【完結】好きな人にされたら嬉しい50のコト

小海音かなた

Chapter.64

「きゃー! ごめぇん!」
 教室に声が響いた。その場にいた人の視線がこちらに集まる。
「だ、大丈夫、です」
 驚きつつ答える私のジャージと袖から露出していた腕には、べったりとペンキが塗られている。
「ごめんね! わざとじゃないの!」
 そう言いつつ私の腕を拭く椎さんが手に持っているのは、汚れたタオルだ。チカラも強くて、ちょっと痛い……。
「あっ、やだっ、余計に広がっちゃった」
「だ、だいじょぶ……ちょっと、洗ってきます」
「ごめんねぇ~」
 口から出るのは謝罪の言葉だけど、お世辞にも申しわけないと思っているような表情には見えない。いやいや、それは思い過ごしだって考え直しても、さっきまでの間にされた出来事がグルグル頭の中を回って、私の視界も回す。
 なんで? いつから? 私なんかした?
 景色と言葉が一緒に回って、まっすぐ立っていられなくなった。廊下の片隅で壁にもたれ、揺れがおさまるのを待つ。
 どんどん乾いていくペンキが、腕の皮膚と表情を引きつらせていく。
 キモチワルイ。
 浅くなった呼吸を意識的に深く繰り返して、そっと壁から離れた。

* * *

 夏休みが終わる直前、家族旅行で買ったお土産を由上さんに渡すために図書室へ行った。いつもの席に行ったら、いつもの場所で由上さんが本を読んでいた。以前おすすめした本の続編だとすぐにわかる。
 なんだか嬉しくて、頬が緩んだ。
 由上さんはすぐに私に気づいてくれて、猫の笑顔で小さく手を振ってくれる。私も同じように笑みを浮かべ、小さく手を振り返した。
 声としての会話はないけど、ノートの片隅に綴られる言葉が、二人の意思を疎通させる。
 向かい合ってしばらく読書を堪能して、お昼を少し過ぎたころに“秘密の場所”へ移動した。
「これ、良ければもらってください」
 小さな箱を渡したら、
「えっ、いいの? ありがとう!」
 由上さんは快く受け取ってくれた。
 旅行先でさんざん悩んで、結局銘菓に落ち着いた。試食して美味しかったし、ご家族で分けてもらってもいいなって。
「なんかうまそう。開けていい?」
「は、はい。もちろん」
 由上さんはその場で食べて、感想を教えてくれた。もちろん、“深夜の通販番組”的な感想の交換に発展して、二人で笑いあう。お口に合ったようで、心底安心した。
 猫ちゃんたちは今日も元気にひなたぼっこをしている。由上さんによると人がいてもいなくてもここでくつろいでいるらしい。
「雨の日はさすがにあんまり、オレもこないけど、猫たちもいないみたい」
「どこか雨宿りできる場所、あるんでしょうか」
「首輪ありの猫たちは家があると思うし、野良でもどっかには隠れ家があるんじゃないかな。夜に道端で寝てる猫とか見ないし」
「あ、そっか。そうですね」
 会話が途切れて、ひなたぼっこをする猫ちゃんたちを眺めていたら、由上さんが少し遠慮がちに口を開いた。
「あの、さ」
「はい」
「学校が始まっても、この場所でたまに会わない?」
「えっ……」
「あ、いや。変な意味じゃなくてね? 教室だと、こんなにゆっくり二人でいられないし……教室から距離あるから、昼休みくらいしかタイミングなさそうだけど」
「ぜ、ぜひ! お邪魔でなければ!」
 私の語気に反応した猫ちゃんたちが、顔をあげてこちらを伺っている。
「あっ、ごめん、なんでもないよ」
 猫ちゃんたちに向かって両手を振ったら、理解してくれたのか、また元のように寝る体勢になってくれた。逃げちゃわなくて良かったって安堵していたら、隣で由上さんがふっと笑う。
 ちょっと恥ずかしくて、でもなんだか嬉しくて、同じように笑みを浮かべた。

* * *

 手洗い場でペンキを落としながら夏休みのことを思い返していたら、それがとても遠い過去のことのように思えてきた。
 少し前まであんなに楽しかったのに、なんで……。

* * *

 新学期になってしばらくして、文化祭の準備が始まった。また相良先生特製のくじ引きになるかなと思っていたけど、今回は希望を提出することになった。規定の人数以上に集まるようなら、くじ引きにする、とのことで、氏名と第三希望まで書いた用紙が集められた。
 模擬店は、いくつか出たみんなの提案にクラス全員で投票して、“耳喫茶”をやることになった。
 いろんな動物の“耳”を装着した“メイド”や“執事”が接客する喫茶店だ。
 当日までの準備では各自の役割をこなし、文化祭当日には“フロア担当”と“キッチン担当”に分かれて運営する。
 由上さんとか初音ちゃん、美好さんみたいに美男美女だったり、人当たりが良かったりする人気者はみんなから推薦されてフロア担当になった。
 自薦も他薦もない人たちはくじ引きで担当が決められたのだけど、幸か不幸か私もフロア担当になってしまった。
 初音ちゃんも由上さんも一緒だねって喜んでくれたけど、私は内心複雑だ。耳の付いたカチューシャに、メイド“風”の小物類を装着する……制服をベースにするとはいえ、これは世にいう“コスプレ”というものなのでは……?
 私のような地味な見た目の人がそんなことしていいものだろうか。とはいえ、決まってしまったものは仕方がない。応援団長だってできたんだから、メイド“風”コスプレだってなんとなかる、はず。
 衣装に割ける予算が限られているから、100円ショップだったり手芸屋さんで調達したりしてそろえるらしい。買い出し担当になった由上さん、初音ちゃんと、クラスメイトの何人かが近くのお店に行くために学校を出た。
 残った人は教室内で装飾品を作成する。体育の授業以外でジャージ姿なの、ちょっと新鮮。
 私もその中の一人になって、教室内に飾るための小物を作ったりしている。そんな中、ペンキの付いた刷毛はけが私の身体をかすめたのだ。

 夏休みが明けて……本当にたまに、“秘密の場所”でお昼ご飯を一緒に食べて……そのころから、身の回りの物――小さな文房具だったり、予備用に持ってきていた髪ゴムだったり――が消えるようになった。
 それらは大概、教室内のロッカーの片隅だったり窓枠の上だったり、なんでそんなところに? って場所で見つかった。自分でそんなところに置き忘れるはずもないから、きっと誰かが、故意に移動させてるんだろうって予測がついた。でもそれはただの想像で、それに自分で失くしたとしてもおかしくないような小さなものばかりだったから、誰かに相談するような大げさなこともしたくなくて、ただ少し、不気味な感覚がつきまとうようになった。
 それでもそんなの気にしないようにして過ごす。私がうっかり落とした物を誰かが拾って置いてくれたのかもしれないし、とか、ただの勘違いかもしれないし……って。
 ほどなくして文化祭の準備期間に入る。
 由上さんと同じ担当にはなれなくて、授業以外で由上さんと一緒にいられる時間は減ってしまったけれど、一年のころより積極的に学園祭に関わることができて楽しかった。
 放課後、帰りが遅くなってしまうときには由上さんが家の近くまで送ってくださるようになった。遠回りさせてしまって申し訳ない反面、とても嬉しくて……。
 たまに起こる紛失事件とか、机の中に身に覚えのないゴミが入ってたりとか、さっきのペンキ塗られるみたいなこともやり過ごすことができる。だから、大丈夫。
 自分に言い聞かせながら流水にさらした腕をこすっていたら、
「ミイナちゃん」
 急に肩を叩かれた。
 ビクリと身体をすくめて声のほうを見たら、初音ちゃんが申し訳なさそうな顔で立っていた。
「ごめん、ビックリさせちゃった?」
「あ、ううん、大丈夫……」
「じゃ俺ら、先行ってるわ」
 冨谷くんに促されて、由上さん以外の買い出し部隊は由上さんから荷物を受け取って教室へ向かう。
 見送った由上さんが私に向いた。「汚れちゃった?」
「え? あ、はい。汚……れました」
 出しっぱなしにしていた水を止めるのに蛇口をひねる。
「え。大丈夫?」
 眉をひそめた由上さんは、私の左腕をつかんだ。水で冷えた腕は、由上さんの手の熱を捉える。形がわかるくらいの温度差に、初めて自分の身体が冷えていることに気づいた。
「冷たっ。めっちゃ赤いし。どうしたの」
「あ、えっと……ペンキ、落ちなくて……」
「わ、ジャージもじゃん。自分で……じゃないでしょ」
「ちょっと、ぶつかってしまって」
「ホントに?」
「ほ、ほんとに」
 見透かされたようで内心ビクリと反応するけど、わざとされた確信がないから、言えない。
 こちらを見つめる、いつもより険しい顔。その中に少し“心配”が混ざっている。
 つかまれたままの腕に、由上さんの体温と力がこもる。
 ほんとになんでもないんです……それに、こんなところ誰かに見られたら、また……
「蒼和くん?」
「美好……」
 声をかけられて、由上さんが私の腕を放した。
「みんな待ってるよ?」
 美好さんの言葉は私を通り越して、由上さんに投げかけられる。
「あぁ……いま行くわ」
 美好さんの声をキャッチしいた由上さんは私が動くのを待っているようだけど、一緒に教室に戻る気分になれなくて、
「私、もう少し、洗いたいので……」
 どうぞ、と手で促したら、由上さんは納得いかなさそうな顔を一瞬見せて、でもすぐ柔らかい笑顔になって、
「あんまり無理しないで」
 小さく言って、美好さんと一緒に教室へ戻った。
 二人の背中を見送る私の心の中に、塗られたペンキのような暗い色のなにかが、こびりついた気がした。

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