野良猫は、溺愛する

つきおか晶

Act 6:野良猫は傷口を舐める(3)

* * *

ドラマの初回放送日から三日が経過し、Men’s Fort編集部も週の頭から九月号の最終締め切りに追われていた。Bijouxとの合同企画、ドラマキャストの特集ページ担当の私も、当然のことながら校正作業に追われ、さらに次月の原稿ものしかかってきてパンクしそうになっている。

その里見君のドラマ『恋コロ』の視聴率は、金曜深夜枠なので月曜の今日発表になった。
世帯視聴率は十・〇二パーセント。この枠の最近の視聴率が一桁台だったことを考えれば、順調な滑り出しだ。きっと今頃、ドラマ関係各所はニコニコしていることだろう。

ネットの評判もまずまずの高評価。「ミツジ役の人かっこいい」と、里見廉を知らなかった人たちからも少なからず反応がある。ドラマ終了直後は、深夜ドラマにもかかわらず『恋コロ』のハッシュタグがトレンドの三位まで登りつめた。

一方、あれから池尻ありさの状況はといえば、この間一緒に仕事をしたBijouxの担当さんの話では、どうやらすでに決まっていた十一月号のBijoux表紙を辞退したいとの申し入れがあったようだ。
表向きは辞退をしたという形だけれど、もしかしたらBijoux編集部側から、やんわりと促されたのかもしれない。

メイクルームでの“本当の出来事”は、もちろん各所には伏せられたままだ。ただ、スポンサーやらドラマ班やら、メーカーのお偉いさんまでがいた現場を混乱させ、両編集部に迷惑をかけたのだから当然のペナルティだろうと思う。あの時の、ありさのマネージャーさんの青白い顔を思い出すと、いろいろと気の毒になってくる。

しかし……。
里見君は本当に池尻ありさに脅されていたのだろうか。ふたりは本当につき合っていなかったのだろうか。ベッドで一緒に写っていた女性との関係は……?

なにもかもがわからないままで、時だけが過ぎていっている。
里見君とは、相変わらずの関係だ。あの夜の電話以来、メッセージすらもやり取りをしていない。

「伊吹―! 外線三番」

「了解です」

私はとりあえず諸々のことを頭の隅に押しこめて、受話器を掴んだ。


この、私のうだうだした性格は、今に始まったことではない。
遡れば小学校高学年の時、密かに思いを寄せていた男の子が私のことを好きらしいと同級生の女の子から聞いて、告白しようかどうしようかとしばらく悶々としていたことがあった。

そのうち、その男の子は他の女の子とつき合い始めたと、よりにもよって本人の口から聞かされた。彼が本当に私のことが好きだったのか、今となってはわからないけれど、小学生なんてまだ恋愛の“れ”の字もよくわからない子供。好きだという感情も曖昧で、移ろいやすかったのかもしれない。

さらに中学の時は、いつも優しくしてくれる同級生の男の子を好きになり、バレンタインデーに告白しようとチョコレートまで用意したのに、結局渡せないまま卒業してしまった。

こんなエピソードは過去を掘り返せば、些細なものを含めるとわんさか出てくる。
まさにミツジのセリフ『いつまでも受け身でいたら、望むほうになんか進まない』を地で行っている人生だ。

テレビ情報誌の目次を確認してからページを開くと、そこには里見君と山岸蘭のツーショットが掲載されていた。一枚はドラマの衣裳、もう一枚はタイアップのブランドの洋服を着たもの。うちの誌面に載せる予定のピンナップと趣向が同じだなぁ……などと、先に発売されたことを悔しく思ってしまう。

改めて、並んで写っている笑顔のふたりを見る。やっぱり里見君の隣には、こういうかわいい女性がお似合いだよね、と素直に思ってしまった。でなければ、きっと世間様は許さない。
里見君の横に自分の姿を重ねてみたけれど、やっぱり不釣り合いだと、自分の中の誰かが笑った。

『恋コロ』の放送日でもある金曜の今日、修羅場を脱した私は仕事を定時で終えると、散らかりすぎた部屋を必死で片づけていた。その合間に数日前、コンビニで買っておいたテレビ情報誌が目に入った、というわけだ。 

「わ、もうこんな時間!」

気がつけば午後八時を回っている。そろそろご飯を作って食べて、シャワーを浴びなければ『恋コロ』に間に合わなくなってしまう。
今日は簡単にチャーハンと冷凍餃子にしようと調理を始めていると、インターフォンが鳴って驚いた。
この部屋に来る人間なんて、ものすごく限られている。

『こんばんは』

インターフォンの画面にはブランドの黒いキャップを被り、薄く色がついたサングラスを鼻先まで下げた里見君が映っていた。
ドアを開けると、彼はちょっと申し訳なさそうな顔をしていた。

「ごめん、突然」

今日はなぜ、突然来たことを謝るんだろうか。連絡もなく来ることは、これまでにだって幾度もあったし、こんなふうに謝られることもなかった。

「ううん……って、合鍵で入ってくればよかったのに」

私の言葉に、里見君は一瞬だけ驚いたような、なんとも言えない顔をした。

「いや……もしかしたら内鍵かかってるかな、と思って」

里見君は、苦笑する。
確かに言われてみれば、今日は内鍵をかけていた。

「そっか。あ、とにかく入って」

「……うん」

今日の里見君は、なんとなくいつもと違う気がする。そういう私も、もしかしたら里見君の目には違って見えているかもしれない。

「今日は、仕事だったの?」

声のトーンは、いつもどおりだっただろうか。
もう、いつもどおりがよくわからない。

「うん。でも明日は久々に完全オフ。ドラマの撮影が予定よりサクサク進んでて」

「そうなんだ」

明日休みということは、泊まっていくのだろうか。持っているバッグはいつもと同じ、小さめのボストンバッグだ。

「晩ご飯は?」

「ああ……まだだけど、コンビニで買ってきた」

里見君は手にしていた袋を掲げる。
これまでも何度か、里見君は食べるものを自分で調達してきたことはあった。

でも、なんだろう。この、そこはかとない、違和感。
ざわめきが、耳の奥のほうから聞こえてくる。
私はその違和感の正体を知るのが怖くて、ちょうど手にしていたヘラを、わざとおどけながら顔の前に掲げた。

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