骸街SS

垂直二等分線

6話 仕事


 ある朝、俺は比較的早い時間に目を覚ました。それはなぜか?理由など無い筈だ。強いて言うならば、昨日夕食を摂っていないので空腹だからという事ぐらいか。
 今日も大きな予定は特に無い。この組織に入ってから1週間が経とうとするが、特段大きな仕事が無い。そのせいで俺の収入は少ないのだが。
 ばさりと布団を跳ね除けてベッドから起き上がる。朝日の代わりに俺の目へと差し込んだ照明の光が眩しい。
 今日は午後辺りにノートPCを使ってプログラミング技術を習得しようと思っている。俺は過去に自身でプログラムしたゲーム等を売って小金を稼いでいた経験がある。一から始めるよりは楽だろう。
 早く朝食を摂ろうと思い、俺は部屋から出ようと扉に手をかける。
 その瞬間、地響きの様な大きな振動が足元の床を伝って俺に伝わる。そして、数秒後に部屋の壁を挟んでこんな声が聞こえて来る。
 『毎朝うるせぇな!いい加減静かにしろ!』
 『だったら自分の鼓膜でも破ってろ!』
 それは聞き覚えのある2つの声だった。
 俺は隣の部屋で繰り広げられる騒動を背に向けて別階の売店へと向かう。
 それが俺の最近の日常ーー





骸街SS

 「お前は毎朝何をしているんだ馬鹿野郎。」
 「何って……そりゃあただの1人遊びに決まってるじゃ無いのさ。」
 朝食(ジャムパン1つとサラダにシーチキン混ぜたやつ)を食し終えた俺は、例の騒動について松江に取り調べ(?)をしている。
 ここは世間一般的な組織では無いのでどうでも良い事だが、世間一般では見えない相手との近接戦闘を1人遊びとは言わないのだろう。
 因みに、今朝松江と言い争っていたのは大岩英治という構成員で、なんと組織の幹部。Tシャツ作りが趣味らしいから、振動で手元が狂うのを嫌うのだろう。
 「……その"1人遊び"を止めろとは言わない。俺はただ、その件についての苦情の殆どが俺に寄せられるのを何とかしてほしいだけだ。」
 「そんな事を僕に言われても困るんだけどな。それは結局1人遊びをやめろと言う事じゃ無い?」
 俺の要求に対して松江が反論する。つくづく面倒な奴だ、売人向きの性格では無いな。
 「……そもそもここでの生活が暇過ぎるのが悪いんじゃないかな?金さえあれば色々買えるけど、そんなもん僕にある訳が無いし。」
 松江が不満を露わにし、そうぼやく。確かに、この組織での立ち位置では、松江は一応俺の部下という事になっている。俺が金を稼げない事には、この阿呆の手に「給料」と呼べる物が入る事は無いだろう。
 しかし、こいつ1人の意見なんて俺にはどうでも良い。俺は松江を見据えてこう言う。
 「……それでも"1人遊び"と言う行為が迷惑である事実は変わらない。俺なんかの部下になってしまった事を嘆いて………「部下」……?」
 しかし、話している途中にある事実に気付き、俺は口を止める。突然表情を変えた俺を見て、松江バカがきょとんとした顔をする。
 「……そうだ、お前は部下だ。俺の「仕事」に付き合ってもらっても良いよな。いや、お前にはそうする義務がある。」
 情報収集という「仕事」はできるだけ参加人数が多い方が好ましい。松江に情報収集の適性があるかどうかは置いといて、人手を増やせるのはありがたい。
 「……まあ良いけど、どこに行くの?」
 松江はそう質問する。馬鹿だなぁ、俺が目星を付けていない筈が無いだろう。
 「『東南東スラム街2区南東側らへんで場違いな金持ちの人間複数を見かけた』という情報を昨日ネットで見つけな。」
 都市伝説レベル未満の信憑性と確実性だが、確かめるに越した事は無いだろう、俺はそう続ける。
 しかし、この地区と遠く離れたスラム街での行動だ。俺1人では不足の事態に対処できない可能性もある。そこで人手を増やすのだ。
 「お前のおかげで助かるよ、というか初めて俺の役に立ってくれたな。」
 「……本当に、感謝するのが下手だな……。」
 俺が松江に感謝の意を表すが、松江は苦い顔をする。俺のどこが感謝下手なのか。恐らくこいつの目は曇に曇って曇り過ぎた結果、遂に雲を形成し始めたのだろう。
 「予定変更だ、今日の午後からは仕事を始める。分かったな?」
 「はいはい、了解しましたよ。」
 俺は松江の返事を聞くと机に座り、PCと向かい合う。





 「……って訳で、うちの松江を鍛えてほしいんだわ。」
 11時頃、俺は松江を仕事に参加させるにあたり、例の訓練部屋にて白兵戦の訓練を松江にも科すように拓男へと頼みに行った。
 「……別に構わないが。」
 俺が頼むと、拓男はなぜか少し表情を硬くしていた。そして、その視線が向く先は俺の背後……つまり松江の立っている場所だった。
 しかし、拓男はすぐに表情を切り替え、松江へ訓練内容を説明し始める。
 「いいか、よく聞け。この訓練ではあそこに見える鉄の棒を使う、俺とお前両方がな。」
 拓男はごつごつとした左手の指で、部屋の隅に無造作に転がされている長さ1m程度の鉄棒4本を指しながら、そう松江へ説明する。
 以前も感じたが、拓男は初心者が相手であろうと装備に容赦をしない。まして、小柄で実戦経験も無いであろう松江には、装備の適性も関わって圧倒的に不利だろう。
 鉄棒武器を取りに行く拓男と松江を見ながら俺がそんな事を考えていると、突然松江が口を開く。
 「……武器なんだけど、もっと短いのは無いですかね?流石に僕には不利に感じるんですけど。」
 鉄棒を手に取って試し振りをしながら松江はそう言った。どうやら松江も俺と同じ事を考えていた様だ。
 「駄目だ。自身が不利な状況でも戦える様にしておけ。」
 拓男には却下されたが。まあ、確かにそうだよな……。
 そう言えば、拓男には敬語使うんだな、松江の奴。流石に組織長だからか……。
 そんなこんなの内に拓男と松江は5m程度離れた位置で互いに鉄棒を構えていた。
 次の瞬間、拓男が床を蹴り、その身体を目標松江の方へと文字通り吹き飛ばす・・・・・
 拓男は訓練開始の合図をはっきりとさせない。それは、兵士の中に合図という"スイッチ"を作ってしまい、実戦時に合図が無ければ本領を発揮出来無い原因となってしまう事を防ぐ為だ。決して過度では無いが実戦に拘りを持つ拓男としては、それも当然のルールらしい。
 しかし、拓男が鉄棒で松江を肉薄しようとした瞬間、松江はその攻撃をすっと横に避け、両手で自身の武器鉄棒を振りかぶる。
 松江が鉄棒を振り下ろしたのとほぼ同時に拓男は自身の鉄棒を横に構え、松江の攻撃を防ぐ。
 松江は一瞬顔を歪めたが、すぐに表情を直し、今度は鉄棒を床へ投げ捨てる。
 そして、松江は左腕の拳を突き出す、拓男の顔面へと。
 「……舐めるなよ。」
 しかし、拓男は松江の拳を素手で受け止め、松江へそう言う。
 「ぐ……」
 松江が唸ると、拓男は恒例のアドバイスタイムに入ろうとする。
 「技術は良いが素の力が弱すぎる。もっと鍛えてぶべらっ」
 しかし、松江は拳を掴まれたまま拓男の顔面を蹴り上げていた。うん、戦闘能力は中々の様だ。
 俺は、顔を冷やしている拓男に一言挨拶をし、部屋へと帰った。





 「東南東スラム街2区の範囲は約500km²。その南東らへんだったら大体60km²程度だろう。30km²ずつ頑張ろうな。」
 松江が部屋に帰って来ると、俺は笑顔でそう言う。当然、松江はぽかんとした反応を返す。
 「さあ、支度しろ。5分後には出発だぞ。」
 固まっている松江へと追撃するかの様に俺がそう言うと、松江はやっと我に戻った様子で文句を言い始める。
 「……いや、30km²なんて無理……って訳でも無いけど重労働過ぎないか!?僕は行かないからね!」
 お前が行かなければ俺が60km²歩き回る羽目になるのだが。
 「いやお前さっき良いって言ったじゃんか。」
 「ぐ……」
 俺が反論すると、松江は少し悔しそうに唸ってから黙り込む。そして、とぼとぼとした足取りで部屋の扉へと向かう。
 恐らく自分の部屋で支度をしに帰るのだろう。なんだかんだで協力してくれるんじゃ無いか。
 「……さて、もう一回地図見直すか。」
 俺がそう呟き、机に置かれた地図に目を凝らそうとする。しかし、その直前に、俺は"ある事"を思い出した。
 ……そう言えば、俺は何でこんな事をしているのだろう?復讐するんじゃ無かったのか?
 焦り過ぎは良く無いと言うが、だからといって……まさか……俺は「復讐」そのものを忘れかけていたのか?
 今思い返すと、中学生の頃はいつも瞳の事を考えていた気がする。毎日玄関先で俺なんかを待つ1人の少女の事を。
 あの頃の俺は空気の様に瞳を"あって当たり前"であると無意識の内に考えていたのかもしれない。俺とは全く違う価値観と、裏表の無い笑顔が添えられている生活に、俺は慣れてしまったのかもしれない。
 しかし、それではなぜ、俺は今「瞳」という"当たり前"を失ったのにも関わらず、こんなにも違和感を感じていないのか?
 いや、果たして俺は、その違和感を感じる権利を持っているのだろうか?
 過去の存在とはいえ、瞳は俺の中で生き続ける。彼女の存在意義を維持する為に、俺にはしなければいけない事がある筈だ。
 もう一度問おう、俺は何でこんな事をしているのだろうか。
 答えは出ない。いや、出したくない。目を背けずにはいられないのだ、現実から。所詮俺は、自身の生存意義すら確立できない意志の弱い人間なのだ。
 しかし、俺にもプライドというモノは最低限持ち合わせている。俺はあの時瞳を見捨てた訳では無い。諦めた訳では無い。俺は、自身の感情に区切りをつけたかったのかもしれない。このままじゃ駄目だ、そうあの時に思ったのかもしれない。
 しかし、それはそれで俺は最低な人間だな。そんな事の為に瞳を殺したのか?いや、殺したのは俺じゃ無い。政府。軍。そして、憎きあの青年、川崎透だ。
 どうすれば俺は復讐を果たせる?どうしたら俺は瞳の死を無駄で無くできる?そんな事を建前として考えても、それはただただ瞳を見殺しにした言い訳を造り上げているだけに過ぎない。違うんだ、俺は瞳を見殺しにしたかった訳じゃ無い。そうせざるを得なかったんだ。
 ……なぜ?なぜそうせざるを得なかったのか?瞳が俺の生存意義だったのならば、俺には逃亡する理由など無かった筈だ。なぜ、俺は逃げた?なぜ、俺は死ななかった?なぜなぜなぜなぜ……
 もう嫌だ、考えたく無い、思考を停止したい。脳の声が煩い、そこは俺の頭だ、さっさと出て行け。
 机に広げてある地図についている両手を俺はいつしか無意識に強く握り、地図の一部分がぐしゃりと変形する。
 誰か助けてくれ、俺は一生この「感情」から逃げ続けなければいけないのか?いや、いっそここですぐに死ぬか?もうどちらでも良い。なぜなら俺は……
 「孤白、ボタン電池ある?ポケットライトの予備が欲しいんだけど。」
 その瞬間、突然何者かが部屋の扉を開け、俺へとそう語りかける。
 「……何だ、松江か。」
 そう呟き、俺は相手の望み通りボタン電池を机の引き出しから取り出し、松江へと投げ渡す。それを上手くキャッチすると、松江は部屋から出て行った。
 ああ……俺はまだ死ねない。俺が背負っている命は"2人"じゃ無い、"3人"だ。





3時間後

 「やっと着いたね、孤白。」
 「ああ、さっさと終わらせるぞ。」
 明らかな無理を言いつつ、俺は足元に生える草を眺めながら屈み込み、目前を阻むフェンスの破れた部分を潜る。さすが下層街とスラム街の境界、警備がガバガバだ。
 因みに俺等がここに到達するまでに街中の監視カメラでの特定を防ぐ為の別行動や、徒歩と電車の乗り継ぎを繰り返した遠回りを徹底した結果、スラム街に到着したのは夕方となってしまった。
 まあ、夜の方が取引が行われる可能性も高いだろうし、夕方で良かったかもな。
 「……それにしても、酷い臭いだな。こんな所まで漂ってくる。」
 堪らず俺がそう言う。すると、松江はなぜか一瞬不思議そうな顔をした後、すぐに表情を戻してこう返す。
 「そうだね、全く酷い臭いだ。」
 松江の表情にはどこか引っかかる所がある、とその時俺は感じた。……まあ、そんな事はどうでも良い。さっさと「仕事」を終わらせる事が今の俺の最優先目標だ。
 「さあ行こう、屍の街へ。」
 俺はそう呟き、半壊したコンクリートの地面へと足を踏み出す。
 こうして俺等は「仕事」の為に東南東スラム街2区へと侵入した。それがこの先、俺の人生を揺るがす要因の1つになるとは、今の俺にはやはり知る由も無い。

【7話へ続く】

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