【完結】好きな人にされたら嬉しい50のコト

小海音かなた

Chapter.8

 すべての授業が終わっても雨は止んでなくて、傘を持たない私は校舎内を移動して図書室へ向かった。
 渡り廊下を通って校舎から独立した図書室へ向かう。ちょっとした図書館ほどの広さがあって、学校案内のパンフレットで見たとき一目ぼれした施設。入学したら通い詰めるんだって決めてたから、時間が許す限り入り浸ることにしてる。
 カウンターに図書委員の生徒と顧問の先生がいるだけで、利用者は私だけ。もったいないけど貸し切り気分でエンジョイすることにした。
 利用可能時間ギリギリまで本を読みふけっている間に雨がやまないかな、なんてよこしまな気持ちもある。お昼までは恵みの雨だと思ってたのに、ゲンキンな話だ。

 壁面にズラリと並ぶ本棚と、理路整然と詰められた本にときめく。
 図書委員も興味あるけど、利用客として楽しみたいから立候補はしなかった。

 大きくはない窓から雨粒の当たる音がかすかに聞こえる。その雨のおかげでお昼の時間が楽しかったしいいんだけど、傘持ってきてないんだよね、と微笑みながら本を物色した。

* * *

 地球規模で流行った大長編小説の分厚い本を読んでいたら、最終下校時間が近付いてきて、図書室の利用可能時間も終わってしまった。
 人影まばらな玄関で靴を履き替え外を見ると、雨はまだ降っている。
 駅まで走るには少し遠いし、雨足も弱くはない。
(どうしよ……購買まで行って傘買う? でもまぁまぁするんだよなー)
 本を買うために節約しているお小遣いから出すには、もったいない。だって傘一本で文庫本一冊、古本だったら数冊買えちゃう。
(うーん、もうちょっと待ってたらやむかなぁ)
 スマホを出して周辺の天気予報を見てみる。今日は午後からずっと雨の予報が出ていて、いまの時間以降、降水確率は90パーセントた。
(天気予報見れば良かったなー)
 持ち歩いていた折りたたみ傘は、使ったあと干してそのまま忘れてきてしまった。
 玄関先をうろうろしながら考え込んでいると、
「あれ? お昼ぶりだね」
 背後から声が聞こえた。一度聴いたら忘れないその声に心当たりがある。
「よ、由上さん……」
 驚きすぎて心臓が口から飛び出そうになった。
「どーしたの、こんな遅くに」
「図書室にいたら、遅くなってしまって……由上さんは……」
「日誌届けるついでに、職員室で先生と話してたら遅くなった」
「日直、ですか……」
「そうなんだよー」言いながら、由上さんは校舎の外を眺めた。「うわ、けっこう降ってんね」
「そうなんです」
「傘は?」
「持ってなくて……」
「そっか。購買のも割とするしねぇ……」言いながら、由上さんは背負っているリュックをおろして中に手を入れた。「じゃーん」
 出した手には、折り畳み傘が持たれている。
「途中までになっちゃうだろうけど、一緒に帰ろう」
「え、で、でも」
「遠慮しないでいいよ」
「……はい」
 そう言われても、やはり人目が気になってしまって辺りをきょろきょろ見まわした。下校のピークは過ぎているから生徒の姿はない。けど、どこで誰が見ているかわからない。
 由上さんは私の心配を察したようで「じゃあ……」由上さんが言って私に傘を渡すと、フードをかぶった。
「え、ま」
 そのまま走って帰ってしまうのかと、思わず袖をつかむ。
 由上さんは驚いて、意外そうな顔でこちらを向く。すぐになにかに気付いたようで、ふと笑った。「走って帰ると思った?」
「だ、だって……」
「オレが目立つのはこの色のせいだから」由上さんがフードから少し出たピンクの前髪を指先でつまむ。「だから、これならいいでしょ?」いたずらっ子のようにニヤリと笑った。
 その笑顔に見とれてしまって言葉が出ない私を見て、
「じゃあ決まりね」
 言いながら傘を引き取って開いた。
「一緒に帰ろ」
 傘の片側、一人分の空間を開けて由上さんが振り向く。
 私は逡巡して、でも……照れながら、うなずいた。


 駅までの道には傘をさした生徒がチラホラ。
 目深まぶかに被ったフードのおかげか、由上さんに気付く人はいない。
 傘の中は思っていたより狭くて、濡れないようにすると肩が触れ合う。服越しじゃ熱はわからないけど、なんとなく、オーラのような、気配のような、由上さんの存在を感じる。
「桜、あっという間だったね」
 まっすぐ前を向いて、由上さんがぽつりと言う。話しかけている相手はもちろん私だ。
 ということに一瞬おいて気付いて、あわてて返答する。
「あっ、そっ、そうですね」
「一瞬だもんなー。毎年のことだけど、少し寂しいよね」
「はい。ここのは特にキレイに感じました」
「あ、わかる。入学式のときとか、ちょっと感動した」
 由上さんは私の歩調に合わせてくれているのか、ゆっくり歩を進めている。少しでも長く隣にいたいけど、鼓動が早くて落ち着かない。
「春以外に花咲くもの、植えてないのかな」
「どうなんでしょう……この時期はアジサイとか植えたら、キレイでしょうね」
「あ、いいね。季節ごとに植え替えとかオシャレ」
 他愛のない会話すら、私には奇跡に思える。雨のにおいと一緒に、どこかから花の香りがした。咲いている花は見えないのに……小さく左右をうかがって、すぐ隣から流れてきているのに気付いた。
 柔軟剤かヘアオイルか……なんにせよ、由上さんからいい香りがする。
「良く行くの?」
「っ、はい?」
「図書室」
「はい、好きなんです、本読むの」
「へぇ、いいね。オレも今度行こうかな」
「ぜひ。蔵書数も多いので、おすすめです」
「そうなんだ、あ」
「え?」
「着いちゃった」
 由上さんの言葉に顔をあげると、目の前に、駅が見えた。
「ほんとだ。着いちゃいましたね」
「どっち方面?」
「桜町です」
「あぁ、じゃあ逆方向か」
「そうですね」入学式のときに知った情報を元にうっかり言っちゃって内心慌てたけど、由上さんは気にしてないみたいだった。
「良ければ……家まで送るよ」
「いっ、いえっ、それは申し訳なさすぎますので!」
 それに、これ以上一緒にいたら心臓がもたない。
「じゃあ、傘持ってって」
「大丈夫です! 家族にお願いするか買うかするので!」
「そう……?」
 少し困ったような顔をする由上さんに、うんうんうなずいて見せる。
 遠慮もあるけど、それ以上に申し訳ない気持ちのほうが強い。
「おね……姉がちょうど、帰りの時間だと思うので」
「そうなんだ。じゃあ…気を付けて」
「はい、由上さんも。ありがとうございました」
「うん」
 じゃあね。由上さんは手を振って、ホームへ続く階段に向かった。
 遠慮がちだったけど、私もその手に手を振って応えることができた。すごい進歩!
 由上さんを見送ろうと背中を見ると、グレーのパーカーの右肩だけ色が変わっていることに気付く。すぐに雨に濡れたからだとわかるけど、追いかけて引き留める勇気もない私にはもうどうにもできない。
 せめてもの気持ちで(由上さんが風邪を引きませんように!)と天の神様に願った。
 私が濡れないように気遣ってくれたんだ。その気持ちが私なんかにも向けられるなんて、どれだけ心が広いんだろう。
 なにかお礼できないかな、って考えるけど、いい案が思いつかない。
 うーんと悩みつつホームへ行ったら、向かいの電車が出るところだった。由上さんを見つけることはできなかったけど、なんとなく電車に向かっておじぎしてしまった。
 はたから見たら怪しかったかな。辺りを見回すけど、私を気にする人はいなかった。
 電車内でおねーちゃんにメッセしたら、ちょうど同じ時間くらいに駅に着くようだった。おねーちゃんいわく、パパが会社帰りに車で迎えに来てくれるらしい。
 見ればパパのアカウントからメッセが届いていた。ちょうど由上さんと玄関で遭遇したくらいの時間で、そりゃ気付かないわと妙に納得した。
 駅からパパが運転する車に乗って、おねーちゃんと一緒に家に帰ったら夕ご飯が大好きな“ママお手製ハンバーグ”で、今日はなんだかとってもいい日だった。
 日記、何ページあれば足りるかな、なんていらぬ心配をしながら、ハンバーグと一緒に幸せを噛みしめた。

* * *

 あの日のことを思い出すと、胸のうずきと一緒に雨のにおいが蘇る。くせ毛気味な髪がまとまらなくなるから苦手だった雨の日が、好きになったのはこの日のことがキッカケ。
 由上さんは、私に新しい気持ちや考えを与えてくれる、そんな人だ。
 ふわりと漂う花の香りを思い返しながらペンを動かした。

 ■相合傘してくれる

 黒い四角がまたひとつ、増える。
 日記を読み返して追体験していると、胸の奥とかおなかの奥からなんというか……パワーが湧いてくる気がする。少しムズムズして、動いて発散しないと大きな声が出てしまいそうな……不思議な感覚。

 この出来事のあと一か月もしないうちに夏休みになってしまって、改めてお礼を言う機会もなく日々が過ぎていった。
 由上さんはなにも気にしていなさそうだけど、私の心のどこかに小さな心残りが積もっていく。
 早く春休みが終わって、新学期が始まってほしい。そしたらまた校内で、由上さんと遭遇できるかもしれない。
 そのときに少しずつ、いままで分けてもらえた勇気や元気や幸せ、感謝の気持ちを渡していきたい。

 新たな意欲にウズウズしながらページをめくっていくと、一年生で一番印象深い日の日記にさしかかった。

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