自分に想いを寄せる、嫌いな幼馴染を捨てた話

英雄譚

第6話 「買い物の誘い」



 阿澄の歌声で生まれる世界は花畑よりも彩られていた。

 いつもの日常。
 いつもの部屋の天井。
 いつもの生徒らが歩く通学路。
 いつもの無機質な教室。

 聴けば聴くほど彼女の歌声の届かない、この不変的な空間が淡い景色に見えるようになっていた。
 物足りなさが四六時中、胸の中で渦巻きながら訴えてくる。


 ———もっと聴きたいと。





 阿澄との繋がりを持ってから一ヶ月が経った。
 季節が秋へと移り変わり、澄んだ空気の香りがしてきた。
 この時期が一番好きだ。


「………」


 放課後、阿澄のいる音楽室に通うのが水曜日だけではなく空いた曜日があれば行くようになっていた。
 静かな別館の奥にある扉を開けば、そこには必ず彼女が待っていてくれている。

 最初の頃とは比べものにならないぐらい穏やかに接してくれるようになった阿澄は歌を聴かせるだけではなく相談に乗ってくれるようになっていた。
 逆に彼女の相談にも乗ったりするけど、多くを語らない性格をしているためか解決に至るまでが中々難しかったりする。

 例えば親に内緒で歌手を目指しているけど、なぜ親に内緒にしているのかを言わないし。
 バイト先に困ったチャラチャラした先輩がいて、なにかある度に何処かに誘われたりするらしい。
 なら他のバイトを探せばいいのではないかと提案をするのだが彼女は「条件がいいので辞めたくはないです」と却下された。

「……空さんの両親はどんな方なんですか?」

「うん? 普通に優しいぞ。漫画家になるって夢を応援してくれたし、近所からは温厚な夫婦で有名らしい」

 幼い頃からの自慢の両親だ。

「兄弟とかは?」

「今年、中学生になったばかりで妹が一人。反抗期の生意気な奴だよ。そういうお前はいんの?」

「いえ、一人っ子です」

 少し悲しげに、彼女は言った。

「空さんはズルいです。両親や妹もいて、さぞかし楽しい日々を送っているでしょう。悩み事がなさそうで羨ましいです」

「俺にだって悩みはあるわ」

 夢の挫折。
 幼馴染への嫌悪。
 親に進路はどうするのか聞かれ、すぐに答えることができなかった。

 絵を道に戻ろうかも思ったが、作品を持ち込んだ時に向けられたあの冷たい眼が忘れられない。
 あと一歩、あと一歩踏み出せば決断できるというのに、目の前を塞いでいる障壁があまりにも高すぎて超えられる気がしない。


 ———寧ろ夢にひたむきな阿澄を見て、俺が羨ましいよ。



「そういえば、あれからユリさんとはどうなったんですか?」

 不意に阿澄は話題にも出したくない奴の名前を口にした。

「謝罪の手紙を貰ったんでしょ」

「それがさ、許した覚えがないのにアイツ最近、より一層遠慮がなくなったんだよ」

「例えば?」

「周りの目があるのに手を繋いだり抱きついたり。その……胸を……押し当ててきたり……」

「うわっ……下品ですよアナタ」

「俺じゃねぇって!」

「はい、冗談ですので」

 冗談をかましてドヤ顔をする阿澄。
 こっちは至って真剣なのに。
 いや弄ってくるぐらいの仲になったので寧ろ喜ぶべきではないか。

「幼馴染さんアナタが好きなんですね」

「……俺は勘弁してほしいけどな」

「あんなにも可愛い幼馴染にアプローチされているのに勿体ないですよ。もしかしてホモなんですか?」

「違ぇよ。じゃ逆に聞くけどお前のバイト先の先輩、どうせ顔面偏差値高い方なんだろ?」

「ええ、まあ」

「ソイツに付き合ってくれねぇ? って告白されたらお前どうすんだよ?」

「丁寧にお断りしますね………あっ」

 質問の意図を理解したのか解りやすく声を漏らす阿澄。
 確かに恋愛において顔も大切だが中身が良くなければ、この先幸せを勝ち取るなんざ夢のまた夢だ。
 性格が良いかどうかを優先的に見極めた方が絶対いい。

 ユリは確かに可愛いけど性格が良いとは言えない。
 自分の思い通りにいかなかったり、思想に合わなかったりすると彼女はソレらを徹底的に排斥するために動くのだ。

 スクールカーストの頂に君臨する女王的立場のユリが頼めば、どんな非道な方法でも実行するような連中がいる。
 そのせいで学校に来なくなったり転校してしまった生徒を俺は知っている。
 今さら思い出したところで罪悪感が蒸し返されるだけだ。



「あのさ、今週の土曜日暇?」

「ええ、予定はありませんが」

 阿澄の目が大きく開かれキョトンとしている。

「漫画道具を買いたいと思うんだ。去年、全部捨てちゃってスケッチブックと鉛筆ぐらいしか持っていないんだ。このままじゃ不憫だしさ」

「そ、それ私に関係あります?」

 微妙に動揺したせいでズレた眼鏡の位置調整をしながら視線をそらされる。
 なに照れてんだ。

「いや……なんかお前と一緒にどっか行きたいなーなんて……駄目か?」

 やばい、こっちまで恥ずかしくなってきた。
 頬を掻きながら残念そうにすると、唐突に阿澄が身を乗り出してきた。
 彼女の座っていた椅子が後ろに倒れるほどだ。

「そ、そ、そ、それなら仕方ありませんね! い、いいですよ! お買い物に、行きましょう!」

 挙動不審すぎるが阿澄の了承に喜ぶべきなのか迷いながらも胸を撫で下ろす。
 本来、彼女を誘う理由なんかないのに何故だろうか。リスクを背負ってまで頼むほどか、と誘った張本人の俺でも不思議に思っていた。

「その代わりに!」

 ビシッと、指をさされる。

「私を呼ぶときは『お前』ではなく下の名前『アヤメ』と呼んでください!」

 アヤメは、頬を真っ赤にしながら言った。

「そんなので……いいのか?」

「ええ、一度だけでいいので呼んでみてください、ほら」

 それが条件なら仕方がない。
 促されるまま、おぼつかない口調で、彼女の名前を呼んでみた。

「あ、アヤメ……」


「〜〜!!!」

「お、おいっ!?」


 可愛げのある声で唸りながら、アヤメは音楽室から走り去ってしまう。
 まだ答えを貰ってないのに。
 本当によく分からない子だ。

 慌てるアヤメの顔を思い出しながら熱くなっていく胸に手を当てる。

 なんだろうか、この感情は。

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