悪役令嬢と俺様執事の日常。
悪役令嬢と俺様執事
この時、ミルザブール令嬢は、ワルイコトをしていた。
シュクリム王家専属料理人である、マドレヌ家の屋敷、本宅。
貴族階級こそもっていないとはいえ、王家の胃袋を掴んだ男の権威は侯爵にも引けを取らない。
なにせ、毎日、宮殿に出入りをし、そこに住む王族12人の4度の食事を担っているのだ。食材のリクエストや体調の管理、食事中の雑談の相手にいたるまで、マドレヌが担当している。
その気になれば政治的な発言も可能だろう。
彼の権力にあやかりたい下級貴族、そして食材取扱業者によって、マドレヌ家はいつでも来客がある。
当主であるマドレヌは、その接待に忙しくしていた。
正確には、マドレヌの屋敷で、マドレヌ自身が来客に接待を受けていた。
彼らが持ち込んだ高級品を、少なからず横柄な所作で手に取り、ご満悦。
その様子を柱の陰から窺いつつ――リポ・マドレヌの長女、ミルザブール・デラ・マドレヌは、ワルイコトを企んでいた。
豪奢な橙色の髪をホッカムリの中に詰め込み、黒塗りの丸眼鏡に、目の下までを覆う巨大なマスク。
鮮やかなドレスの上から黒いマントを羽織り、その布のなかで、ワルイコトをする。
ほっそりとした右手に、紫色の液体が入った小瓶。同じ細さの左手に、リンゴの実。
「……しめしめ。誰も、わたしのたくらみに気が付いてないわ……」
呟く。
「シメシメという言葉をリアルに発するひとって実在するのですね。初めて見ました」
声は、彼女のすぐ耳元で聞こえた。
「わあっ!?」
驚いて、叫ぶ。絶叫が聞こえたホールの客たちが一斉に振り返った。その視線にびくりと肩を震わせた拍子に、手に持っていた紫の液体を落としてしまう。大理石の床に落ちたガラスの瓶は粉々に砕けちり、盛大にこぼれた液体が煙幕となって中空にあがった。
「ああ! しまった! 毒が!!」
大きな声で、さけぶ。
「毒?」「毒!?」「毒?」
来客たちがいっせいにざわつく。ミルザブールはまたぎょっとして、手に持ったリンゴを背中に隠した。
「ちがっ、ちがうの。毒なんか盛ろうとしてないわ。このリンゴは、みなさんのもてなしにとムーミィの作ったフルーツ盛り合わせから盗んだものではないのよ。べ、べつに、わたし、みなさんの、ムーミィの評判が下がってあの子と皇太子さまの婚約が破棄になればいいのにとかそんなこと、何にもぜんぜんちっとも考えてないんだから!」
娘の異形に気が付いたマドレヌが眉をしかめ、恰幅のいい肩を怒らせて歩み寄ってくる。街のレストランからのし上がった王宮料理人である偉丈夫は、普段は愛娘の前で温厚に垂らしている目をつりあげて、怒号をあげた。
「ミルっ……! おまえというやつは、また妹に嫌がらせを!」
「えっ? ち、ちがっ、わたしは、いや、オイラはケチな盗賊で、ミルザブール令嬢なんかでは」
「盗賊だったらお嬢様よりなお厳しく処されるのではないですか」
冷淡な声は、彼女の隣に佇む正装の青年の唇から、独り言のように降ってきた。
瑠璃色の瞳で彼をキッとにらみあげ、そのネクタイをひっつかみ、低いヒールを乱暴に鳴らして、ミルザブール令嬢は足早にその場を立ち去っていった。
長身の青年を、小柄なミルザブールが導くのは、両者ともに大変歩きにくいものだった。
ラウンジを抜けて屋敷の居住スペースに入ったあたりで、いい加減ネクタイを放そうとした、まさにその時、ミルザブールの尻を何か尖ったものが下からつきあげて、彼女は派手に前転した。
「きゃあ!」
悲鳴を上げて這いつくばる。振り返ると、青年がネクタイを片手で直しつつ、なにか、目をぱちくりとさせていた。
「大丈夫ですかお嬢様。ずいぶんと気持ちよくコケましたね」
「あなた! 今わたしのお尻、蹴ったでしょ!」
「蹴りましたが何か」
気軽に言われて口をぱくぱくさせる。
ミルザブールが言葉をくみ上げるより早く、青年はしれっとした様子で、
「不自然な姿勢で歩きすすむのは危険でございます。二人でいっしょくたに躓いたら、後ろの私の体重で、お嬢様をつぶしてしまいますからね。そうなると、今蹴っ飛ばされて前のめりに転がり石床でオデコを強打し面白いほどたんこぶを膨らませている以上に、大けがをされたかもしれません。肉を切らして骨を断つ、苦肉の策というやつです」
「な……なるほど、そ、そうね。ありがとうコバヤシ」
「まあ危ないので止まりましょうと私が一声かければ済んだ話ではありますが」
「やっぱりただの暴力じゃないのっ! この、くそ執事っ!!」
ミルザブールの絶叫に、マドレヌ家執事、タカユキ・コバヤシは、明後日の方向を向いて佇んでいた。
シュクリム王家専属料理人である、マドレヌ家の屋敷、本宅。
貴族階級こそもっていないとはいえ、王家の胃袋を掴んだ男の権威は侯爵にも引けを取らない。
なにせ、毎日、宮殿に出入りをし、そこに住む王族12人の4度の食事を担っているのだ。食材のリクエストや体調の管理、食事中の雑談の相手にいたるまで、マドレヌが担当している。
その気になれば政治的な発言も可能だろう。
彼の権力にあやかりたい下級貴族、そして食材取扱業者によって、マドレヌ家はいつでも来客がある。
当主であるマドレヌは、その接待に忙しくしていた。
正確には、マドレヌの屋敷で、マドレヌ自身が来客に接待を受けていた。
彼らが持ち込んだ高級品を、少なからず横柄な所作で手に取り、ご満悦。
その様子を柱の陰から窺いつつ――リポ・マドレヌの長女、ミルザブール・デラ・マドレヌは、ワルイコトを企んでいた。
豪奢な橙色の髪をホッカムリの中に詰め込み、黒塗りの丸眼鏡に、目の下までを覆う巨大なマスク。
鮮やかなドレスの上から黒いマントを羽織り、その布のなかで、ワルイコトをする。
ほっそりとした右手に、紫色の液体が入った小瓶。同じ細さの左手に、リンゴの実。
「……しめしめ。誰も、わたしのたくらみに気が付いてないわ……」
呟く。
「シメシメという言葉をリアルに発するひとって実在するのですね。初めて見ました」
声は、彼女のすぐ耳元で聞こえた。
「わあっ!?」
驚いて、叫ぶ。絶叫が聞こえたホールの客たちが一斉に振り返った。その視線にびくりと肩を震わせた拍子に、手に持っていた紫の液体を落としてしまう。大理石の床に落ちたガラスの瓶は粉々に砕けちり、盛大にこぼれた液体が煙幕となって中空にあがった。
「ああ! しまった! 毒が!!」
大きな声で、さけぶ。
「毒?」「毒!?」「毒?」
来客たちがいっせいにざわつく。ミルザブールはまたぎょっとして、手に持ったリンゴを背中に隠した。
「ちがっ、ちがうの。毒なんか盛ろうとしてないわ。このリンゴは、みなさんのもてなしにとムーミィの作ったフルーツ盛り合わせから盗んだものではないのよ。べ、べつに、わたし、みなさんの、ムーミィの評判が下がってあの子と皇太子さまの婚約が破棄になればいいのにとかそんなこと、何にもぜんぜんちっとも考えてないんだから!」
娘の異形に気が付いたマドレヌが眉をしかめ、恰幅のいい肩を怒らせて歩み寄ってくる。街のレストランからのし上がった王宮料理人である偉丈夫は、普段は愛娘の前で温厚に垂らしている目をつりあげて、怒号をあげた。
「ミルっ……! おまえというやつは、また妹に嫌がらせを!」
「えっ? ち、ちがっ、わたしは、いや、オイラはケチな盗賊で、ミルザブール令嬢なんかでは」
「盗賊だったらお嬢様よりなお厳しく処されるのではないですか」
冷淡な声は、彼女の隣に佇む正装の青年の唇から、独り言のように降ってきた。
瑠璃色の瞳で彼をキッとにらみあげ、そのネクタイをひっつかみ、低いヒールを乱暴に鳴らして、ミルザブール令嬢は足早にその場を立ち去っていった。
長身の青年を、小柄なミルザブールが導くのは、両者ともに大変歩きにくいものだった。
ラウンジを抜けて屋敷の居住スペースに入ったあたりで、いい加減ネクタイを放そうとした、まさにその時、ミルザブールの尻を何か尖ったものが下からつきあげて、彼女は派手に前転した。
「きゃあ!」
悲鳴を上げて這いつくばる。振り返ると、青年がネクタイを片手で直しつつ、なにか、目をぱちくりとさせていた。
「大丈夫ですかお嬢様。ずいぶんと気持ちよくコケましたね」
「あなた! 今わたしのお尻、蹴ったでしょ!」
「蹴りましたが何か」
気軽に言われて口をぱくぱくさせる。
ミルザブールが言葉をくみ上げるより早く、青年はしれっとした様子で、
「不自然な姿勢で歩きすすむのは危険でございます。二人でいっしょくたに躓いたら、後ろの私の体重で、お嬢様をつぶしてしまいますからね。そうなると、今蹴っ飛ばされて前のめりに転がり石床でオデコを強打し面白いほどたんこぶを膨らませている以上に、大けがをされたかもしれません。肉を切らして骨を断つ、苦肉の策というやつです」
「な……なるほど、そ、そうね。ありがとうコバヤシ」
「まあ危ないので止まりましょうと私が一声かければ済んだ話ではありますが」
「やっぱりただの暴力じゃないのっ! この、くそ執事っ!!」
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