野良猫は、溺愛する

つきおか晶

Act 1:野良猫は擦り寄る(4)


ネットのニュースサイトに里見君のドラマの話が掲載されたのは、親睦会から数日後の昨日のこと。私がその記事を目にしたのは、通勤電車の中だった。
公式SNSも立ち上がり、コメントは引用分も含めると数時間で百件を超えていて、人気アイドルが出演するわけでもない深夜枠のドラマにしては、注目の高さが窺える。

コメント欄には『廉君の初ドラマ楽しみ』、『レンくんが出るなら絶対観ます』という里見君へのコメントも多く見られた。もちろん彼の公式SNSのお知らせにも、ファンからたくさんのお祝いコメントが寄せられている。

我が社的にも私個人としても、里見君の人気が高まっているのは喜ばしいことで、そこに嘘はない。
……嘘はないけれど、それでもどこか複雑な気持ちになってしまうのは、ただの、私の我儘なのだろう。

あの親睦会の帰り、どうしても気になって、私は池尻ありさのプロフィールを調べてしまった。
彼女は、私と同じ生まれ年だった。

年齢だけで、私が池尻ありさの身代わりだという思考に走ってしまうのは、いくらなんでも乱暴過ぎるとは思う。それに当然、池尻ありさと私の容姿は雲泥の差だ。似ているなどという図々しいことも思っていないし、思いようもない。

でも、お互いの気持ちを確かめ合っていないあやふやな関係では、普通なら気にも留めないようなことすら疑惑と化して、どんどん心の中で膨らんでいってしまう。
最後に会ったあの日、里見君の様子に違和感を覚えた。やっぱり、池尻ありさと共演が決まったことと、なにか関係があったんだろうか。

『里見君は、私のことをどう思っているの?』

そう彼に訊けたら、少しは心が軽くなるんだろうか。
でも今の私は、危険な賭けに出られるほど強くない。


何週間かぶりに定時で仕事が終わり、私は帰りがてら近所のスーパーマーケットに立ち寄った。
このところコンビニ弁当や仕事場近くのカフェで適当に夕食を済ませていたから、すっかり手作りの食事が恋しくなっていた。

とはいえ、身体はまだ締め切り直前の修羅場の疲れを引きずっていて、あまり手の込んだものは作りたくない。
そんな疲れた時に私が決まって食べたくなるのは、なぜかカレー。私はカレーの材料とお菓子や飲み物を適当に買いこみ、帰路に着いた。

うちに帰って冷蔵庫を開けてみると、入っていたのはチューブ入りの調味料数本と香辛料の小瓶、熱が出た時に貼る冷却シートぐらいだった。あまりの電気の無駄遣いっぷりにため息が出る。

「……あ」

そっか。ペリエもなくなってたんだ。
ペリエは里見君と私がハマっている飲み物。そのまま飲んだり、風邪予防のためにマヌカハニーを少しのお湯で溶いたものを、ペリエで割って飲んだりしている。

前に里見君がうちに来た時、重たいのに結構な本数を買ってきてくれて、大事に飲んでいたからてっきりそれがまだあるものだとばかり思っていた。

結構、時は流れていたんだな。
改めて突きつけられた事実に心が押し潰されそうになる。
私は一度大きくため息をついてから、買ってきた飲み物と、ひき肉と豚の薄切り肉を冷蔵庫にしまった。

部屋着に着替え、先に炊飯器にお米をセットしてからカレーを作り始める。
じゃがいもの皮を剥き、玉ねぎをスライスし、にんじんを適当な大きさに切る。鍋に油を入れてクミンシードを炒めると、いい香りが立ちのぼった。
さらに材料を炒めて水を入れようとしたところで、私はあることに気がついた。

「あれ、これって八皿分、だよね……」

もう鍋の中ではカレールウの箱の裏面に書かれた分量の野菜と肉が炒められてしまっている。今日は、ひとりで食べきれる量だけでよかったのに。
このところ誰かの分まで食事を作ることが増えていたから、知らず知らずのうちにくせになってしまっていたのかもしれない。

「……当分、カレーだな」

苦笑いしながら鍋に八皿分の水を入れ、蓋をして火加減をかなり弱火にした。お腹は減っているけれど、すぐに出来上がらなくていい。寝るまでの時間が長いと、つい余計なことを考えてしまいそうだから。

私はその間散らかっていた部屋を片づけ、棚に積もりかけていた埃をハンドモップで拭いた。掃除機もかけたいところだけど、さすがにこの時間は近所迷惑なので、フローリングモップだけで我慢しておく。

里見君が頻繁に来ていた時は、どんなに忙しくても毎日部屋の掃除をしていた。そして里見君が来なくなってからも、五日ほどはちゃんと綺麗にしていた。
でも六日目に「掃除をしているのに、彼は来なかった」と、余計な感情が入り混じっていることに気づいて、やめてしまった。

すべてを諦めれば、少し居心地が悪くなったとしても心は楽に過ごせる。部屋が汚れていようが、ひとりになろうが、死ぬわけじゃない。

掃除を終え、キッチンに戻って鍋の蓋を開けてみると、中はいい具合に煮えていた。いったん火をとめてカレールウを割り入れ、冷蔵庫にあったガラムマサラを振り入れる。カレールウが溶けていくにつれ、部屋にはさらにカレーのいい匂いが満ちていく。この香りを嗅ぐだけで、萎びていた気持ちが息を吹き返していくように感じるのだから、カレーの力ってすごい。

ご飯はすでに炊きあがっている。サラダは買ってきたし、さて食べようかと思ったその時、突然チャイムが鳴った。

「えっ……」

まさか。
否応なしに、胸が高鳴る。私はインターフォンに駆け寄り、モニターを確認した。

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