今まで俺に冷たくしていた美少女が席替えで隣の席になった途端優しくしてくるんだが

時雨古鷹

第22話  何もしない方がつまらない

スライドがとあるニュースの映像に変わる。当然あの事故のニュースだ。

「この事故で僕は母と父を亡くしました。その日は美緒と家でゲームをしていました。母は父と一緒に買い物に出かけており家には二人しかいませんでした。三十分くらいたった頃電話がかかって来たのででると本屋の近くにある交差点に来てといわれました。僕はわけがわからず美緒を一人家に残して飛び出しました」

「急に来るからびっくりしたんだ。俺は家でテレビみてたんだがいきなり霧斗が来て本屋の近くに連れて行ってっていうもんだからお父さんに連れて行ってもらったらって一端だけどよ。家にいないっていわれて連れて行ったら」

またスライドが変わる。画面には当時霧斗が撮った写真が表示されていた。

「交通事故の現場でした。僕は近くの消防士に名前を伝えると母の所に案内されました。弘おじさんと一緒に案内され救急車の中に入りました。そこには血まみれになった母が横たわっていました。弘おじさんは父の所に向かいましたがその時には父は亡くなっていました。そして僕は母にいわれました。あなたには歌の才能はもちろんピアノやほかの楽器才能まであると。そして父の遺言を聞かされました。お前は必ず有名人になれると。母からは最期にこの世界のいろんな人を笑顔にできるといわれました。そして母も亡くしました。僕は二人の葬式のとき、悲しまれながら見送られるのは嫌だろうと思って二人が好きだった曲を弾きました。このとき葬式にきてくれた人からほめられました。そして小学四年生まで弘おじさんにお世話になりました。その頃から僕はピアノの動画をYouTubeに投稿し始めました。チャンネル名は当時有名にならないだろうと思っていたので霧斗の文字を少し入れ替えただけでした」

スライドが変わり初めて投稿した動画に切り替わる。

「当時お兄さんは口癖のように言っていた言葉がありました。何もしないほうがつまらない。って毎日毎日いってました。私はそんなお兄さんのように何か行動を起こそうとはしませんでした」

「当時の再生回数は千五百くらいでした。チャンネル登録数も三十人と少なかったです。まあこんなもんかと思いました。それでも投稿を続けました。でもピアノだけではそこまで増えませんでした。そこで歌ってみた動画を一本投稿しました。そして投稿した翌日、僕は驚きました再生回数が十万回を超えチャンネル登録数も一万を超えていたのです。そして僕は自信がつき投稿しているうちに今のように有名になっていました」

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