神隠しにあってしまいました。

克全

第31話:最後の陰謀と虐殺

「ちぇすとぉおおお」
「殿のかたきぃいいい」
「死ねぇええええ」

 戸塚宿を出てから、毎日のように襲撃を受けました。
 最初の掛け声から、薩摩藩の関係者なのは私にも直ぐ分かりました。
 ですが詳しい理由など知りたくもありません。
 誰を討ち取ったとこか誰が殺されたとか、聞きたくないです。
 ただ駕籠の中で目を瞑り耳を塞いで京まで過ごしました。
 そんな卑怯な行動をとった御陰なのか、乾嘔が再発する事はありませんでした。

「久左衛門殿、敵の襲撃を躱すために道順を変えてください。
 必要なら警護の徒士組や御先手組を嘘をついてでも、敵を欺いてください。
 それと、京に入る前に伏見稲荷大社に行かせてください。
 このまま無理に京に行かされたら、どのような祟りがあるか分かりません」

 一日でも早く伏見稲荷大社に行って、元の世界に戻りたい一心で、久左衛門殿に縋りつかんばかりに訴えました。
 伏見稲荷大社に近づくほどに、元の世界に帰る事以外考えられなくなりました。
 だから嘘八百並べたてて、行列を伏見稲荷大社に向かわそうとしたのです。
 襲撃を受けた事で祟りがあると、嘘をついたのです。

 薩摩浪人の度重なる襲撃が、私を後押ししてくれました。
 そんな薩摩浪人に襲撃も、尾張名古屋を越え、関ヶ原を通って彦根藩の領地に入る頃には、全くなくなりました。
 襲撃を受けた理由など別に知りたくないのすが、警護の侍達の噂話が耳に入ってくるのです。

 薩摩守と一緒に切腹処分となった一門四家と家老八家、その他にも数十の大身家臣家を、当代の薩摩藩主が追放処分にしてしまったそうです。
 そんな連中が私を逆恨みして襲ってきたのだそうです。
 最初は薩摩隼人の勇猛さに圧倒されていましたが、当麻殿の奮戦と完全武装の徒士組と御先手組の御陰で、ぎりぎり護りきれたようです。
 特に御先手鉄砲組の射撃は、その砲声は私には恐怖でしかありませんでしたが、薩摩浪人を撃退するのにはとても役立ったそうです。

 小田原藩士が援軍に駆けつけてくれたことも大きかったです。
 小田原藩士だけでなく、駿府勤番や東海道筋の藩士が駆けつけてくれました。
 特に尾張藩士と彦根藩士が、徹底的に薩摩浪人狩りをしてくれたそうです。
 その御陰で襲撃されなくなったのかもしれません。
 もう薩摩浪人を全滅させることが出来たのか、それとも襲撃の機会をうかがっているのか、私には分かりませんし知りたいとも思いません。

「承りました。
 では大津街道を使って京の町には入らないようにします。
 京都所司代の久世様には、伏見稲荷様から神使様に呼び出しがあったと使者を送っておきますので、何も心配なされませんように」

 私の嘘など久左衛門殿は御見通しだったのかもしれません。
 全て知っていて、朝廷を無視して伏見に向かってくれているのだと思います。
 これでようやく元の世界に戻れると安堵していたのに、邪魔する人がいました。
 信じられない事ですが、当麻殿と一緒に私を助けてくれた人、長谷川平蔵宣以殿に邪魔されてしまったのです。

「神使様、我々が敵を排除するまで大津宿で御待ち下さい」

「敵とは薩摩浪人の事ですか」

 私は鬼平として有名な長谷川平蔵宣以に直接たずねました。
 元の世界の影響でしょうか、鬼平殿にはとても親近感を持っていたようで、警戒することなく質問出来たのです。

「いえ、大納言様を殺した本当の黒幕です。
 全ての元凶は朝廷にいたのです」

 鬼平殿の話を聞いて、朝廷とはとても恐ろしい所だと思い知りました。
 絶対に近づきたくないと思うくらい、恐怖を感じてしまいました。
 何故なら、徳川家基を呪殺させたのは、朝廷内の権力を維持したい近衛家当主、近衛内前だと言うのです。

「某の父は京都西町奉行を務めておりました。
 某も父について京に来ておりましたから、公家衆の厭らしさはよく存じておりましたので、一橋と薩摩の後ろに近衛がいる事を疑っていたのです。
 それで、私が京にいた頃に懇意にしていた、京都町奉行の与力同心に頼んで、色々と調べて貰っていたのです」

 正直一度聞いただけでは、細かい所までは理解できませんでした。
 何度も聞き直して、ある程度は理解できた心算ですが、勘違いしている所があるかもしれません。
 大体の内容としては、後陽成天皇の第四皇子が養嗣子となった事で、近衛家は皇別摂家となっており、当代近衛家当主の近衛内前までの四代にわたって、朝廷で絶大な権力を振るっているというのです。

 その事を他の四摂家や宮家、いえ、殆どの公家が苦々しく思っていたようです。
 いえ、今上陛下や上皇陛下まで苦々しく思っていたそうなのです。
 霊元法皇に至っては、呪詛まで行っていたというのですから、恐ろしい事です。
 私も多くの人に対して祟りがあると口にはしていましたが、それはあくまで自分の要求を通すための嘘でしかなく、本当に祟るとは思っていませんでした。
 ですが、私がこの世界にいるという事は、本当に神仏がいるという事です。
 呪詛が実在してもおかしくはないのです。

「このまま今上陛下が崩御なされるような事があれば、後を継がれるのは閑院宮家の美仁親王殿下か祐宮様、あるいは伏見宮邦家の嘉禰宮様になられます。
 近衛は自分が朝廷を思いのままに操れる方に、跡を継がせたかったのでしょう。
 豊千代殿が将軍家を継ぐことになれば、薩摩家から養女に迎えた茂姫が御台所とななり、その後ろ盾を得ることが出来ます。
 自分が専横を続けるには、大納言様が邪魔だったのです」

 鬼平殿の話しは吐き気がするほど汚い物でした。

「一橋と薩摩が処罰されたのに、諦める事無く呪詛をしたと言うのですか」

 あまりの執念深さに寒気がしました。

「いえ、そうではありません。
 一橋と薩摩が処罰される前から、ずっと呪詛を続けていたのです。
 一橋と薩摩が処分された後も呪詛を続けたのは、大納言様を呪殺できれば、新たに生まれた娘や孫娘を、国千代様か幸松様の婚約者にする事も可能です。
 それが出来なかった場合は、清水家と縁を結んで、将軍家の御血筋を絶えさせようとするかもしれません」

 鬼平殿が恐ろしい事を口にします。
 公家が幕府を呪っているというのです。
 朝廷全体公家全員とは言いませんが、皇別摂家の近衛家が将軍家を呪って大納言を殺したとなれば、幕府と朝廷の全面戦争となるかもしれません。
 それでなくても私の所為で大幅に歴史が変わっているのに、この世界では徳川家治の決断次第で皇室が滅ぶ可能性すらあり得るのです。

「平蔵殿はどうなされる心算ですか。
 皇室や朝廷を滅ぼす御心算ですか」

「某はそのような事は望みません。
 太平の世を乱そうとも思っていません。
 ですが私は大納言様の家臣ですから、主君の仇は討たなければなりません」

「それは、事を荒立てる事無く、近衛公を殺すという事ですか。
 ですが事が公になれば、皇室と幕府が争うことになるのではありませんか。
 近衛公を殺した理由を話さないと、平蔵殿が処罰されるのではありませんか」

「某も本所の鐵と呼ばれた男でございます。
 町奉行所の役人に捕まるようなへまはしません」

 鬼平殿は自信満々に言ってのけられました。
 当麻殿は鬼平殿の言葉を信じておられるようで、事が決着するまでは、私が病になったと偽って、大津宿に留まるようにと久左衛門殿に献策されました。
 久左衛門殿も鬼平殿と当麻殿を信じたようで、京都所司代に使いを送って、大津宿で病気療養する許可をとったのです。
 久左衛門殿も全てを内々で済ませる決断をされたようです。

 鬼平殿の凄腕ぶりは、私の想像を絶していました。
 大津宿を発った翌日には、近衛家に押し入って一家を惨殺してしまいました。
 その翌日には興福寺の一乗院が襲われました。
 三日目には大覚寺が襲われました。
 四日目には大徳寺が襲われました。
 警護の武士達の話しでは、この時点で近衛家に強い恨みがある者の仕業だという噂が、洛中洛外に広まっているという事でした。

「御待たせ致しました。
 もう大丈夫だとは思いますが、念のために先手を伏見に入れて、薩摩浪人や近衛の刺客が潜んでいないか、確かめさせてください」

 五日目に鬼平殿が戻ってきて報告してくれました。
 多くの人を惨殺した人とは思えない、人懐っこい笑みを浮かべています。
 もし惨殺現場に私がいたら、鬼平殿の事を畏れ嫌っていたかもしれません。
 ですが噂話を聞いただけの私は、元の世界のイメージに強く影響されているのか、全く恐怖感も嫌悪感も抱きませんでした。

 鬼平殿の話しでは、近衛の手引きで洛中と伏見に薩摩浪人や刺客が潜んでいたそうなのですが、近衛家が皆殺しにされ、呪詛を手伝った菩提寺等の社家や僧侶が惨殺された事で、恐れをなして逃げ出した可能性が高いという話しでした。

 ですが薩摩浪人は執念深かったのです。
 近衛家や神社仏閣が襲撃された事で面目を潰された、京都所司代と京町奉行所が総力をあげて京周辺を捜索したそうなのですが、次々とアジトに潜んでいる薩摩浪人が発見され、その場で熾烈な斬り合いが起こったそうです。

 殺し合いになったら、人数が少ないうえに役人化している町奉行所の与力同心には、幼い頃から示現流を学んだ薩摩浪人に対抗できる力量などないそうです。
 一方的に町奉行所の与力同心と捕り方が斬り殺され、大半の薩摩浪人に逃げられてしまったそうです。
 ですがその御陰で、私の警護をしてくれている徒士組と御先手組が、伏見に入って御用改めをすることが出来ました。

「神使様、過分な御告げを賜りましたこと、主主殿頭に成り代わり伏して御礼申し上げます」

 久左衛門殿が伏見稲荷大社の境内で土下座してくれます。
 それに続いてお登勢さんや女中達、いえ、田沼家家臣が全員土下座してくれます。
 
「止めてください、久左衛門殿。
 皆の者も止めてください、恥ずかしすぎます。
 これで神仏の国に拒否されたら、どんな顔をして戻って来ればいいのですか」

「それは御安心下さい、心から歓迎させていただきます。
 主主殿頭も、その時は頂いた過分な御告げに相応しい御礼をさせて頂きたいと、心から申しておりました」

 久左衛門殿が即答してくれます。

「その通りでございます、神使様。
 私達も今まで以上に心を込めて御世話させていただきます」

 お登勢さんが、目に涙をためて言ってくれます。
 その姿を見てしまうと、私まで泣いてしまいそうになりました。

「登勢の申す通りでございます。
 一時的には二条城に滞在して頂く事になりますが、田沼家が京屋敷を構えた暁には、そこで暮らして頂きます」

 久左衛門殿がとんでもない事を言いだしました。
 私の為に必要もない京屋敷を購入するなど、勿体無さ過ぎます。

「私は神使様が何時戻られても大丈夫なように。伏見に道場を構えさせていただきましょう」

 当麻殿までとんでもない事を言わないでください。
 私はもう二度とこの世界に戻る気はないのです。
 元の世界で心を入れ替えて勉学に励むのです。

「おお、それはいいな。
 だが江戸の道場はどうするのだ。
 江戸で名声を得て、これからという時ではないか。
 望めば田沼家の剣術指南役にもなれるではないか。
 どうだ、俺を伏見の師範代に雇わないか」

 鬼平殿までおかしなことを言いだしました。
 私の知る歴史とは大きく流れが違っていますが、田沼意次に近かったと松平定信に嫌われていたにもかかわらず、御先手組の頭に選ばれ、火付け盗賊改め方の長官を長年務めたほどの才能の持ち主です。
 田沼意次から田沼意知に権力が継承されるなら、大抜擢される可能性が高いのに、浪人するなど狂気の沙汰です。

「馬鹿な事を言わないでください、平蔵殿。
 平蔵殿は町奉行所の役人に捕まるよう愚か者ではないのでしょう。
 だったら大納言殿の仇を討った平蔵殿が、処分されるはずがないでしょう」

「しかしながら神使様、己がやった事のけじめはつけなければなりません」

 鬼平殿の言う事も分かりますが、浪人して力を失ってしまったら、やれる事が限られてしまいます。
 鬼平殿ほどの才能があるのなら、幕府の中で権力を振るった方が、より多くの人を助けられるはずです。

「浪人するのが本当に武士のけじめなのですか。
 それよりは、幕府の中で権力を手に入れて、幕府の力を使って世の中をよくして欲しいです。
 主殿頭殿と大和守殿がおられますが、正直主殿頭はもうご高齢です。
 主殿頭殿と大和守殿を嫌っている、名門譜代が多いのではありませんか。
 大和守殿ひとりになられた時に、助ける者が必要なのではありませんか」

「神使様の御忠告、狭い心が広がった思いでございます。
 何としてでも秘密を守り、力を得る覚悟を致しました」

 まあ、大丈夫でしょう。
 近衛家が皆殺しにされた真実は、久左衛門殿から田沼意次に、田沼意次から徳川家治に伝わるでしょう。
 そうなれば、愛する息子、徳川家基の仇を取ってくれた鬼平殿を、家治が処分させるはずがないのです。

「では、神仏の世界に戻れるか試してきますね」

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