寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

思わぬ再会

* * * * *





「ベントリー夫人が今度一緒にドレスや装飾品を選びましょうとおっしゃってくださいまして、娘がいなかったからそういうことをするのが夢なのだそうなんです。それとアーヴとは手紙のやり取りもすると約束しました。そのために便箋を買ってもいいですか?」



 晴れてエディス=ベントリーとなった彼女が楽しそうに聞いてくる。

 女性らしくお喋りが好きなのか、その日にあった出来事や感じたことをエディスは俺に話してくれる。何が楽しかっただとか、何が嫌だったとか、良いことも悪いことも包み隠さないので話を聞くうちに彼女の為人が何となく分かった。

 人によっては鬱陶しく感じるかもしれないが、エディスのお喋りは俺には心地好い。

 彼女は俺の手に触れた日から当たり前のようにお喋りの時間は手を繋ぐようになった。

 これまでは家族や一部の人々としか接することがなかったため、人の温もりに飢えていたのかもしれない。俺よりも小さく細い手の温度や感触が酷く心を落ち付かせる。



「では商人を呼びましょうか」

「いえ、出来れば自分で買いに行きたいのです。アーヴにも綺麗なものを選んで送ると言ったので、自分の目で選んで決めたいんですの」



 それに彼女は身内にはとても心を傾ける人なのだろう。

 養子先のベントリー夫妻と弟が良い人々だったようで、良好な関係を築けそうだ。

 それは良いことのはずなのに少しだけ胸のうちにわだかまりが生まれる。



「そうですか、では明日にでも出掛けてみてはいかがですか? ずっとこの屋敷にいるのもつまらないでしょう。事前に伝えていただければ出掛けても構いませんよ」



 その気持ちに気付かないふりをして彼女に外出の許可を出す。

 その気持ちは自分の我が儘だ。今、彼女はこれまでの人生で得られなかったものを得ようとしている。色々な体験をして、色々なことを知って、感じて、学ぶのは彼女にとって良いことだろう。

 それを俺の感情で身勝手に取り上げたり行動を抑えさせたりするのは間違っている。

 彼女にはもっと笑っていて欲しいし、楽しく過ごして欲しい。



「本当ですか? では、明日便箋を買いに行きたいですわ」

「ええ、いいですよ。でもリタかユナのどちらかと、護衛を連れて行ってくださいね」

「護衛も? あ、街にはスリも出るからでしょうか? わたし、自分で買い物をするのは初めてなので一人だったらあっという間にお金を盗まれてしまいそうですものね」



 物価とかも分かりませんし、とエディスが言う。



「絶対に侍女と護衛から離れてはいけませんよ」

「はい、分かりました」



 僅かにエディスと繋がっている手を握ると、握り返される。

 たったそれだけのことが嬉しいのかにこりと微笑む姿は眩しかった。





* * * * *






 翌日、昼食を摂った後にドレスを着替えた。

 元々地味なものしかなく、そのどれもが古かったため、背格好の似たユナからワンピースを借りた。

 今、町娘の間で流行っているというそれは上半身が赤地で胸元と腰は白く、コルセットと一体になっていてそこがおしゃれに見える。スカートは柔らかなチョコレート色。それに膝下丈のブーツを履いて花の髪飾りを付けるといいらしい。

 靴はさすがに大きさが合わなかったので赤いリボンのついた靴にした。

 髪飾りはないけれど生花を編み上げた髪に挿してもらう。

 いつも通り薄く化粧を施してもらえば完成だ。



「今日もお美しいですよ、お嬢様」



 やりきったといった様子のリタが言う。



「ありがとう。リタとユナのおかげだわ」

「いいえ、元がいいからですよ。今日は楽しんできてくださいね」

「ええ、お土産も買ってくるから楽しみにしていてちょうだい」



 今日は街に詳しいユナがついて来てくれる。

 護衛も今朝紹介されたが、あまり目立たない顔立ちの青年だった。体付きも普通で、護衛だと言われなければ気付かないような感じだったが、服装と帯剣していることからそれと分かる人だ。

 常に傍にいるわけではなく、少し離れた場所から見守ってくれるらしい。

 ライリー様がつけてくれる護衛だ。きっと優秀なのだろう。

 そう思うと初めての外出への不安はなくなった。

 ユナと護衛と共に馬車に乗ってお屋敷を出る。

 店が多く並んでいる大通りまで距離があるので馬車で行き、広場で降ろしてもらうとユナと共に立ち並ぶ店を見て回ることにした。

 店は露店も多く、平民でも買いやすそうな値段の物が多く売られていた。

 食べ物から日用雑貨まで、雑多に混ざって売られている感じがお祭りのようだ。

 露店の中でもドライフルーツを扱っているお店を見つけたので、そこでお土産を買うことにした。これなら持ち運びしやすいし、使用人も空いた時間に食べやすいわよね。味見させてもらって美味しかったから自分の分も頼んでしまった。

 大量に買ってくれたからとお屋敷まで届けてくれることになったのも良かった。

 さすがに袋をいくつも持って歩くのは大変そうだったもの。

 それから目的地のお店へ向かう。

 インクや便箋、封筒など筆記用具類を専門に扱うお店は大通りの建物の一つにあった。

 お店の中へ入ると数人の人影があったものの、さほど混んでいるわけでもなく、棚に飾られた便箋と封筒を一つ一つ見て選ぶことにした。

 無地のものから色付きのものや、薔薇などの人気の高い花が透かし彫りされているもの、季節の植物の花弁などが押し花にされているものなど様々な種類がある。どれも可愛いし、綺麗だし、中には香水とセットになっているものもあって面白い。

 そういえば異母妹フィリスも手紙に自分のよく使う香水を振りかけていたっけ。

 わたしは香水なんてなかったから、いつも無地の便箋と封筒でリチャードに手紙を送っていた。その手紙時季の挨拶や夜会へのエスコートのお願いなどといった婚約者の義務としてのものだけだった。



「これ、いいわね」



 手に取ったのは淡いグリーンに白い百合の花が描かれた便箋だ。セットの封筒にも隅に小さく百合が描かれており、女性的だけれど可愛すぎず、品があり、男性に手紙を送っても良さそうなものだ。

 人気の商品らしく女性も男性もよく買っていくのだとお店の人が教えてくれた。

 他にも人気の便箋と封筒のセットをいくつか選び、ペンとインクも選んで購入しようとお店の人に声をかけた。そこそこの値段だが品が良いので総合的に見れば良心的な価格だろう。

 ふと見付けたメッセージカードを思わず手に取った。

 真っ白なカードは金縁の赤いリボンが枠を囲っているデザインだった。

 それを見た瞬間にライリー様が着ている近衛騎士の服を思い出した。



「このカードもお願い」



 お店の人に頼むとすぐに他のものと一緒に包んでくれる。

 買ったものは丁寧に布で包んで化粧箱に納められ、それをユナが受け取った。

 欲しいものも買ったので、後は少し街をぶらぶらして帰りましょう。

 露店の食べ物でも買ってみようかしら。買い食いっていうのをしてみたいわ。

 わくわくしながら外に出ようとすると、目の前の扉が勝手に開く。

 鈴の音と共に視界に見覚えのあるハニーブロンドが写り込み、視線を下げれば、輝くようなエメラルドグリーンの瞳と視線が合う。

 ……まさかフィリスとこんなところで鉢合わせになるだなんて。

 楽しかった気持ちがスッとなくなって静かな気分になる。

 向こうは目の前にいるわたしを不思議そうに見上げ、わたしの顔をまじまじと見つめた後に酷く驚いた様子でエメラルドグリーンの瞳を見開いた。



「え? も、もしかしてお姉様……?!」



 声にはでなかったけれど「うそ、」とその唇が動いたのが分かった。

 けれどすぐにわたしの全身を見てフッと鼻で笑う。



「見た目は変わったみたいだけど、地味なのは相変わらずね。婚約していらっしゃる方からドレスの一着も贈っていただけておりませんの? まあ、お姉様みたいな人を喜んで受け入れてくれる方などいらっしゃらないでしょうけれど」



 くすくすと笑うフィリスをわたしは静かに見下ろした。

 前のわたしはこの異母妹を恐れていたが、今のわたしは違う。



「ふふ、そんなことありませんわ。ライリー様は沢山のドレスや靴を買ってくださいましたの。ただ、あまりにも多過ぎて届くまでに少し時間がかかっているだけです。あなたにお気遣いいただかなくとも婚約者との仲は良好ですので御心配なく」



 にこりと笑い返すとフィリスがまた目を丸くした。

 前までのわたしはあなたに反抗したことも、口答えしたこともなかったもの。驚くのも無理ないわ。でもわたしは変わったのだと知ってもらわなくちゃね。

 にこにこと笑みを崩さないわたしに何かを感じたのかフィリスが僅かに後退る。

 しかし自分が気圧されていることに気付くと唇を噛み締め、睨み付けてきた。



「っ、お父様にも愛されていないくせに!」



 振り上げられた手がわたしへ振り下ろされる。

 だけどわたしは逃げることも避けることもしない。

 そうする必要がないのだ。



「お嬢様に手を出すのは許しません」



 だって、わたしにはライリー様が護衛をつけてくださっている。

 振り下ろされた手は途中で護衛が掴んで止めた。

 まさか誰かが割り込んでくるとは思いもよらなかったらしく、フィリスの顔に驚きと焦りが浮かぶ。

 フィリスが護衛の手を振り払えばそれは簡単に外れた。



「誰よ、あなた! 邪魔しないで!」

「それは出来ません。私はエディスお嬢様の護衛ですので」

「護衛?」



 護衛の言葉にフィリスが不可解そうに眉を寄せた。



「何を言ってるの? お姉様は子爵家から絶縁されたんだから平民でしょう? 平民に落とされたくせにどうして護衛なんているのよ?」



 ああ、フィリスは勘違いをしている。

 確かにわたしは数日前にアリンガム子爵家と絶縁した。

 この子はわたしがそのままの身分でライリー様の婚約者になったと思い込んでいるのだ。

 今度はフィリスの言葉を聞いた護衛が眉を顰める。



「あなたこそ何をおっしゃっているのか。こちらにいらっしゃるのはベントリー家の御長女エディス=ベントリー伯爵令嬢ですよ。平民に落ちただなんてとんでもない」



 フィリスはそれを聞いてぽかんと口を開けてわたしを見上げる。

 護衛の言葉が理解出来なかったのか「ベントリー家……?」と呟いている。

 だからわたしは嫌味なほどに丁寧なカーテシーをして見せた。



「改めまして、ベントリー伯爵家の長女エディス=ベントリーよ。数日ぶりね、アリンガム子爵令嬢さん」



 子供に教えるように優しい声音で話しかければフィリスの顔が赤く染まる。



「は、はくしゃく……? お姉様が、伯爵令嬢……?」

「そうよ。あと、姉と呼ぶのはやめてちょうだい。もうわたし達は姉妹ではないわ。わたしはベントリー伯爵家の長女で、わたしの兄弟は可愛い弟だけ。あなたはアリンガム子爵家の御令嬢よ。親しくもない子爵令嬢に勝手に『お姉様』と呼ばれるのは不愉快だわ」

「な……っ?!」



 扇子で顔を隠しながら言えば、赤かった顔が青くなり、また赤くなる。

 その分かりやすい様に店内にいた人々がくすくすと忍び笑いをする。

 驚く姿が継母とそっくりで思わずわたしも笑ってしまった。

 周囲とわたしに笑われていることに気付いたフィリスの顔が驚きと怒りと、それ以上の羞恥心で染まっていくが、わたしへ怒鳴ったり手を上げたりするのはまずいと気付いたようだ。

 そうよ、わたしは今は伯爵家。そしてあなたは子爵家。格下の家の者が格上の家の者に一方的に絡んだ挙句に手を上げるという暴挙をあなたはしたのよ。



「ふんっ、何よ、婚約者に捨てられたくせに! 気分が悪いから失礼するわ!!」



 でもこの子はそれをきちんと理解していないらしい。

 格上わたしの許可も得ずに乱暴に店の扉を開けると外へ出て行ってしまう。

 ……子爵家に来てからあの子も淑女教育は受けているはずなのに忘れてしまったのかしら。それとも相手がわたしだから何をしても構わないとでも思っているのかしら。その可能性の方が高そうね。



「お嬢様、大事ありませんか?」



 フィリスが消えると護衛が心配そうにわたしを見やる。



「ええ、あなたのおかげで何ともありません。守ってくれてありがとう。とても助かりました」

「いえ、それが私の務めですのでお気になさらず。この後も街を見て回るようでしたら僭越ながらお供させていただきますが、いかがなさいますか?」



 小さく頭を下げる護衛にわたしは首を振った。



「やめておきます。気分もあまり乗りませんし、今日はもう帰ります」

「畏まりました。それでは馬車を呼んで参りますのでしばしお待ちください」

「ありがとう、お願いします」



 店の外へ馬車を呼びに出た護衛を見送り、わたしはお店の人と、店内にいた人々へ騒がせたことを謝罪してからユナと店の隅で待つことにした。

 また店を出てフィリスや顔見知りにうっかり会いたくない。

 せっかく素敵な便箋やメッセージカードを買えたのに気分が上がらない。

 はあ、と溜め息が漏れる。

 ……早く帰りたいわ。ライリー様にお会いしたい。会って、あの大きな手に触れたい。あの大きな体でギュッと抱き締めてもらったらこの嫌な気持ちも消えるかしらね。

 しばらくして店の外に来た馬車にユナと共に乗り込む。

 何も言わずとも馬車はそのまま真っ直ぐ屋敷へと向かってくれた。

 ライリー様が帰ってきたら今日は思い切り甘えてしまおう。
 



 

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