを持ってきて、テーブルへ並べていく。

 リタが刺繍道具を片付けて退かしてくれた。

 あっという間に美味しそうな軽食やお菓子でテーブルが彩られる。

 メイドは一礼すると静々と居間を出て行った。

 リタが紅茶を淹れて、わたしとライリー様二人分のものを用意して、部屋の隅に戻る。



「では、いただこうか」

「はい。今日もとても美味しそうですわね」



 紅茶はわたしの好きな、濃い目にミルクたっぷりのものだ。

 ライリー様はストレート。いつもストレートなのよね。砂糖やミルクを入れているところは見たことがない。

 クッキーを取るとライリー様は口を開けて、ポイと放り込む。

 お口が大きいので前歯で齧るってことが難しいみたいなのよね。お菓子は大抵一口で食べている。

 その時にグワッとお口が開くのがいいのよね。

 牙や舌がちょっと見えて、野性味のある姿も格好良いわ。何度か咀嚼すると飲み込んだ。

 わたしもクッキーを一枚摘んで口に運ぶ。

 ライリー様はまだ紅茶に手をつけられない。

 最近気付いたのだけれど、ライリー様は猫舌らしい。獅子のお姿だものね。かわいい。

 だから料理も熱いものが苦手なようだ。

 そして実は甘いものもお好きなのだ。

 ティータイムを一緒にすると、わたしよりも沢山食べるし、結構クリームやジャムを使ったものをよく好んで召し上がっていらっしゃるのよね。

 大柄な男性が甘いもの好きってかわいい。

 尻尾が嬉しそうに上がっている。

 やっぱりかわいい。何しても格好良いか、お可愛らしいのだけれど、個人的にティータイム中のライリー様はかなりかわいい。



「美味しいですね」

「ああ」



 ティータイムのわたし達は意外と静かだ。

 甘いものが好きで、食べることにわりと集中しがちなライリー様と、それを眺めて愛でるわたしという図になるのだ。

 ライリー様がお可愛らしくて自然と笑顔になる。

 今日も牙が真っ白でお綺麗ね。

 ……あらあら、お口にクリームが。



「失礼します」



 口元についたクリームをナプキンで拭う。

 すると我に返ったライリー様が照れたように「ありがとう」と言った。グルルと混じった唸りは照れ隠しね。

 ニコリと笑い返してわたしもお菓子に手を伸ばす。

 わたしのお気に入りは一口サイズのケーキだ。

 見た目も可愛らしくて、食べやすく、美味しいので好きだ。ライリー様もお好きなものだ。



「良かったらこちらもどうぞ」



 二つほど自分の皿に分け、残りをライリー様へ示す。



「いいのか?」

「ええ、ライリー様が美味しそうに食べていらっしゃる姿を見るのが好きですの」

「そうか……」



 恥ずかしそうに一度視線が逸らされ、でもすぐに顔を戻すといそいそとケーキを取り分け皿に移している。

 …………かわいいわねえ。

 紅茶を飲みながらケーキを食べるライリー様をのんびりと眺める。

 雄々しい獅子と可愛いケーキって結構合うのよね。

 大きな手で器用にナイフとフォークを使って切り分けて、口へ運び、味を楽しむように食べていく。

 大きい体でちまちまと手元を動かす姿は大変お可愛らしい。ケーキを潰さないよう気を付けているのがよく分かる。

 こうやって一緒に過ごすのも素敵よね。

 定期的にお家デートをしてもいいかもしれないわ。

 その後も居間でまったりと過ごし、夕食を摂って、寝るまでまた一緒に過ごしたのは言うまでもない。

 お家デートって楽しいわ!





 

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