野良猫は、溺愛する
Act 8: 野良猫なんかじゃない(7)
「里見君、ありさちゃんに頼まれてたんでしょ? 私を探ってって……私が、寺嶌さんとつき合っているかどうか」
人が呆然とした時って、こんな顔になるんだな。
そんなことを冷静に考えている自分は、どこかおかしくなっているのかもしれない。終いに、ちょっと笑いまで込み上げてきた。
里見君はテーブルの上のグラスを見つめて黙り込んでいる。もう、それが答えだろう。
「前も説明したけど、私は寺嶌さんとはつき合っていないし、それはあの撮影の時に寺嶌さんからも私からも、彼女にきちんと話した。その時はだいぶ激高されたけど、あとで謝罪されたの。その時、事の経緯を詳しく聞いたんだよね、彼女から」
なにかが、ボロボロと音を立てて崩れていく気配がする。
「彼女が持っていた里見君の画像も、里見君のマネージャーさん立ち合いの元で消してもらったし、もしもどこかに保存していたとしても、双方の事務所を巻き込んでいる以上、表に出ることはないと思う」
里見君は瞠目してこちらを見た。
「……なっちゃんは、画像のことも、知ってたの……?」
「直接見てはいないけど、どんなものだったかは知ってる」
なぜ目の前のこの人は、絶望に打ちひしがれたような顔をしているのだろう。
そろそろ、開き直ってもいい頃なのに。
むしろ、絶望しているのは私のほうなのに。
「だからね、もう画像をばら撒かれる心配もないし、ありさちゃんのために私を探らなくてい……」
「違う!!」
突然の大声に、体がびくりとする。
「ごめん、大声出して……でも、本当に違うんだ」
「なにが? 私のことを探っていたのは事実でしょ?」
声に棘が混じってしまっていると、口に出した瞬間に気づいた。
「なっちゃんを探っていたのは……池尻ありさのためじゃない」
「じゃあ、なんのため? 自分の身を守るため?」
どんどん、口調がきつくなっていく自分を止められない。
「もうなにも心配することはないんだから、適当な理由をつけて私から離れればいいし、今回のことだって、私にわざわざ言い訳なんかしに来なくてよかったのに……」
里見君と離れたくないのに、真逆なことを、それも自ら切り出してしまったことでもうだめだった。
気づけば私は、嗚咽に近い泣き声をリビングじゅうに撒き散らしていた。
「……ごめん、なっちゃん」
里見君は立ち上がり、傍まで来ると私を抱きしめた。
「もう……こんな、こと、しないで」
涙で言葉が詰まって、途切れ途切れになる。
里見君の胸を押して体を離そうとすると、逆に強く抱きしめられてしまった。
「なっちゃんがこんなに苦しんでいたなんて、知らなかった……」
私を宥めるように、里見君は優しく背中をさする。その優しさが、今の私にはつらい。
「……言い訳になるかもしれないけど、聞いて」
里見君は私を少し離して、今度は私の両手を握った。
「まずは画像の件だけど……モデル仲間数人で泊まりに行った時に、片方の部屋に集まったところを、俺と彼女だけ切り取られて撮られただけだから。彼女とはなんでもない」
「……そう、なんだ」
「でも、切り取られたものをばら撒かれると厄介だから、俺は、池尻ありさの頼みを聞いた」
わかっていたことでも、里見君本人の口から聞くとダメージが大きい。
「……でもそれは、表向きの話」
「……え」
「乗っかったんだ、彼女の話に」
私は、俯いていた顔を少し上げた。
「俺自身が、気になってたから。なっちゃんと、寺嶌さんの関係が」
里見君はテーブルの下に置いていたティッシュを数枚取って、私に渡した。
きっと今、私は相当酷い顔をしているのだろう。
「……あの飲み会の夜、俺が具合悪そうにして『家に寄りたい』って言ったら、なっちゃんは優しいから絶対家に上げてくれると思ってた。だから、なっちゃんが俺を送っていってくれるように、金岡さんにそれとなく促したんだ」
里見君はその時を思い出しているのか、口元を歪めた。
「洗面所を借りた時、男の物がないか探したよ。でも、それらしき物は見当たらなかった。寺嶌さんとはなんでもないのかなと思った時……なっちゃんさ、俺に男物っぽい柄のタオルを貸してくれたよね?」
必死で記憶を巻き戻す。
あの時、気持ち悪さが治まったと聞いた私は、少しはすっきりするかと、里見君にうがいと洗顔を勧めた。その時、手渡したタオルは――。
「……あれは、どこかのイベントでもらったものだったと思う。確かに男性物っぽい柄だったから、ちょうどいいかと思って……」
「そういう気遣いがなっちゃんらしいよね……でもさ、」
里見君は言葉を区切り、苦笑する。
「俺はそれを見た瞬間、どうしようもない感情が湧き上がってきたんだ……自分でも、驚くぐらいに」
里見君は私の顔を覗き込むようにすると少し微笑んで、ティッシュで私の頬を流れていた涙を拭いてくれた。
「なっちゃんのことは、寺嶌さんとの関係を気にするぐらいには心にあった。だから池尻ありさの頼みを聞いたわけで……でも、その程度だと思ってたんだ、あの時点では」
私の涙を拭くために一度離した左手を、またぎゅっと握られる。
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