シーマン

文戸玲

鏡の前で


「わしがダビデ像のことをわざと間違えた時のリアクションを確かめたかったんよ。ほんなら,案の定じゃろ? こりゃ,フィンガーボウルの話をして考えさせないけんいうて思ったんよ」


 それは嘘だろ! と心の中でツッコミを入れ,Tシャツを着ながらそもそもの話をした。


「分かった分かった。で,なんでおれは筋トレをさせられたんだ?」
「鏡,見てみい」


 シーマンに言われるがままに鏡の前に立ち,全身を眺めた。
 ほとんど運動とは無縁だったおれの身体は,肥満体質ではないのだが反対に線が細く頼りなさがある。それでも,筋トレを追い込んだ成果もあって,筋肉が張ってほんの少し盛り上がっていた。
 上腕と胸襟を撫でながら,このまま鍛えたら見た目にかなり変化が出そうだなと思った。


「まだ自分に酔うには早いじゃろ」
「別に酔ってねえよ」
「いや,酔っとる。顔もむくんできとる」
「それは昨日,バー・スリラーで飲みすぎたせいだ。って,それとは違うだろ」


 きりがない。いったいこいつは何が言いたいんだ。


「どっちにしろ,少しだけ自分が変わったのが分かるじゃろ?」
「まあ,体つきが変わったというか,変わりそうというか・・・・・・」
「そうじゃなくて,心持ちの話をしとる」
「心持ち?」
「心構えとか,気構えとかじゃ」


 もう一度鏡を見てみた。
 確かに,目の前にいる自分は今までの自分と違うような気がしてきた。それは,体の変化というものも影響しているのはもちろんのことだが,このままトレーニングを続けてもいいのではないか,という気持ちと,努力する自分に少し自信を持っていけそうな気までしてきた。


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