兄弟弟子

ノベルバユーザー559333

兄弟弟子

古代中国は大雪山脈の東、長江の支流である大渡河が刻む峡谷の様子を望みながら、朝起きて陽が沈むまで修業する二人の兄弟弟子がいた。

「今日はこれまで」
「はい」

師匠の名は幽眠で妖術師。まだ幼い二人は、兄弟子の幻夢と弟弟子の操夢と名付けられた。

「先ずは己の眠りを支配しなさい」
「はい」

幽眠の妖術は、人の夢と眠りを操るというもので、大国に大金で雇われ、敵国の大将を様々な方法で、呪い殺したり自殺に追い込むという高等妖術の使い手だ。

「先ずは日の光を充分浴びてしっかりとした体をつくりなさい」
「はい」

二人の弟子達はこのまま10年の修業を続け、体の基礎を鍛え上げた後、妖術師としての次の段階へ移行する。

「今日よりは夜の闇に眼を凝らし、闇に心を凝らしなさい」
「はい」

それからは人の夢と眠りを操る妖術師として本格的な夜の闇の世界に生きることとなる。

その師のもと、厳しい修業が更に二十年あまりも続いたある日。

「師としての教えはこれで最後だ。後はそなた達二人、好きに生きよ」
「師匠」

その師匠も病に倒れ最後に奥義の秘伝の書を二人に授けてこの世を去った。

幻夢と操夢は、亡き師匠の意思を継ぎ、各々が別々の大国に妖術師として仕えることとなった。

「では、操夢達者でな」
「兄者もな」

これが最後の別れとなるはずとわかりながら、お互い多くを語らず、盃を一度だけ交わすと各々の国へ散った。

その頃同じような妖術師たちが、全ての大国で雇われ、暗に陽に活躍していた。

別れてから数十年は経っただろうか。 幻夢も操夢もお互いの活躍の噂だけは耳にしていた。

高等妖術では、自分の体を安全な場所に置き、その体から抜け出て瞬時に敵将の枕元に移動し、怪しい夢を見せたり、睡眠を妨げて発狂させたり自殺に追い込んだりした。

しかし敵将にも雇われ妖術師がいて、その場合は、すぐさまその場で妖術戦が繰り広げられることとなる。

師のもとを離れた最初の頃は、己の実力を知らずにいた幻夢は、いついかなる時も覚悟を決めていた。 だが、天下に名高い幽眠の弟子・幻夢にとって、取るに足りぬ妖術師ばかりだった。

それでもある時、なかなかの使い手がいて、お互いの妖術が、お互いの術に相殺されて、身動きが取れずにいた。

幻夢は最後の手段として、師の死に際に授かった奥義を使わざるをえなかった。 それは敵から離れた場所から放つ妖術の使い手にとって最も危険な術だった。 相手の体に触れて放つ炎起という術で、体術に優れているわけではない妖術師にとってかなり危険を伴う。

相手に気付かれぬように己の気を殺してそっとそばに近づき瞬時に術を放つ。片手で相手の手を握り、もう一方の手の人差し指で相手の眉間をつき気を流し込むという技。 「やはりこれしかない」

敵の妖術師の微かな気をたどり、谷の岩瀬に追い込んだ。 しかし相手の技量を考えると、こちらの気配を気付かれずに近づくことは難しい。

月の光が雲に隠れるや否や意を決して敵の真横に跳んだ。そしてすぐさま相手の手をつかもうとした。 するとこちらの指と相手のそれが激しく絡みあった。

幻夢が、反対の手の人差し指で相手の眉間をつくや否や、雲に隠れていた月が、二人を優しく照らした。 ほとんど同時に敵の人差し指も幻夢の眉間を的確に捉えた。

敵は、何十年経とうが、わからぬはずのない弟弟子の操夢その人であった。

この炎起という術は、一度その術を浴びると、次に眠りにつくと二度とは起きることがない。 体力が尽きるまで。つまり死ぬまで。 二人はすぐさま全てを覚った。

すでにそれまでの冷徹な妖気は消え去っていた。 二人はにっこり頷き、ゆっくりと抱き合った。

「久しぶりだな操夢」
「変わらぬな幻夢」

修業時代はお互いがお互いを写す鏡のような存在であった。 極端なまでに己の感情をそぎ落として生きてきた妖術師、まさに自分と向き合う事は苦痛でしかなかった。

そしてしみじみと思う存分酒を酌み交わした。  すべてを捨て去り闇の暗殺者と生きたまさに今の今までから、ようやく解放されたのだ。

そして、太陽のもと厳しかった幼き日の修業時代の思いでを語り合った。

二人は、こんな形で兄弟弟子が巡り会う不運をけして嘆いたりはしなかった。

彼らはこれまで多くの敵将を手に掛け、また多くの同業の妖術師達をも葬ってきた。

今は人をあやめて我が身の糧となす自らの業の深さにただ身を委ねるだけだった。

「最期は、人として生涯を終える事ができそうだ、なぁ操夢」
「やっと師匠に会えるな幻夢」

そう、とうに覚悟などはできていた。

それよりも、二度とは会うことはできぬであろう兄弟弟子との、この巡り会わせにむしろ感謝こそしていた。

どれくらい時が経っただろうか。 もう夜が明けようという頃だろうか。 やはりにっこり笑って二人は静かに眠りについた。

それはまるで幼き日の修業時代の夢の続きを見ているようだった。

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