シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~
12.特別な女の子
と言っても一度霧散してしまった空気は、そう簡単には戻って来ない。
「ごちそうさまでした」
「ごちそう、さまでした」
つつがなく食事を終え、二人して手を合わせる。最近では莉緒がするのに倣って、レオンもいただきますとごちそうさまをするようになっていた。
いいなと思った文化をすっと取り入れてもらえるのは、生活を共にしている上で嬉しい。
「冷凍庫にアイスがあるんだ。リオはいつものバニラ?」
「お昼間におやつも食べたのに、更に食後にも甘いものは太るので……」
こちらに来てから間食が多い。お茶の時間には何かしらおやつが付いて来るし、何だかんだで食事そのものの量も来た当初に比べれば増えていた。この家でまだ体重計を見かけていないので正確なところは分からないが、確実に質量は増えていると思われる。
「リオはもっとお肉付けた方がいいよ、真剣な話」
「糖分や脂質ばかりでぷよぷよになるのはちょっと……」
「普段の食事はちゃんと栄養バランス取れてると思うよ?」
しかし結局手渡されてしまえば突き返すことはしないのだから、莉緒の意思も大概弱かった。
二人してダイニングテーブルからソファの方へ移動して、デザートのカップアイスに手を付け始める。
何気なく点けたテレビからは動物番組の映像が流れていて、適度に空間を埋めて行ってくれた。
「おぉ、このにゃんこ賢い……!」
莉緒が記憶力の高いネコの動画に関心してみせるが、隣のレオンはやけに静かだ。どうしたのだろうと顔を向ければ、彼は画面から顔を逸らして小さく肩を震わせていた。
「レオンさん?」
まさかこの動画を見て笑っているのではあるまい。今の映像は面白動画でもなんでもなかったのだから。
「思い出してますね?」
「いや……」
テレビのネコを見て、昼間の前衛的な莉緒の作品が頭に浮かんだのだろう。
「そう言えば、レオンが描いた絵、見せてもらってない」
そして話が昼間の出来事に戻ったことで莉緒も思い出した。着色するのと引き換えに、彼にも新しく絵を描いてもらったはずだと。
「あ、確かに。待って、取って来る」
駆け足で二階に上がって行ったレオンはすぐにスケッチブック片手に戻って来た。
「そう言えば、結局何を描いたの?」
「リオ」
「え!」
その答えにびっくりする。初めて見るレオンの人物画。しかもモデルは自分。
どんな風に描かれているのか、レオンに自分がどう見えているのか。
考えただけで緊張する。
莉緒は薄目で渡されたスケッチブックを覗いた。
「って、猫だよ!」
が、そこに描かれていたものを見て、思わず大きな声を上げる。
人間がいない。ほわほわした毛質のこれは、どう見てもも猫だ。
しかも画伯・莉緒の作品とは違い、ひと目で猫と分かる完璧な再現度。
「リオを猫に例えたらこんな感じかなって」
「もう!」
ドキドキして損をした。
「ごめんごめん、本人に見られると思ったらやっぱり緊張しちゃって。似せられるか分からないし」
紙の上で柔らかそうな毛並みの猫はちょこんとお座りをしている。こちらを見つめる瞳はつぶらで、ふさふさの尻尾は背中の辺りで揺れているのだろう。
擬人化ならぬ擬猫化。そうするとレオンにとって莉緒はこんなイメージになるのか。
「……怒った?」
別に怒る要素は特にない。けれど莉緒はあえてちょっと尊大な感じで返した。
「……可愛いから許す」
「うん、実際のリオが可愛いから」
そうしたら思いもかけない変化球が返って来て、思わずむせ返る。
「なっ、なななに」
「昼間、逃げなかったね」
「えっ!?」
おまけにあの未遂に終わった事態を急に蒸し返されて、いきなり袋小路に追い込まれた。
自分の中でもまだ整理しきれていなくて、どう反応するのが正解か分からない。
「えっと、その」
「リオ、この間さ」
「は、はい!」
「ここのソファで寝ちゃったことあるでしょ」
先日魘されていた莉緒に、レオンがホットミルクを淹れてくれた時のことだ。寝落ちた莉緒を、結局レオンが寝室まで運んでくれた。
「その説は大変お世話に……」
「あの時、どうしてそんなに良くしてくれるよって聞いたよね。それに対する僕の答え、覚えてる?」
気まずい、と思いながらも莉緒は首を横に振った。その直前で意識が落ちていまい、結局聞き逃している。
「それは君が、僕の初恋の子だったから」
「――――え」
全くの予想外の言葉に、莉緒の頭は真っ白になる。
初恋? 誰が誰に?
莉緒がレオンに、なら分かるが、その逆? そんなことがあり得るの? と。
「それだけが全てじゃないけど、そこが大きいのは事実だ」
冗談を言う人ではない、と莉緒にはもうそれが分かっていた。そして、初恋と言っても過去のことでしょと片付けるのは違うのだとも。
「君はもう全部忘れてると思ってたから」
初恋、は一つの要素にしか過ぎなくて。
「だから、君の中に自分の存在がまだ残ってることが嬉しくて」
そうではなくて、それほど長くはないが一緒に過ごしたこの時間が互いに好意を育んだのだと。
そう、互いに。
「単純だけど、だからこそこれは混じり気のない感情だ」
いつの間にか、ソファの隅に追い詰められていた。
逃げ場はない。
いや違う、嫌だと言えばきっと彼は引いてくれる。だから莉緒にはちゃんと選択肢がある。それは確信できる。
「リオは今も、僕にとって特別な女子だよ」
でも。
莉緒の反応をちゃんと注意深く見て、少しずつ距離を縮めて来る彼を莉緒は拒めない。拒まない。
混乱しているのと同時に、頭の片隅が冷静に受け入れていたから。
彼の言うことを。自分の気持ちを。
「あ……」
昼間と同じように差し迫る綺麗な顔。今度は着信音も二人を邪魔したりしない。
唇と唇が、触れ合う。
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