シーマン

文戸玲

ほな,行こか


「ほな,行こか」


 腑に落ちたような顔をしているおれに,シーマンはまたよく分からないことを言い始めた。大貴も「行こ行こ」と分かっているのか知らないが,同調している。


「どこに何をしに行くんだよ」
「やらんといけんことがあるじゃろ」
「何の義務も感じていないが,何かあるのか?」
「あの子に伝えんままでええんか?」
「は? 何をだよ。それに,こんな時間から会いに行くなんて非常識すぎるだろ」


 時計の針は,二時を指そうとしていた。こんな時間から,またあの時みたいにオートロックを解除して侵入したなら,今度こそ警察を呼ばれかねない。

 どうやって説得しようかと思案していると,水槽が震えるような声でシーマンが怒鳴り散らした。


「たまには与える側にならんか!!」


 あまりの音の大きさに,カウンターに突っ伏したマスターがモロー反射を起こした赤ちゃんのように震え,また寝息をつき始めた。


「あののぅ,清介は自分の伝えたいことだけ伝えて,欲しい結果だけ求めようとしとるじゃろ。それじゃあ,相手を幸せにすることはできんし,清介も幸せになれはせん。大事なんは,相手が何を求めとるんか,相手のことを理解しようとすることが大事なんよ」


 相手が何を求めているか,おれは美緒ちゃんを理解しようとしていただろうか。
 そんなことを考えながら,ポケットから赤丸を取り出してライターで火をつけた。肺の奥にしっかりとニコチンとタールを送り込み,細く息を吐く。突然,「おれのことも理解しようとしろよな」とたばこ嫌いの大貴にむしり取られて火を消された。


「ほな,行こか」


 さも当然のようにシーマンは繰り返す。


「ニコチンも入れたし,頭も冴えたんちゃう」


 大貴はグラスに残っていた焼酎を一息で飲み干し,音を立てて立ち上がった。


「待て待て,百歩譲っても,せめて明日の方がいいんじゃないか?」
「思い立ったが吉日って,よく言うやん。いつまでも悩んでるから清介はあかんねん」


 ちょっと待てよ,と制止するのも聞かず,大貴に引きずられるようにしてバー・スリラーを後にした。


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