【完結】好きな人にされたら嬉しい50のコト

小海音かなた

Chapter.76

「ねー。嫌がってるから、やめてくんない?」
 突然、聞き覚えのある、耳なじみのいい声が聞こえた。黒い雲の隙間から、光が差したみたいに。
「あ? なんだお前」
「そいつのツレ。少し目ぇはなしたら、勝手に迷子になってさ」
 怖くて閉じていたまぶたを開けたら、視界に鮮やかなピンクが入ってきた。
「……!」
 驚きのあまりに声が出ない。
 なっ、どうして……!
「ツレだって。信じられねーんだけど」
「横取りしようったってそうはいかないよ?」
「横取りとかじゃなくて、もともとオレのなの。どーしたらわかってもらえっかなー」
 普段聞くよりも少し乱暴な口調。それすら懐かしいと思えてしまうほど、私はこの声を渇望していた。
「まぁ俺らも悪者じゃねーからさ。おじょーさんに決めてもらったらいーんじゃね?」
「あー、まぁ、ただの暇つぶしだったし、それでいいけど」
 男性の言い方に少しカチンときたような表情になるけど、すぐに猫の笑顔になった。
「そういうことなら……行こ」
 差し出された、細くてゴツゴツした手。
 少しためらうけど……ここでこの手を取らなかったら、って思ったら、自然と手が出ていた。
「……だってさ」
「あー、そう」
「まぁいーよ。俺らも無駄金使わなくて済んだし」
「これに懲りたら、紛らわしいことしないでね、おじょーちゃん」
 男性二人は私たちに手を振って、その場を離れた。
 紛らわしいこと……をしたつもりはないけど、窮地を脱したみたいでホッと息を吐いた。見ると目の前の人も私と同じような表情で、男性の後ろ姿を眺めている。
 私は差し出した手を握られたまま、離してくれないのかなってその手の主を見る。
「……離さないよ、もう」
 視線に気づいて苦笑して、でも心底安心した顔で、私の手を握り直した。
「……どうして……」
「もう逃げられちゃうのイヤだから」
「そ、そうではなくて……」
「え? あー、どうしてここにいるのかってことか」
 猫の顔で笑う、いつもの、由上さんだ……。
「昨日、あんなことがあったし、学校行きづらいんじゃないかな、って」
 図星をつかれて、今度は私が苦笑する。
「で、もし学校で会えたとしても、避けられるかなって。だから、そのー……」由上さんは言い出しづらそうに口ごもって、でも言葉を続けた。「待ち伏せ、してた」
「えっ」
「駅のホームでさ、天椙さんが降りるほうに行って、来るの待ってた」
 うそ……。
「き、気づかなかった……です」
「あー、うん。天椙さんが降りたドアより、階段に近いほうにいたから」
 ヒュウ、と海風が私たちに吹く。
「っと、寒いね。ジャケットは?」
「制服、目立つので……」
 とバッグをさすったらすぐにわかってもらえた。
「あー、そうね。確かにホームで見つけやすかったわ」
 由上さんはふと笑って、自分のジャケットを脱ごうとして、繋がれた手が邪魔をして脱げないことに気づく。
「手、離しても逃げないでね?」
 冗談めかして言った由上さんに、
「……はい」
 私も少し笑ってうなずいて、その場にとどまった。
 由上さんは自分が着ていたジャケットを脱いで、私に渡す。
「これ、着てて」
「寒くないですか?」
「大丈夫。これ、案外あったかいから」
 由上さんはトレーナー生地のパーカーをつまんだ。
「でしたら、お借りします……」
「うん。とりあえず、落ち着けるとこ探そうか」
 そう言って、借りたジャケットを着た私の手を、また取った。
「……もう、逃げません……」
「……これはそういう意図じゃないよ」
 少し困ったように笑って、由上さんは前を見た。
「さっきの二人が行ったほうじゃないほうに行こう。会っちゃったら気まずいし」
「はい……」
 少し冷えた手に、由上さんの熱が伝わる。
 なにも言わずに、ただ二人で海を眺めながら歩く。しおの香りが混ざる風が心地よくて、さっきまで重かった心がウソみたいに軽い。
 ……好きな、人と、一緒にいられるのって、一緒にいるだけで、こんなに幸せなんだ……。
 つないだ手の熱は、由上さんにも伝わっているだろうか。そうだとしたら、この気持ちも伝わっていればいいのに。
 そう思って少し見上げた視線の先に、由上さんの横顔が見えた。感情が読み取れなくて、少し不安になる。けど……ここにいてくれるのなら、聞いてみてもいいんじゃないかな、って思える。私にしてはすごい進歩だ。
「……由上さんは、怒ってないんですか……」
 少し口を開いて、少し考えて、言葉にしてみた。
 私が悪いのに、責めるような口調になってしまう。だって、こんな私みたいなの、放っておけばいいのに、って思うから。
「怒っては、ないよ。ただ……」由上さんは前を向いて歩きながら、少し考える。「寂しい? 悲しい? かった。拒否されちゃった、って」
 それは、私も一緒だ。拒否されたわけじゃないけど、離れなくちゃって思ったときからずっと、寂しくて、悲しかった。
 一緒、だったんだ……。
「だからさっきも、困ってるのわかってたのに、ちょっと、ちゅうちょした。ここで出てって、決定的に嫌われたら、って」
「そっ、そんなこと……!」
 嫌いだったら、こんなに悩んだりしてない。でもそれは、由上さんには伝えていなくて……わからないのは、当たり前だ。
「……聞いたんだ、昨日」
「……?」
「恵井と、椎に。天椙さんにあんなこと、した理由」
 そっか……聞いちゃったんだ……。
「なんて、言ってましたか……」
「オレが天椙さんと、特別仲良くしてるから、みたいな、そんな内容だった」
 すごいな、言えたんだ、本当の理由。
「ご迷惑を、おかけして……」
「それはオレのセリフでしょ」困った笑顔でこちらを向いて、由上さんが足を止めた。「ごめん。オレのせいで、天椙さんに嫌な思いさせて」
 頭を下げられて、慌ててかぶりを振る。
「そんな……! 私が由上さんに甘えてばかりだったので、もっとちゃんとしていれば……!」
「それは、オレが、天椙さんに甘えてほしかったから。あと、甘えてたのはオレもだよ」
「そ、そんなこと……!」
「天椙さんがなんでも受け入れてくれるから、それに甘えてた。本当は困ってたって気づかなくて」
「それは、違います! 由上さんに困らされたことなんて、ないです、いちども」
「……本当?」
「本当! です」
 こちらを見る視線。少しうかがうようなそれを、まっすぐ受け止める。恥ずかしくて照れくさいけど、ここで逸らすわけにはいかない。
「……うん」
 由上さんんも私の視線を受けて、ふっと笑って少しうつむいた。なんだか照れているように見える。
 遠くから吹く海風が由上さんと私の髪をなびかせる。空から鳥の鳴き声が降ってくる。呼吸をすると潮の香りを感じる。
 目の前に由上さんがいることが、繋いでいる手から伝わる熱が、なんだか夢みたいで、でも本当に由上さんが目の前にいて、同じ時間を過ごしている。
 ほんの数分前までとても遠く感じていた存在が、いまはすぐそこにいる。その人の手をもう、放してはいけないんだって、心の底から思った。

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