骸街SS

垂直二等分線

7話 陰影


 なぜ私は生きているのか。なぜ私は自ら苦しんでいるのか。
 そんな事はどうでも良い。なぜなら、私は私も塵の一欠片に過ぎない事を理解しているからだ。
 針の様に細い朝日が差し込む路地裏は今日も暖かい。他人ひとが居ない空間は暖かい。
 この空間に居るのは私だけ、即ち私の存在ははっきりと映る。悲しき体質も低能さも無力さもここ独りでは意味を為さない。それが暖かい。
 でも、私は嫌だ。こんな暖かみは詰まらな過ぎる。誰か、私をここから出して、私の心の叫び声は当然誰にも聞こえない。
 冷たくても良い、残酷でも良い。私は人と触れ合いたい。でも、この世はそれすら許してくれない。この世が憎い。いや、どちらかというと自分が憎い。こんな体質の自分が。
 人は自身に足りない物を欲すると言うが、私の場合、その「物」は明白だ。誰でも良い、いや、そんな事をしてくれる人間など「誰」と言える程数が多い筈が無いが、その誰かに告ぐ。分けてください私へと、あなたのひかりを。





骸街SS

 「……見つかったか?」
 「いや、全然。」
 あれから数時間後、俺と松江は携帯で互いの状況を確認しつつ「仕事」に励んでいた。
 流石に30km²なんて無理があったか?いや、決してそんな事は無い筈だ。金がかかった時の俺の底力はこんな物では無い。
 「……それにしても酷いな……。」
 俺は堪らずそう呟く。どこに行っても漂う悪臭には流石にもう慣れたが、トタン等で作られた簡素な小屋や半壊しているコンクリートのビル、どこを囲っているのか分からない途切れ途切れの壁、生ゴミが散乱し隅にはホームレスが座り込んでいる幅2m程度の道路。それらで構成されているこのスラム街は、臭いなど嗅がなくとも見るに耐えない光景を俺の網膜に焼き付けた。当然だが、俺の住んでいた下層街より全然酷い。
 目前の光景に絶句しつつも、俺は周りに目立たない程度の動きで辺りを見回していた。
 ……どうやら、この辺りの取引スポットは大体潰した様だ。逃げ道の無いトタンの小屋や人目につく日向では流石に取引しないだろう。数少ない建物の影でこっそりと行われる取引を見逃さぬ様に俺は気を引き締める。
 『………こ……ば…だ………そげ……』
 すると、俺が気を引き締めた次の瞬間、辺りを憚る声色の小さな囁き声が俺の鼓膜を震わせた。声が小さいせいか内容までは聞き取れなかったが、声のした方向は大体分かった。
 「…………」
 ……ほう?目標ターゲットの位置はここから12m程度の建物の影か。やけに荒い呼吸と健康的な体重を感じた足音、ネットの情報のそれと同一かどうかは知らないが、機密な何かが行われようとしているのは確かだ。
 すぐに俺はその何者かを追うために建物の裏に回り込む。しかし、気配を察知されたのか、急いだ様子の足音と共に人影は建物裏から走り去って行った。……やはり警戒されていたか、注意が必要だな。
 よくよく考えてみれば、俺の服装は、黒いジャケットやポケットの多いだぶだぶの長ズボンといった、このスラム街の住民としては不自然なものだ。このままではスラム街の風景に溶け込めない、どうするべきか。
 いや、いい方法があるじゃないか。俺は胸中でそう呟き、ズボンのポケットの中に手を入れる。





 「……ふぅ、これで良し、と。」
 俺は染みつく悪臭を我慢し、元々着ていたジャケットから「報酬」へと着替える。少し血が付いてしまったが、問題無いだろう。
 「……次は俺の服をどうするかが問題だな……。」
 俺はそう呟き、辺りを見回す。このスラム街に情報屋が居たという痕跡は最低限の量にしたい。松江の方がヘマをしないか心配だが、ああ見えてあれは逃げ足は速い。そこまで気負う事も無いだろう。
 さて、周りにはゴミ箱は無い。というか、あったとしても、このスラム街のゴミ箱に傷も無いジャケットが入っている事自体おかしいだろう。どうするか……。
 俺は路地裏でそんな事を考えている。すると、建物と建物の隙間を覗いていた俺の眼に突然、十数m先で辺りを見回す黒服の男の姿が見えた。
 馬鹿め、そんな目立ちやすい格好をしているからそうなるんだ。俺は路地裏を出、数少ない障害物であるビルを回っりつつトタン小屋の裏を走り抜け、目標の居るであろう場所に躍り出る。
 しかし、またもや気付かれたのか、そこには黒服の男どころかどんな服の人間も居なかった。
 「チッ……」
 俺は思わず舌打ちする。ここに人の気配は無い。余り遠くには逃げられていない筈だ、周囲の警戒を続行しよう。
 プルルルルルルルルッッッ!!!
 次の瞬間、俺のポケットが激しい震えと共にそんな音を発する。……頼むから警戒を続行させてくれ。
 俺はその場から退散し、携帯を取り出す。スラム街でも電波は繋がる様で何よりだ。
 「何だ。」
 俺が携帯を操作し、そう話しかけると、携帯の向こうからはこんな声が返って来た。
 「ああ、孤白?こっちに目標が居た。どうする?」
 松江かい!しかも知ってるし……あれ?こっちにも黒服はいた筈だが……。
 「何かの間違いじゃ無いか?黒服は今さっきまで今俺の居る辺に居たしな、お前と俺とじゃ20kmぐらい離れているじゃ無いか。」
 俺がそう返答すると、松江は少し間を置いてこう返してくる。
 「いや違う。このスラム街中に複数の黒服が散らばっている。僕が見ただけでも7人は居たよ。」
 松江は言い終わると通話を切った。
 ……何てこった、相手は思ったより巨大な組織が何からしい。一つのスラム街に10近くの組織が取引を集中させるなんてあり得ない、ダミーの取引で情報屋か何かを釣ろうという思惑が見える。
 これからは慎重に行動しなければ……。俺がそう感じ始めた時だった。
 「……ッ!?」
 俺の視界がある物・・・を捉えた。それは道端に座っている人間。松江ぐらいの小柄な体躯で、ボロボロで大きな上着のフードを被っているせいで顔の詳細は一目ではよく分からないが、髪の長さや体格からして少女らしい。
 スラム街に少女が居ても不思議でも何でも無いが、先程俺は周囲の状況にも気を回した筈だ。俺はなぜこの少女を認識できなかったのか?
 ……まあ、そんな事はどうでも良い。今の俺には優先すべき「仕事」がある、こんな事に気を取られている場合じゃ無い。
 頭ではそう分かっている。しかし、なぜか俺はその場から離れられなかった。俺には何か気掛かりな事があるのか?
 そんな事を考えつつ、俺は無造作に少女の目を見る。すると、全ての謎が判明した。
 この少女の目からは「ある感情」が強く読み取れる。俺も持っている、激しい感情が。俺はその"目"に仲間意識か何かを感じたのだろうか。
 俺はいつしかその少女を見つめていた。すると、少女の方も流石に見られている事に気付いたのか、俺の方へ顔を上げ、ぴくりと眉を動かす。
 「……そこの君、何で私を見ているの?」
 突如少女が口を開き、俺に向けてそう問う。よく分からない、この少女は人に見られる事がよっぽど少ないのか?
 「何でもない、無造作にそっちを見ただけだ。気分を害したなら悪かったな。」
 とりあえず俺はそう言って場を立ち去ろうとすると、突然後ろへ体が引っ張られる。見ると、少女が俺の着ているシャツの裾を指でつまみ、引いていた。
 「……おい、何をしている?こう見えても俺は忙しい、離した方が身の為だろうが。」
 俺がそう言っても少女はその手を離さない。
 そのまま走り去ってしまおうかと俺が考えた時、少女がまた口を開く。
 「……行かないで。」
 少女は小さな声でそう呟くと、その目で俺をじっと見つめた。猫の様に細い瞳孔は、俺の印象に強く残った。
 邪魔だな、殺してしまおうか?そう考えたが、これから更に服を汚してしまえば、俺は恐ろしく目立つ格好になってしまう。止めておこう。
 「……なぜ引き止める?」
 俺がそう問うと、少女は一瞬の沈黙の後にこう答える。
 「………このスラム街で、私の存在を初めて目に留めた・・・・・・・・のは、君だけだから……。」
 そう答えると少女は、その場で立ち上がり、被っていたフードを取る。
 顎下ぐらいまで伸びたぼさぼさの黒髪が露わになり、明るみの元に映し出された顔を見てみると、その少女は俺が思っていたよりかは整った顔立ちをしている事が分かる。
 しかし、俺は少女に対し、一種の"違和感"を感じていた。
 目の前で立つ少女を俺は目視している。しかし、俺は少女の存在を、どこか上の空なものだと無意識に感じているようだ。
 そうか、この少女には自分自身の存在やその行動全ての影が薄い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・という特性がある様だ。原因は分からないが、生まれ付きの癖か何かだろう。
 そうか。それでこの目・・・なのか。自分を全く相手にしてくれない世の中なんて、確かに恨みたくもなるよな。
 俺は思った。この少女を取り入れる事で、俺の「人生」に一歩近づくと。恨む対象が同じならば、良い様に使えると。
 だから俺は決断した。
 「……お前、名前は?」
 俺が聞くと、少女は小さく俯き、視線を逸らす。どうやら名前も持っていない様だ。
 「何でも良い、とりあえず自分に名前を付けろ。俺はお前を拾ってやる。」
 俺が言うと、少女は一瞬驚いた様な顔を見せたが、すぐに表情を変える。その表情は、先程のそれと比べて少し明るさを感じた。
 一瞬の沈黙の後、少女は嬉しいのか少し口角を上げ、その細い瞳孔で俺をじっと見つめながら、こう答える。
 「谷川……谷川独歌たにかわありあ。それが私の名前。」
 そう言うと少女は、少し笑った顔を見せた。
 「そうか。俺は隅川孤白、とある反政府組織の下っ端だ。」
 言い終わると、少女はその場から歩み始める。目標ターゲット目指して進み始める俺の後を追って。
 "独歌ありあ"……"独りで歌う"か。確かにぴったりな名前だ。





 「特定できたか?」
 半壊しているくせに殆ど光が入らないこのビルでは、小さな液晶画面から放たれる光が眩しい。俺人気ひとけの無い適当な建物内にて、携帯で松江と状況報告をしていた。
 「いや全然。」
 俺が画面越しにそう言うと、そんな声が返って来る。やはり進展は無いか……。そろそろ暗くなる頃だし、動き出しても良い様な気もするが。
 すると、俺の背後に付いて来ていた独歌が口を挟む。
 「……よく分からない取引ならしょっちゅう見るけど。毎回黒い服の男達が街中の至る所でアタッシュケースを交換してる感じかな。」
 「そうか。やはり街中で別々の取引を行っているのか。その意図はやはりダミーを用いた情報屋の撹乱の為か……。」
 俺は独歌からの情報を取り入れ、更に推理を深める。こいつが嘘をついている可能性も存在するが、この情報に関しては嘘であった所で信じても危険は無いだろう。
 俺が独歌へと更なる情報を求めようとすると、突然松江が画面越しにこんな事を言って来る。
 「………っていうか、その声、誰の?」
 俺と松江は数時間前は既に別行動だったから、松江は独歌の事を知らないのだろう。だが、今はそんな事はどうでも良い。
 「ただの新人・・・・・だよ、気にするな。今の問題はそこじゃ無い。」
 「気になるんだけど!?」
 松江が画面越しに騒ぐ。全く、スラム街でそんなに騒いで目立ったりしないか心配になる。
 んで、さっきの続きだ。独歌はこのスラム街中で取引が行われる光景を目にした事があるらしい。しかし、ダミーを使った撹乱にしてはわざわざスラム街という無法土地を選ぶ理由が無い。スラム街には国公警備こそ少ないが、それを良い事に情報屋が集まり易い場所でもあるからだ。ここから導き出される回答は……
 「ここに居いんじゃない?」
 俺が考えを巡らせていると突然、松江のそんな声が聞こえて来る。……何を言っているんだ?
 すると、松江も俺が話を理解出来ていない事が分かったのか、話を続ける。
 「だから、目標がここスラム街に居ないんじゃないかって事。この街にダミーを配置して情報屋を撹乱してる話が本当だったら、本物・・がここに居る必要なんて無い。むしろ、居ない方が良いんじゃ無い?」
 松江が言い終えたと同時に、俺は松江が何を言いたいのか、やっと気づいた。そうか、俺はなぜこんな簡単な事に気付かなかったのだろうか。確かに、ダミーのせいで情報が広まりやすくなり、本物の取引がダミーごと一網打尽にされてしまっては元も子も無い、ダミーを大量に配置した土地で本物の取引など行われないのが自然だ。
 「………それもそうだな、そうとくればさっさと尋問でもするか。」
 俺は適当に返事をすると、さっさと次の行動へ移る宣告をする。そこら辺のダミー君を捕まえて適当な場所で尋問すればある程度情報は聞き出せるだろう。ただしそれをやる時にはこっちの組織の情報が流れないように……ってか、松江にやらせたら不安しか無いな。釘を刺しておくか。
 「そういや言い忘れてたが、絶対に松江はやるなよ。組織に入って日も浅いし、尋問経験などゼロに等しいだろうしな。」
 「あんたもだが。」
 俺が釘を刺す為に言うと、松江は正論でそう返した。確かに俺だって"S"に入って数週間だし、尋問経験どころかまともな「仕事」すら初体験だ。
 しかし、俺は物心ついた時からずっとある程度のレベルの社会人を相手に「戦って」いた。他人に情報を吐かせる事に関しては、俺は少なくとも平均よりは得意だろう。よって、俺が適任だ。
 「松江、人には得意不得意や才能の違い等がある。それを踏まえて考えろ。俺がお前を信じ、尋問を任せると思うか?」
 俺がそう言うと、松江は黙り込む。すると、背後で俺と松江のやりとりを聞いていた独歌がこんな事を言い出す。
 「……反政府組織に加入してから数週間の人間が、なぜそこまで「慣れた」感じで物事を考えられる?普通だったらそんな……」
 独歌はそう言い欠けると口を閉じる。彼女の台詞を聞く限り、俺等は普通じゃ無いという事を言いたいらしい。しかし、よく考えてくれ。
 「俺等が「普通」だったならば、とっくの昔に死んでる。」
 俺はそう言い、近くのテーブルに携帯を置く。すると、独歌は返事をせずに小さく頷くと、また黙り込む。
 俺は気にせずに携帯の画面の先へ向けて指示を出す。
 「じゃあ、松江は一足先に本部へ帰っていてくれ。くれぐれも追跡されないように。」
 「了解。」
 俺はその返事を聞くと、通話を切る。そして、携帯をズボンのポケットにしまい、独歌と共に歩き出す。
 ジャケットは数分前に結局破いて道端に捨ててしまったが、肌寒くなる時間帯になっては少し未練が残る。
 「さて、行くか。」
 そう呟き、俺はビルの扉を開く。





 「……成果は得られなかったが時間が遅い。帰るぞ。」
 すっかり夜になってから、俺等はスラム街の入り口へと歩き出す。
 本部へは、防犯カメラによる特定防止の為に来た時とは別のルートで帰る。そのルートは来た時のそれよりかは電車を多く使える上に、下層街から中層街までは比較的まっすぐな道を通るので、恐らく2時間後には本部へと辿り着く事が出来るだろう。
 俺が歩きながら移動時間の計算をしていると、不意に独歌が話し掛ける。
 「……ねえ、孤白は反政府組織の下っ端のくせに、なんで自由に行動してるの?」
 「うちの首領の方針だ。下っ端の多くは、自身の金を裏社会の仕事で稼いでいる。今の俺のようにな。」
 俺が答えると、独歌は納得したように首を縦に振る。
 それから1時間近く経った頃、少し遠くに眩い明かりが見えた。そろそろ駅に到達できるようだ、駅に着いてからは短い。
 ひたすら歩き、明かりの1つも見えない下層街の住宅街を抜け、俺は下層街の駅へ辿り着く。
 急いで切符を買い、電車を待つ。すると、電車は思ったより早く現れた。危ない危ない、数分遅ければ乗り過ごしていた。
 数分間電車に揺られ、俺はやっと中層街の駅へと辿り着いた。予定より少し時間が掛かったな、急ぐぞ。
 下層街と違ってちらほら明かりが見える中層街を歩き、20分程度で本部のビルへと到達する。

 俺は急いで部屋に行こうと本部の玄関に向かうが、恐らく連れている独歌のせいで時間を食うだろう。それを覚悟し、俺は玄関へと走る。
 「ああ、君ね。さっさと入れ。」
 意外にも受付はすんなり俺を通した。どうやら独歌の存在に気付かなかったみたいだ。
 そもそも、独歌を現場に送って情報収集させるだけで情報屋としては儲かるんじゃ無いか?いや、そんなに甘い仕事じゃ無いか?……まあ、今はどっちでも良い。
 俺は階段で12階へと上がり、拓男の部屋へと向かう。……が、寝ているのか、ドアを叩いても返事は無い。
 「おーい、生きてるか?」
 俺が分かりやすく冗談まじりで部屋に呼びかけると、不意に背後に気配を感じる。
 「……そこかよ。」
 気配の正体は拓男だった。
 「おかえり、孤白。その少女は新たな部下か?自分の派閥を広げようと熱心だな。」
 拓男の方はちゃんと独歌の存在に気付いていたようだ。今思えば、受付は独歌に気付かなかったのでは無く、夜中に新人騒動を起こさぬ為の拓男の指示だったのかもしれない。
 「……まあ、今日は休め。情報収集の仕事で初めから求めていた情報が手に入る事は少ないに決まっている。少女の紹介は明日にするから、とりあえず寝ろ。」
 拓男はそう言って自室へと入って行った。どうやら、拓男は俺の表情から全て見通していたようだ。仕事の成り行きも、独歌がここに来た経緯も。流石、こんなビルを組織の為に建てるだけある。
 「……じゃあ、俺は寝るから独歌は………部屋が無いんだったな。」
 そう言えば独歌はまだ部屋を貰っていない。まだSの構成員でも無い独歌が空き部屋で勝手に寝る訳にも行かないが、かと言って外で寝させるのは気が引ける。
 「……孤白の部屋で寝れば良いんじゃ無い?」
 俺が考えていると、独歌がそう言う。確かにそうだ。独歌は今の所俺が連れて来た非関係者だから、俺の部屋に泊まるのが最も妥当な選択肢だろう。
 「そうだな。少なくとも今日は、だか。」
 そう言うと俺は独歌を連れて階段を降り、9階の自室へと向かう。
 「……そう言えば私ってどこで寝るの?部屋ってそんな広く無いでしょ。」
 階段を降りていると、突然独歌がそんな事を聞いて来る。全く、こいつも馬鹿だなぁ。
 「そんなの床で寝るに決まってるじゃ無いか。」
 俺が言うと、独歌は突然黙り込んだ。あれ?俺は何か変な事を言ったか?
 ああ、そうか。独歌は自分が床が寝る事になっていると解釈したのか。俺はその逆を伝えたかったのだが。
 「……床で寝るのは俺の方だったんだが。」
 俺が言うと、独歌は少しほっとした様な表情を見せる。しかし、不思議だ。独歌はスラム街でホームレス生活を送っていた筈だが、なのになぜ床で寝る事に抵抗を感じた様な表情を見せたのか。
 ……まあ、そんな事はどうでも良い。寝よう。
 やっと9階の廊下へ出た後に自身の部屋へと向かう。
 部屋に辿り着くと、俺はその扉を開ける。すると、部屋の電気がついているのが見えた。
 「……何をしている、松江?」
 俺の机に座り、メモ帳に鉛筆で何かを記している松江へそう聞くと、松江は少し驚いた様子で俺の方を振り向く。
 「なんだ、孤白か。少しPC使わせてもらったよ。近辺に新しい料理店が建ったらしくて、そのメニューをチェックしてただけだけど。」
 松江は俺の問いに対してそう答えた。レストランのメニューなんてメモして何になるのかは不思議だが、まず1番の問題なのは、松江が俺のPCのロックを解除しているという事だ。
 「……松江、PCのロックはどうやって解除した?」
 俺が言うと、松江は予想とは逆に不思議そうな顔をしてこう返す。
 「え?解除?PCは僕が帰った頃からずっとログインされたままだっけど。」
 言い終わると、松江は椅子から降りる。どうやら俺の勘違いの様だった。
 PCは普通、スリープモードになると同時にロックがかかる。しかし、俺のPCは、元々かかっていたロックを解除する為に拓男によって彼自作のウィルスがぶち込まれ、更に初期化された時にウィルスによって壊れた箇所を拓男がプログラムし直したというトンデモ代物だ。
 もしかしたら拓男がプログラム時に見落とした箇所があったのかもしれない、そうだとしたら今回の様な件もあり得る……筈だ。俺はPCを構成するプログラムについては明るく無いので分からないが。
 ……まあ良いか。これからはスリープモードにする前にログアウトすれば良い話だし。
 「他人のプライバシーを勝手に覗くのは立派な犯罪だぞ、松江。」
 俺は(一応)松江にそう注意する。情報屋である俺がプライバシーについて語っても説得力は無に等しいだろうが。
 すると、背後で黙っていた独歌が突然口を挟む。
 「……孤白の部屋って思ったより普通だね。反政府組織って聞いたから、もっと…ああ……何か、ああいう感じのやつかと思った。」
 「日本語がおかしいぞ独歌。」
 俺が突っ込むが、独歌は当然の流れの様に無視する。
 俺の部屋は世間一般で見ると結構片付いているらしい。散らかす物が無いから……。そういえば、独歌はスラム街でホームレス生活を送っていた筈だが、なぜ「"普通"の部屋」という物を知っていたのだろうか?
 それにしても、独歌は結構国語力が無いらしい。まあ、ずっと他人と会話していなければそうなるよな。
 そんなこんなで俺等は部屋で朝を迎えた。

【8話へ続く】

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