常世封じ道術士 風守カオル

坂崎文明

第12話 雛流しの呪法

風守カオルが京都府警から依頼された「雛流しの呪法」事件というのは、一見、連続殺人事件のように見えるものだった。

すでに、京都の各地で十数件もの事件が起こっていて、被害者の殺害現場にいずれも『流し雛』が発見されている。そして、被害者の手足があらぬ方向に折り曲げられて殺されているという共通点がある。

とても人間の仕業ではないと思われること、状態からして、おそらく昨年、持ち帰られて家に飾られた『流し雛』が犯行現場に残されているではないかと思われた。

下鴨神社の『流し雛』は一度、家に持ち帰って、一年間、飾られて、災いから持ち主の身を守り、厄や穢れを引き受けて御手洗川に流されることになっている。

『流し雛』の原形は縄文時代からある草などで作られた禊祓みそぎはらいのための身代わりの形代かたしろだが、時代が下ると、三月の上巳の節句に、紙できた形代で体を撫でて穢れや禍いを人形ひとがたに移し、川や海に流して幼子の無事な成長を祈るようになったようだ。

土偶や古墳の埴輪も同じ用途で使われていた可能性がある。土偶が粉々になって遺跡で発見されるのは呪術的祭祀が関係しているし、『日本書紀』の垂仁紀によれば、野見宿禰のみのすくね日葉酢媛命ひばすひめのみことの陵墓へ殉死者の身代わりに埴輪を埋めることを進言したという話がある。

野見宿禰のみのすくねは第十三代の出雲国造、襲髄命かねすねのみことと言われていて、この功績によって土師臣はじのおみの姓を与えられ、代々の天皇の葬儀を司ることになる。元々、垂仁天皇の命により当麻蹴速とうまのけはやと角力(相撲)をとるために出雲国より召喚されて勝利し、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられて、天皇に仕えたと言われている。

その後、時代が下ると、天児あまがつ這子ほうこという人形へと変化していく。
天児(あまがつ)は三十センチくらいの二本の竹の棒を束ねて人形の両手にし、別の竹をT字型に横に組合わせて人形にしたもので、丸い頭を白絹の布で作って簡単な衣裳を着せ、幼児の枕元において魔除けのお守りとした。

這子ほうこは上巳の祓に贈られた人形で、やはり、幼児の枕元におかれて、幼子が三歳になるまで身につける風習が生まれた。幼児の愛玩用のぬいぐるみの原形で白絹に綿を詰めてつくった。幼児がハイハイをするように見えることから這子ほうこという名前がついたようだ。飛騨高山の「猿ぼぼ」は這子ほうこが変化して玩具となったもので、赤い布で胴を作って綿をつめ丸い頭をつけたもので目鼻はない。

その後、この天児あまがつを男子、這子ほうこを女子に見立てて『立雛』というものも作られますが、宮中で貴族の少女などが行う『ひいな遊び』と結びついて、お内裏様とお雛様が現れ、江戸時代になって、立派な雛人形が作られるようになっていく。


という話をネットなどで必死に調べてしまったカオルだったが、事件の解決に寄与する成果は全くなくて、単ある無駄な知識、トリビアとし彼女の黒歴史になりそうだった。

そもそもカオルの専門は常世とこよ、ラノベ風の言い方をすれば「異世界」から現れる魑魅魍魎ちみもうりょうの退治であって、連続殺人事件の捜査ではないし全くの畑違いの分野だった。

ただ、今回の犯人はおそらく人間ではなく、その妖怪やらもののけの類であるという京都府警の結論に対して異論もないし、カオルの見立てでもそれは間違いないことであった。

かわいい童子の姿をした悪童丸という使い魔の道神は、常世との境界を封じる道祖神、強力な呪力を持つ境界の神であるが、今のところ、出番はなさそうで、雛子というもののけとのんきに遊んでいた。

ちなみに、悪童丸の父親は吉備の地霊で鬼神の温羅ウラ、母親は第七代孝霊天皇の皇女して、卑弥呼だとも言われる箸墓の埋葬者でもある神霊、倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみことである。

下鴨神社の楼門をくぐって、土産物屋で雛子に『媛守ひめまもり』というお守りを買ってやるカオルであったが、「ただしの森」を散策して思案を巡らせていた。

糺しの森の小川に、回収され忘れたらしい流し雛がひとつ浮かんでいた。
そのまま川を流れていく。

とにかく、この流し雛の謎が解けないと事件の解決はなさそうだった。
何か呪術的意味があるに違いないが、「雛流しの呪法」事件というのはなかなかセンスのいいネーミングかもしれない。

カオルは不得手な頭脳労働をしながら、糺しの森を抜けて参道を下っていった。



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