社長、それは忘れて下さい!?

紺乃 藍

3-7. After the party


 パーティの最後の挨拶は副社長が行った。喋りの上手さは一ノ宮一族に受け継がれているのか、龍悟より若い彼もまた低音ながらよく通る美声とたおやかな振る舞いで、グラン・ルーナ社と招待客の明るい未来を朗々と語って締め括った。

 招待客の見送りを済ませると、会場の片付けや撤去を後の者に指示し、三人は会社へ戻るための社長専用車へと乗り込んだ。革張りの座面に腰を落ち着けた龍悟は、助手席に乗り込んだ旭を慰労する。

「ご苦労だったな、旭。お前ほとんど何も食えなかっただろう?」

 旭はあの後、薬物が入った小瓶を持ってグラン・ルーナに帰社した。薬物は社長室にある管理金庫に保管し、本格的な対応は週明けにしようと考えていた。

 だが高度な研究所を要するアルバ・ルーナ社のラボに連絡を入れたところ、すぐに調査を始めてくれるという。旭は執務室から龍悟に報告し、今度はアルバ・ルーナ社へ向かい薬物の調査依頼を済ませると、その足でまたパーティ会場まで戻ってきたのだ。

 龍悟の指示で、しかもあまり公に出来ない事案に対応しているとはいえ、中々骨の折れる一日だったはずだ。しかし旭は助手席から首だけ動かして、

「食べましたよ。琉理亜ちゃんにイチゴ貰いました」

 と嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「あぁ、吉木社長の娘か」
「すごいですよね、琉理亜ちゃん。まさか限定のデザートプレートを見つけちゃうなんて」

 涼花の感嘆に龍悟も頷く。宝探しゲームの本来の目的は別にあったが、取引先の女性社員や役員のご令嬢たちには思いの外好評だった。

 店内の至る所に隠された『宝』である星形の飴やチョコレートは、招待客に次々と見つけられていった。そしてその内たった三皿しか用意のなかった限定デザートプレートの一つを、吉木社長の幼い愛娘が見つけてしまったのだ。飴玉は観葉植物のプランターの中に隠されていたので、身長の低い女児には見つけやすかったのかもしれない。

 琉理亜は両親に得意気に胸を張っていたが、運ばれてきたデザートプレートの頂点にあったイチゴをフォークに差すと、それを両親ではなく会場に戻ってきたばかりの旭の口の前に差し出してきたのだ。

「藤川さん、気に入られてましたね」

 涼花が呟くと、旭は少し照れたように肩を竦めた。

「それを言うなら社長でしょう。今日は一体、何人のご令嬢を紹介されたんですか?」
「……そんな事、もう忘れたよ」

 旭の軽口を聞いた龍悟が、不機嫌そうに窓の外へ視線を向ける。もちろん記憶力も人付き合いも完璧な龍悟が、取引先や交流のある人達から身内を紹介されてその日のうちに忘れるはずがない。ならばその台詞は『その話題はしたくない』というただの意思表示だろう。察した旭はくすりと笑みを零すと、すぐに視線を前へ戻した。

 歓談の最中、不在の旭に代わり涼花が龍悟の傍に付き従った。だがいつもより華やかに装った涼花の姿を認めると、顔見知りであるはずの取引先の重役たちは揃って気まずそうな顔をした。

 涼花もそこまで鈍感ではない。すぐに距離を置くと、彼らは安堵したように息を漏らし、次の瞬間には喜色満面の笑みを浮かべて自慢の愛娘を龍悟の前に差し出した。

 その様子を見ていると、やはり龍悟は雲の上の存在なのだと思い知る。彼らは龍悟に娘を紹介したいと思っている。娘たちも龍悟からの関心を望んでいる。

 彼がこの中から誰を選ぶのか、または誰も選ばないのかはわからない。けれど華やかな女性たちに囲まれている姿を黙って眺める気持ちにはなれず、涼花は人の群れからそっと離脱した。

 そのお陰もあり、涼花は会場内やキッチンの様子、新しい調度品やメニュー表を自分の目で確認して、さらに大好きなフルーツタルトにもありつくことができた。

 涼花がタルトやドリンクを幸せな気持ちで堪能していると、時折龍悟の前に群がる人とは別の役員たちに話しかけられた。

 彼らは涼花に対して自分の功績や、年配の者は自分の子息の近況を語って聞かせてきた。だが話が盛り上がってくると、決まって龍悟に呼び戻されてしまう。

 何処にいてもめざとく姿を見つけ、大した用事もないのに涼花を呼び戻す龍悟の行動には疑問を感じた。だがその疑問の答えを導き出す前に、最後の挨拶が始まってしまった。

 今日の出来事を頭の中で整理しているうちに、社長専用車はグラン・ルーナ社の正面玄関前に到着した。

 車から降りて、時計を確認する。時刻は二十時を回っており、オレンジ色の光が灯されたエントランスにはすでに人の気配はない。

 涼花がエレベーターに社員証を翳すとすぐに扉が開く。三人揃ってその空箱に乗り込むと、今度は旭が最上階のボタンを押した。

「今日の代休は半年以内に取れよ。半年超えたら俺は知らないからな」
「半年ですか……。でしたらクリスマスはギリギリ使えますね」
「ほう、いい度胸だ」

 また龍悟と旭が冗談を交わし始める。飲食業界で繁忙期となるクリスマスシーズンに代休を捻じ込む勇気は、涼花にはない。旭もそれを知っているとは思うが、長年付き合っている恋人がいると聞いているので、クリスマスまで馬車馬のように働くのは切ないだろう。

「七面鳥が食いたいなら、届けてやるぞ」
「えぇ~……会社にですか?」
「喜べ、アルバの直営農場で育てた特大サイズだ」
「デスクが汚れるので遠慮させて下さい」
「上品に食え、上品に」
「……ふふっ」

 涼花はいつものように聞き流そうとしていたが、大の大人が揃ってクリスマスのことでじゃれ合っているのを見ると、何だか急におかしくなってきてしまった。

「あ、申し訳ありません」

 笑い声が零れてしまったことに気付き、指先で口元を覆う。下手に反応すれば夏のうちから分かるわけもないクリスマスの予定を聞かれそうな気がしたが、視線を上げると二人が涼花の顔を物珍しそうに見つめていることに気が付いた。

「いえ……いつも楽しそうですが、今日はいつもより楽しそうだと思いまして…」

 顔を背けながら話題を振られないよう祈りつつ呟く。二人が微かに笑った気配を感じ取ったが、涼花がそれ以上何も言えずにいると、エレベーターは二十八階に到着した。

 龍悟と旭がエレベーターから降りると、涼花も中で『閉』ボタンを押して扉から離れる。そして執務室に向けて歩き出した旭が『楽しそう』の理由を話してくれた。

「上手くいったからさ。次のパーティーの時にまたやってみてもいいかも」

 元々企画部にいた旭にとって、今日の企画は久々の仕事だったのだろう。そして急揃えではあったが、内容的には十分手ごたえを感じられるものだった。帰り際に『本オープンが楽しみ』『また食べに来たい』と喜んでくれた招待客の顔を思い出す。

「そうですね。パーティーだけではなく、一般のお客様にも喜ばれそうです」

 涼花の意見に、旭が満足そうに頷いた。もちろん秘書である旭や涼花は、企画を打診する立場にない。自らの業務から逸脱する発言や行動をすれば、それがどんなに正論や正解であってもやっかむ人間はいるし、不協和音の原因となる。

 今回は社長命令という大義名分があったので異例の形で実行にこぎ着けたが、今後この企画をどう活かすかは優秀な社員達の手に委ねることとなる。だからこの話は、ここだけの話だ。

「で、社長が楽しそうなのは、今日の涼花がすごい綺麗だからですよね?」
「お前なぁ……」

 突然話題を振られた龍悟は呆れたように溜息を吐いたが、否定も肯定もされなかった。結局二人の冗談めいたやりとりに巻き込まれた気がして、涼花は改めて二人のやり取りには反応しないようにしようと、そっと決意した。

 揃って執務室に入ると、入り口の操作パネルに触れて室内に電気を灯す。龍悟は各々のデスクに戻る二人に、今日のこれからの予定を尋ねた。

「俺は腹減って死にそうなので、牛丼でも食べて帰ります」
「私は頂いた名刺の整理と、スケジュールの調整だけ済ませます」
「ん? なんか変更あった?」
「『Lin』の副社長が、来週木曜に予定していた会食を別日に変更して欲しいとのことだったので、調整します。大きな変更はそれだけですね」
「わかった。じゃあそれは涼花にお願いするよ。社長はどうされますか?」
「そうだな……」

 問い返されて、龍悟が少し考えるような素振りを見せる。顎の下に触れながら首を動かす視線の先を追うと、ガラス越しの眼下に光の海が広がるのが見えた。グラン・ルーナ社の最上階は、都心の夜景を一望できる絶景スポットだ。

「俺も少し残るか」
「何かございますか?」
「いや、俺の個人的な都合だ。気にしなくていい」

 訊ねた涼花の台詞をさらりとかわすと、龍悟は自分の席に腰を下ろす。仕事をするならコーヒーを淹れようと立ち上がった涼花の目の前で、旭が龍悟に向かって丁寧にお辞儀をした。

「それではお先に失礼いたします」
「ご苦労さん」
「お疲れ様です」

 相当お腹が減っていると思われる旭を気の毒に思って視線を向けると、旭と目が合った。何かあるのかと小首を傾げるが、旭は小さく微笑むだけで、結局は何も言わずに執務室を後にしていった。

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